3.壊したのは、彼じゃない


  年下の上司がくれた”特別休暇”はジャスト1週間。
  魅上の手続きをしたり、太平洋を横断したり、生活用品を揃えたりしてたら、あっと言う間に出勤日だ。
  これって…やっぱり、理不尽な職場、かも、しれない。
  
  そうぼやく僕に、苦笑しながら濃い目のモーニングコーヒーを魅上が淹れてくれる。
  トーストを齧りながら新聞を読もうとすると、彼は”今日のダイジェスト”を教えてくれた。
  
  パーフェクト。
  嫁に来ないか、と真顔で冗談を言うと、魅上は少し目を泳がせた後で いいでしょう、と偉そうに言った。
  …こいつめ。
  
  お互い、わき腹を突付きあうようにしてふざけているうちに、家を出ないとマズい時刻になる。
  
  ヤバイヤバイ。
  2人して廊下を走り。 玄関先で、ネクタイが曲がってますよ、と魅上が手際良く直してくれた。
  
  「いってらっしゃい」
  「いってきます」
  
  初々しい新婚生活のような雰囲気で、少し気恥ずかしくもあるけれど。
  正直、こういうのも悪くない。
  
  職場につくと、リドナーが僕の顔を見るなり、同棲生活はうまく行っているみたいね。と声を掛けてきた。
  …同棲じゃなくて、同居だ。 同居。
  
  
  
  
  
  夕方。家に帰ると、魅上が律儀に玄関で おかえりなさい、と出迎えてくれる。
  そして部屋に入ると、温かい食事が僕を待っていた。
  
  
  「魅上は、シェフになれるんじゃないかな」
  
  ポテトサラダをお代わりしながら僕は言う。 ちょっとした塩っ気が効いていて、実に旨い。
  隠し味にソイソースを使っているんだそうな。 ポテトサラダにソース… 日本人は奥が深いな。
  (※ソイソース = 醤油)
  
  「でも、この歳からの修行は… 少し難しそうですね」
  首を竦めて、魅上は言うけれど。 僕は、魅上にはサービス業が向いてるんじゃないかと思うんだ。
  細やかな気配りが出来て、人のためなら苦労も厭わなくて。 清潔で誠実そうな見た目も合ってる。
  
  それに何より、この国で再び、魅上に犯罪絡みの職業には就いて欲しくなかった。
  この国は… 日本とは比べ物にならないくらい、凶悪な犯罪が多過ぎる。
  今まで孤独に”悪”と戦ってきた彼には、見せたくないんだ。 これってやっぱり、僕のエゴなんだろうか。
  
  「日本食レストランなら、何とかなりますかね…」
  そんな僕の思惑を知ってか知らずか、魅上は真面目にシェフへの道を考えている。
  
  「まかない付き、の所も多いですし。 早く一人立ちするには、いいかも知れないですね」
  
  いつまでも、貴方に頼っているのも良くないですし、と申し訳無さそうに言う魅上に首を振って、
  「部屋も余っているし。魅上さえ良かったら、ずっとここに居ていいよ」
  
  ただし家事は、あんまり頑張らないこと。
  そう付け足すと魅上は、嬉しそうにこくん、と頷いた。
  
  もしかしたら。 既に僕の方が、魅上に依存してしまってるのかもしれない。
  
  
  
  
  僕達の同居生活は、うまくいっていた。 と、思う。
  
  朝のおはよう、で一日が始まり。
  夜はソファに並んで座り、取りとめもないことを話し合う。
  今日のこと、今までのこと、これからのこと。
  そして、寝室のドアの前で交わす おやすみなさい、で一日が終わる。
  
  
  
  
  
  
  
  
  そんな生活が2週間ぐらい続いた、ある週末。
  家に帰ると、魅上が青い顔をしている。
  
  理由はすぐに分かった。
  テーブルに置かれた、木箱の中。
  
  割れた瓶の破片、紐が絡まった板切れ、ちょっと裂けた布の切れ端、…
  
  ああ。これは高校ん時の僕の船だ。
  ベースボールで張り切りすぎて 靱帯切っちゃった時の、ギブスとか松葉杖の思い出。
  
  「ああ、これね」
  わざとそっけない声を出す。
  「ごめんなさい」
  魅上が立ったまま 深々と頭を下げる。 昼間、眺めていた時に落としてしまったそうだ。
  
  「大丈夫だよ。子供の頃の作品だから、今の僕なら簡単に直せる」
  努めて明るい口調で言うけど、魅上は引き下がらない。
  「でも…」
  「いいから。気にしないで」
  魅上の腕をひいて、僕の隣に座らせる。
  
  あまり気落ちした様子だと、僕が怒れないと思ったからだろうか。
  精一杯顔を上げ、僕の目を見詰めてごめんなさい、と告げる魅上。
  でも瞳の色が、彼の心の中の溢れんばかりの後悔、申し訳なさを物語ってた。
  
  「あの、作り方を覚えて、直しますから」
  必死に訴えかける魅上が、いじらしく見えて。
  
  「いいんだ。 ね、気にしないで」
  ソファの背に押し付けるようにして、両手で魅上の頬を包み込む。
  至近距離で僕に見詰められ、魅上は耐え切れずに目を伏せた。
  
  目の端が少し赤いのは、泣いたからなんだろうか。
  ゆっくり眼鏡を取って、目尻に触る。
  
  「…大丈夫」
  すぐに直るから。そう言いながら、瞼にそっと唇を寄せる。 魅上の肩がぴくり、と動く。
  
  瞼に、 目尻に、 鼻筋に、
  そのまま軽い口付けを落としていく。 幼な子をあやすように。
  
  頬にも、
  
  
  唇にも。
  
  
  魅上が一瞬、目を開く。潤んだ目で僕を見て、またすぐきゅっと目を瞑った。
  
  僕の目の前で、長い睫毛が細かく震えている。 けれど顔は逆に、少し上向き具合になって。
  唇が開いた。
  拒否はしていない。
  
  ちょっとかさついた、でも柔らかい唇に、触れては離れ、離れては触れの浅い口付けを繰り返す。
  魅上の凛とした、それでいて何処と無く脆そうな雰囲気は、僕に男同士の接吻という生々しさを忘れさせた。
  
  だけど何度も繰り返すうちに、段々と吐息が湿っぽくなってくる。
  啄ばむようなキスから、唇全体を捕食し合うようなキスへ。
  背中に手を回し、魅上が僕にしがみ付いてくる。
  
  もっと深く、もっと深く。 この人と繋がりたい。
  
  「… ん、むっ」
  鼻に掛かったような魅上の声が、堪らなく色っぽくて。 魅上を抱く手に力が入る。
  舌を思い切り、魅上の口内に捩じ込んで荒らす。
  魅上が僕の舌を吸う。
  
  魅上、魅上、みかみ−−−−
  
  
  
  
  大好き。
  
  
  
  
  そう口から出掛かって。 初めて僕は、自分の気持ちに気付いた。
  
  
  恐ろしい勢いで頭の先から意識が冷めていく。
  
  
  
  
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