・「内省」 (2018年2月6日)
一連のオウム裁判が終結した今、改めまして、自分達が事件を起こしていなければ、お亡くなりになられた被害者の方々や御遺族の方々、今も後遺症に苦しんでおられる被害者の方々は、どのような人生を過ごされておられたであろうかと、思い巡らさずにはいられません。ただただ申し訳なく、申し訳ない限りです。
何故、救済の名のもとにこのような事件を起こしてしまったのか、考え続けています。
当時を振り返りますと、麻原が掲げたハルマゲドン(終末思想に基づく世界の最終戦争)から神々の意思により人類を救済するとの大義を妄信することで、唯一神々の意思を知るとされた麻原の善悪の判断に委ねることになりました。
それにより、自己の言動に対する社会人としての当然の責任感を18歳で教団に出家して以来、「自分で考えてはいけない」と教え込まれたことにより放棄してしまっていました。これが教団の恐ろしさの一つです。
信者に自分で考えさせないことにより、社会規範についての思考を停止させ、人間の善悪の根本となる個としての責任の自覚を破壊していくのです。
それを具体的に実現させたのが教団の修行でした。
麻原は仏教やヨーガの心を変容させていく技術や薬物まで悪用して、徹底的に信者の社会規範や善悪の根本となる個としての人格を破壊していき、代わりに麻原の手足として動く人格を刷り込んでいきました。これが麻原が構築したマインドコントロールです。
信者は真面目に修行すればするほど、自分を見失い、人間性を喪失し、能面のような顔つきになっていきます。
こうして麻原は救済の名のもと信者を手足として利用していましたが、信者に指示したことによる結果について、社会人として全く責任感を持ち合わせていませんでした。
教団の中では誰も自分達の言動に対する社会人としての責任を自覚することなく、神々の名のもとに於いて自分達がすることは社会の善悪の倫理を超えた神に通じる絶対的な正義であると思い上がり無責任な振る舞いがエスカレートしていき、大罪を犯すようになっていった面がありました。
このような個としての責任の自覚の欠如は、オウム裁判にも投影されてしまったのではないかと内省しています。
麻原はもとより事件の責任について全く語ろうともせず、沈黙に逃げ込みました。
私をはじめかつての信者は、事件についての謝罪と事実関係について語ることができても、裁判上の様々な制限もありましたが、内省が足りず個としての責任について語る言葉を殆ど持ち合わせてなかったのではないかと反省しています。
何故、個としての責任の自覚を欠如してしまったのか?
そのきっかけとして思い出されるのは、私が麻原に感銘を受けた高校3年生の夏休みのエピソードです。
「解脱とは一滴の雫になるようなものなんだ。透明な一滴の雫のまま大河に溶け込むのが救済の実践なんだ」と麻原は信徒に語りかけ、私もそのようになりたいと強く願いました。
当時は知りませんでしたが、このように個を滅却して全体のために行動する思想は全体主義と言われていて、戦前の日本では当然のこととされていたものでした。
麻原は全体主義をアレンジしたとも言え、その意味におきましてオウム事件は、「私」を否定して「公」のために尽くすことを美徳とする日本人特有の民族性にも根ざしたものであったのではないでしょうか。
私の中にこのような全体主義に同調してしまう素地があったからこそ、麻原にも同調してしまったのであり、個としての責任の自覚を欠如してしまったのは、私自身に問題がありました。
当時、信者が救済と信じ活動してきたことの全てが、麻原の祭政一致の専制国家体制を樹立するための国家転覆の野望を増長させていき、全ての事件につながっていきました。
このような全体主義に基づいて形成された教団では、信者の一人一人の活動と教団の活動とは切り離すことはできません。
教団の活動である全ての事件の責任は、直接関与しているとかいないに関わらず、当然に私にも一人一人の信者にもあります。
当時の出家信者なら誰が事件を指示されていてもおかしくなく、そもそも麻原を妄信する信者がいなければ、事件は起こせませんでした。
突き詰めますと、麻原を信じたことそのものが罪の始まりであり、全ての責任は私にあります
今、死刑囚として罪と死に向き合っています。
罪と向き合うほど、被害者の方々のたとえようのない悲しみ、苦しみ、痛みを、
本当に分かるというわけにはいきませんが、ひしひしと感じます。
罪の悲しみと痛みが人から人へと、過去から未来へと、どこまでも波及していくのを痛感せずにはいられません。
死と向き合うほど、どれほど生きていることそのものがかけがえのないものか、しみじみと感じます。それにより、どれほど他者の命を奪うことが恐ろしく、罪深いものであるのか、まざまざと迫ってきます。
何をもってしても償いようがなく、今だに償いようがない罪を償うにはどうすればよいのか、答えは見つかりません。
どうすることもできない絶望感にさいなまされ、もう耐え切れない、気が狂いそうだと何度も思いました。
このような私を支えて下さる方々の温情がかたじけなく切なくもあり、一人では生きていけない自分の弱さや無力さをしんみりと感じます。
罪をめぐるいのちの痛みと悲しみをじっと静かにかみしていると、どこからからともなくいのちの眼差しを感じます。そのようないのちは、私のものでも、誰のものでもなく、人間が作り出すどのような罪や過ちも、悲しみや苦しみも
もれなく受け止める底知れぬ愛に満ちながら、同時にどこまでもじっと黙って見つめ、突き放し、一人一人が人として成熟していく厳しさがあると感じます。
ただただ静かに涙がこぼれます。
このようないのちの眼差しは、決して特別なものではなく、人が人として人を愛したり、大切にしたりする時、誰に教わることもなく、自然に感じていることなんだと、今さらながら思います。
それなのに多くの宗教はこのようないのちの眼差しに神や仏のレッテルを貼って特別あつかいにすることで壁を作り、人々の生活から遠ざけてしまっているように思われます。
このような間隙を縫うかのように、戦後の日本において、経済的勝利とともに物質主義が蔓延し、それと引き換えに精神の拠りどころを見失った時代に麻原は自己の覚醒と人類の救済を掲げ、多くの若者が集まりました。
ところがそこで行われたことは、いのちの摂理とはまるで逆に、神々の名において命を救われるものと救われないものとに差別し、救済の名において悲惨極まりない事件を引き起こしました。
誠に誠に慙愧に堪えません。
現在、後継団体のアレフは、麻原が作り出した人間の善悪の根本を破壊していく教義と修行がどれほど危険で恐ろしいものであるか、全く自覚することも反省することもなく受け継いでいます。
当時と同じように人生に悩む若者達を仏教やヨーガの教えを悪用して引き入れ、教義を教え込み、修行させて、組織を肥大化させています。
麻原と同じように事件の責任を全く自覚することなく、デッチ上げとまで言いはじめています。
観察処分によってアレフを外部からチェックされていますが、それだけでは信者に人としての心を取り戻させることはできず限界がります。
当時と同じような事件が引き起こされるのは、時間の問題だと大変に危惧しています。
今、せめて一人の人間として、命のある限り、被害者の方々のお気持ちをかみしめ、オウム事件の全ての責任を自覚し、二度とこのような事件が起きないように、ほんの少しでもできることに努めています。
謹白
2018年2月6日 井上嘉浩