辞書とインターネット

今は昔、インターネットなど想像も出来なかった頃、私の好奇心を満足させるものに、
百科事典のサーフィンが有った。
図書館で百科事典の適当なページを広げる、興味のあるものに偏るので、特に調べる物は決めていない、最初から決めて始めると、どうしても興味のある分野になってしまうので、とにかく広げる。 広げたページの適当なところを読む、その説明には、理解不能な事が、一つや二つ必ず有るので、それを更に調べてゆく。
ようよう理解が出来る頃には、百科事典の数冊が読書台に積まれることになるが、
重たい百科事典を書架に戻す時には、何かが私の知識の中に増殖した爽快感があった。 今でも時には図書館で、これをする事も有るが、最近では重たい百科事典を持ち運ぶ労力が苦痛になってきた。
こうして、浅く広い私の知識は蓄えられた、所詮、出来心で養成された智識だから、
さほど役に立たないが、それでも結構知っていて良かったと思う事は沢山ある。

それに代わって、最近時々始めるのが、何の目的も無い「単語」で、ネット検索をする。
一つの単語を検索すると、時には星の数ほどの検索結果が出る。
それらを適等に選んで読み、解らないものがあると、それを検索、こうして当ての無い
ネットサーフィンが始まる。
世の中には、本当に色々な事に通じている方が多いと、何時も感心する。
誠に便利である、我家の百科事典はついに開かれる機会も少なくなり、いつの間にか
古書として処分されたようだ。
更に最近は、ブログなる物の出現で、何かをテーマに多くの方が参加して意見を書いたり、自分の知りえる事を発表したり、勿論、その多くは会話を楽しむ傾向の物が多いが
中には、極めて専門的に情報交換しているケースも多い、これ等は百科事典の様に
出版された時の最新情報と異なり、きわめてアップデートな情報で感心する。

Wikipediaと言う、インターネット百科事典に至っては、読者が作って行く百科事典で
書き込まれた内容には、或いは間違った情報もあるかもしれない。 しかし多くの書き込み読者は、それぞれその道の権威者が多い様で、あいまいな知識で書き込みする人
は少ないようだ、欠点は検索しても無い事項もある。 しかし、日々改訂される百科事典で、とても便利である。

若い頃と異なって、これ等で得た知識も数日すると、記憶の何処にしまったか忘れて
しまう事が多い最近だが、昔に帰って、「明日役に立たない智識」の吸収の楽しみが
現代版でよみがえった。