紙飛行機は気むずかしい、天気が少しでも気に入らないと全く飛んでくれない。
気に入ると、ご主人様の思いなどに構わず、気ままに飛び去ってしまう。
愛機は沢山あるが、手元に残っているのは、大概出来損ないの自慢できない物ばかり。
明日時間が有るから飛ばしに行こう等と考えたときは、遠足前日の子供と同じで、
「明日天気になーれ」と願う事になり、気になるのは天気予報。
最近天気予報は、以前より大分確率が高くなり結構あてになる。
戦時中は敵に情報を与えるからと言う理由で、天気予報は放送されなかったが、
戦後ほどなく再開された。それまでの予報は「天気予報」ならぬ「敵機予報」で、
「東部軍管区情報、空襲警報発令 敵B29の数十機の編隊が鹿島灘南南東より侵攻中」
ご記憶のある方も居られるのでは
これは結構的中したが、解った所でどうする事も出来なかった。
最後の頃は、もうカビ臭い防空壕に入る事もしなかった。
現代の天気予報は、スーパーコンピューターを使い、アメダスや気象衛星などからの
豊富なデータを使った数値予報で、外れる事がおかしいくらいである。
その利用には、以前と違って各方面で利用され、天気予報が商品として売られる時代に
なった。 従って、色々な形の天気予報がある。
スーパーの仕入れ情報用、行楽地毎の予報、サーフィン情報、釣情報などなど、しかし
流石に紙飛行機予報は無い。
紙飛行機では、風の予報が大切だ、放送などでは「風は穏やかでしょう」とか「やや強い」
程度の表現になる、更に風は局地的に変化が激しいから、天気予報だけではあまり役に
たたない。
ならば自前で風予報をするしかない、紙飛行機天気予報士の誕生だ。
ネットで天気図を取り出し、実際の天気と比較、特に風の状態と気温の変化が目玉にな
る、風の状態はご存知気圧配置(昔はミリバール、今はヘクトパスカル)と等圧線の粗密
を判断材料にする。気温の変化と日照はサーマル予測に欠かせない。
それらを我空港の地形に重ね合わせる、明日は海風だから予想以上に吹くなどと。
なかなか目論みどおりには行かず、今のところ的中率(偶然か?)は50%以下である。
「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の辻占状態。
子供の頃は、下駄投げて天気予報をしたものだが、今は下駄も遠い存在になった。
やはり早起きして、「指なめて、天をさして判断」するしかないようだ。
「あした てんきに なーれ」