収穫が終ると、ホンおばあちゃんは種毎に封筒に入れて名前を書いておく。
もしかして、来年自分が種まきをできない時に、子供が出来るようにする為だ。
手作りの農作物を子供達に送るのが、一番の楽しみだと言うホンおばあちゃんが
1997年8月18日に書いた日記の全文:

「私が書いた日記は他人が読むには、話を作りながら読まなければならない、
 勉強ができなく、自分勝手に順序も無しで文章がでたらめだ、
 私の心の中には話したいことが一杯詰まっている、
 それで何かを話したくて、鉛筆を持つと心が詰まる
 言葉は溢れるくらい多いのに、鉛筆の先が進まない
 文字一つ一つを組み合わせて書こうとすると、イライラして大変な事だ
 このように子供を文盲にした父が憎い
 文字が読めないのが、私が小学校に通っていれば文字を書けるでしょうが
 本当の文盲だからだ。
 でたらめでも書ける様になったのは、子供や孫たちが学校に通っていた時
 肩越しに習ったお陰だ。
 子供達に電話を掛けたくても掛けられない、数字の方はもっと解らないからだ、
 70歳になってから孫のインソンから数字を習った。
 夜遅くまでノートに書いてみて、私の力で初めて娘の家に電話を掛けた日が
 忘れられない。
 数字ボタンをおして信号がなる間はドキドキして心臓が張り裂けそうだった。
 私が掛けた電話で話し終えた時は、トップで合格したより気分が良かった。
 あまりに珍しいので、妹の家や子供達にもよく電話をした。
 
 私はTVを見ながら、よくメモをする。
 娘たちが、たまにメモしたものを見て大笑いする。
 メルデ(韓国語で鰯)をメルッチで、 ゴドンオ(韓国語で鯖)をゴドンアで、
 オマンウォン(5万ウォン)をゴマンノンなどと書いてあるからだ。
 娘の友達から電話が掛かって来た、約束場所を言ってくれたのを書いたが、
 トンデモン(韓国の名所、東大門)のイストンホテルを、イイストルオテロと
 書いてあったから、娘が暫く意味を探って見なければならなかった。
 娘たちは今でもその時のことを話して笑う、
 でも、娘たちは私を馬鹿にして笑っているのでは無い事は良く解る、
 それにしても、私は、私が書いた文字が恥ずかしい、それで隅々に隠しておく、
 このくらいでも書ける様になったのは嬉しい。
 今は孫たちが読む大きい文字の童話本も読むことが出来る。
 「人魚姫」も読み終わって、「ジャックと豆の木」も読んだ。
 世に生まれて文字が読めない事が、どんなに苦しい事か解らない、
 これくらいでも書ける様になったから、眠れない夜に少しでも残す事ができて
 これ以上望む事は無い。
 話す相手が居なくても、ノートに私の思った事を書き写し、うれしい限りだ、
 子供を産んだら飢えても勉強だけはさせるべきだ」

     ”胸に刻まれた 息子の思い出に涙する ホンおばあちゃん”

幼い息子が死ぬ事を見守る事しか出来なかった若い時の苦しい記憶と
生きるより 生きてきた日が多い老年の寂しさが詰まっている彼女の日記は
彼女だけの日記ではなく、
飢えて苦しい時代を耐え切った一人の女性の日記であり、
私たちの母の日記であり、この世に生きている私たちの日記である。
   
                                   朴 暎夏

”ホンおばあちゃんが 磨いて また磨いた靴”

”古着を着て 畑で仕事をする ホンおばあちゃん”

おことわり:
 この文章は、私の友人、韓国の朴 暎夏(パク ヨンハ)さんのホームページから  転載した
 ものです。 パク ヨンハさんは、韓国の大企業の社長をしておりましたが、定年後は顧問と
 して、 実業界に居られる傍ら、余暇は好きな読書、作詞、旅行、そして大親友のお酒を傍ら
 に過ごされています。
 パク ヨンハさんのホームページには、一寸Hな一面もありますが、感銘をうけるキラキラと
 輝く文章がふんだんにあります。私も半端な韓国語に鞭打って拝見しております。
 ここに転載した物は、私が訳したもので、原文とは多少雰囲気が違うと思います。
 貴方が韓国語を理解できます場合は、是非彼のHPを直接訪問して下さい。
  URLは http://www.parkyoungha.com/  です。

 

特に出掛ける当ても無いのに、気持ちを高鳴らせながら靴を磨いて
陽射しの良い所に干すホンおばあちゃん。
でも出掛けるところが無く、靴にそのまま埃だけが積もるばかり、
彼女は、その気持ちをこう表す。

     「靴を磨いて日向に出した、何処に行く事も無いから、
      履こうともせずに、また磨く事になる
      どこかに旅立って見たい」

陽射しが入って来ると、彼女は窓際に近づき、お日様に挨拶する事から
彼女の一日の日課が始まる。
京畿道の、ある田舎村に300坪しかない小さな畑に、大根、白菜、南瓜、
茄子、唐辛子などを作って暮らすホンおばあちゃん。
畑仕事をする間は、孤独な事もつらいとは思わない。
自分の子供みたいに育てた農作物に触れながら、彼らと話し合って居るからだ。
良く聞こえないがTVをつけておくと、まだ少しは癒される。
6人の子供を授かったホンおばあちゃんは、一人暮らしを心配する子供達が
面倒を見るから・・といっても、聞き入れようとはしない。
彼女が一人暮らしにこだわるのは、一人で自由に生きたいからだ。
”誰もいない家で、もしも万一の事があったらどうするの” と子供達が
心配すると、 ”その様に死ぬのが幸せだ”と答えながら一人暮らしを続ける。

ホンおばあちゃんは古い普段着が好きだ。
息子、甥姪達が買って上げた新しい服を嫌って古い服を着るには訳がある。
彼女は、その理由を日記に書いている。

「捨てようとした古着を、又、洗って着なおした。
 ”古着を着ている・・”と娘たちは大騒ぎをする、
 新しいのが無いから、そうするのでは無い。
 娘たちが買ってくれた服、甥たちが買ってくれた服などが、箱に詰められた
 まま置いてある。
 何時死ぬか解らない身、新しい服に着替えて何の意味があるのだろうか、
 と思うからだ。
 そして、新しい服がキチンと積み重なっているのを見ると、古着をきても
 誇らしくなる。
 私が死んでも、持って居ない他の人に着るように上げたら良いと思う。
 こんな私の気持ちも知らずに、娘たちは ”古着を捨てて・・”と騒ぐ」

人生を込めたホン(洪)おばあちゃんの日記

      「この私の気持ち誰が慰めてくれるのか
       誰が私の気持ちを慰めてくれるのか、
       青蛙は、どうしてあの様に悲しい声で・・・・・・」
(注:文法を知らないおばあちゃんの日記は、とても訳しにくいです、出来るだけ意訳しない
様にしましたから、読みにくいと思いますが、それがおばあちゃんの日記の本当の姿です)

「私は寂しい、胸が侘しい
 私は白髪を飛ばしながら、 今日もお日様は、山村に越えていらっしゃる、
 お日様は相変わらず越えていらっしゃいますね。
 お日様、私は、侘しくて、
 胸が何となく寂しくて、胸が侘しくて、」

     ”私は90歳 この世を去る日もそう遠くない・・・・・”

           ”じっと日記を見るホンおばあちゃん”

今年90歳のホン ヨンニおばあちゃんは、毎日、日記をつけている。
学校に通った事の無いホンおばあちゃんは、70歳になってから
孫から文字を教えてもらった。
文盲を脱出してから以後、日記を書き始めた。
おばあちゃんは不慣れな文字と、文法も知らずに20年間書き続けた。
ホンおばあちゃんの日記には人生がこもっている。
世を去る日がそう遠くないだろう彼女の日記を通して、誰にでも訪れる老いと生
そして人生とは何だろうか、静かに自分自身を振り返させるものがある。

    「人生は水平線に浮んでいる船では無いだろうか。
     流れ流れて、あの船は何処に行くのだろう、
     船の前に乗っている人は、遠い水平線を眺め
     船の後に乗っている人は、誰かを待っているだろう。」

      ”まだ暗いのに・・・・・ お日様は出られたのか”