・『モンスター』(1)(2017年12月9日)
『モンスター』浦沢直樹著を拝読する機会がありました。オウム事件の真相にも通じる人の心の闇を照らす物語のようでした。
物語のおおまかなあらすじとエピソードについて考えてみたいと思います。
「そして私は、海から一匹の野獣がやって来るのを見た。それは、十の角と七つの頭を持ち、それぞれの角には冠が、それぞれの頭には神を侮辱する名前があった。(中略)竜がその権力を野獣に与えたため、すべての人々は竜を崇拝した。人々はその野獣をも崇拝し、そして言った。
「誰がこの野獣のようになれるのか。誰が野獣に逆らって戦うことができるのか」(ヨハネの黙示録 第13章1〜4)の引用から物語ははじまります。
1986年東独から亡命した政府高官リーベルト一家は、亡命直後に銃撃を受け両親は死亡、双子の兄は頭部に重傷を負い、妹はショック状態に陥ります。主人公ドクターテンマは少年のオペを執刀し、少年は一命をとりとめます。この時、テンマは院長に利害関係のある者のオペをするようにとの命令を無視して、先に病院に運び込まれた少年のオペをしたことで院長の娘との婚約を解消され、医者の出世コースを閉ざされました。
ところがその後、何者かに院長らは毒入りのキャンディで殺害され、兄妹は行方不明となり、テンマは出世することになります。
それから9年後、かつてテンマが助けた少年はテンマの目前で、連続殺人事件の重要参考人である彼の担当患者を射殺します。彼の名はヨハン。
「君を助けることで人の命の重さはすべて平等だって気づいたんだぞ、誰も人の命を奪う資格なんかない」と、テンマはヨハンを止めようとすると、「先生は言ってたじゃない。あの人達を殺したいほど憎んでたじゃない。先生の望む通りにしてあげたんだよ」と告げ、射殺し、「僕はあの時、死んでいたはずだったんだ。先生が僕を生き返らせたんだよ」と言い残し、ヨハンは去っていきます。
テンマはICUで眠っていたヨハンに院長らの仕打ちについて愚痴をこぼしていたのでした。
痛烈な責任を覚えたテンマはヨハンを捜す中で、ヨハンの妹ニナが狙われていることに気付きます。ニナをかろうじて助けたもののニナを養っていた夫婦らが殺害されます。
ニナは亡命直後の事件以前の全ての記憶を失っていたものの、ヨハンが自分達を養子にしてくれた両親を殺害し、それを知ったニナに、自分を額を撃つように言われ、ニナが撃ったことを思い出します。
BKA(独連邦捜査局)のルンゲ警部はテンマを状況証拠から殺人容疑で指名手配します。テンマは逃亡しながらも、老兵から銃術を学び、ヨハンを追跡します。
道すがらモグリの医者をするはめになったテンマ、相手が無差別テロ事件の犯人であると知ると治療を断ります。
「俺は今、死んでもいい気分なんだ」と犯人の旧東ドイツの元弁護士が語ります。「何が東西統一だ。何が資本主義だ。(中略)金にものを言わせて東に乗りこんできた。俺達の土地に強引に工場を作った、いくつもいくつも、あそこは俺達の国だ、俺は、誇りをもって奴を撃った」と、テロを正当化します。
犯人は散弾でやられており血が止まらず、テロリストの仲間に、「血ぃ止めろ、今止めろ、でなけりゃ撃ち殺す」と脅されますが、テンマは身動きもしません。
「死にたくない…、死にたくない」 と、死を目前につぶやくテロリストの姿を見据え、テンマは立ち上がります。
「死ぬのが怖いか!?みんなそうやって死んでいった!!
人を殺すのがどんなにひどいことかわかったか!?」
と、鬼の形相で叱咤して応急処置を施します。
隠れ家が警察に見つかり逃げる途中、
「治療を拒否した時のあんたの目は殺されるのを恐れた目じゃない、なぜ、こんな、無差別テロの人殺しを助けた」と尋ねる犯人に、「信じたからだ、おまえは人間だって」とテンマは答えます。
鬼の形相のテンマに私も叱り付けられたかのようでした。
死を本当に意識すると、頭で作り出し、とりつかれてきた大義や正義などは、つかみどころがなくなり、いのちと直面するほど、そのような理屈や感情は霧散していきます。
いのちがいのちとして生きようとする人としての心があふれてきます。
いのちの声に触れたとき、自分がどれほどひどいことをしたのか、痛感します。
旧東ドイツでヨハンの出身を探ることで、511キンダーハイムの特別孤児院にたどりつきます。そこは旧東ドイツの実験場。子供達を完全な兵士に変えるプロジェクト、精神改造、人間改造の研究、あわれみをまったく感じない冷徹な人間をいかに産み出すかの実験が行われ、やがて教官達をふくめて孤児院のメンバー全員が殺し合い、ヨハンのみが生き残ったと語られています。
他人事ではありません。教団ではLSDや覚醒剤の薬物を使用したマインドコントロールにより、麻原の手足として信者を兵隊にする実験が行われ、何人もの信者が亡くなっています。
私もLSDを大量に投与され、死の恐怖にさらされ、人格を崩壊寸前に追い込まれました。
511キンダーハイムの生き残りの教官と今も実験体にされている少年ディーターと出会ったテンマ。「世界は真っ黒だ、強くならなくちゃいけない」と、虐待されているディーターを、「世界が真っ暗だなんて大嘘だ、明日はきっといい日だ」と語りかけ、救い出そうとしますが、教官にディーターを奪われます。
廃墟と化した511キンダーハイムの夜の闇の中で、教官は全員が殺し合ったときのヨハンとの会話を再現します。
「一体…一体何をしたんだ」と。彼はこう答えた。こうして、油のしみこんだ布を焚き火にかざしてね、「人が集まると憎しみが生まれる。僕はそれに、ほんの少し油をそそいだだけだよ。」と、(中略)彼は予言した。人間は結局、みな憎み合い、殺し合う…ヨハンの目標は、なんだったと思うね?彼はこう言ったんだ。
この世の終わりに、たった一人生き残ることだ…とね。」
テンマはディーターに告げます。
「そこから降りるか降りないか、自分自身で決めるんだ!!
自分で決めろ!!君自身で決めるんだ!!」
教官とテンマが銃を向け合う中、「テンマのおじさんが言っていた 明日はいい日だって」と、ディーターはテンマのもとへ降ります。
麻原はヨハネの黙示録を悪用して、ハルマゲドンからの救いに導く子羊を麻原とダブらせて、オウムがハルマゲドン後の新しい世界を作ると位置付けました。そしてハルマゲドンを「地球規模で行われるカルマの清算」と説き、「あまりにも煩悩的になった人類は、やさしい顔をして法を説くだけでは救済されないだろう。現代は恐怖の神々の時代だから、神は人工的な火を使ってカルマ落としをされるだろう。それがハルマゲドンだ」と肯定しました。
「「勝利を得る者、私のわざを最後まで持ち続ける者には諸国民を支配する権威を授ける。彼は鉄のつえを持って、ちょうど土の器を砕くように彼らを治めるであろう」(テュアティラにある教会にあてた手紙)、これが武力で支配することだというのは誰にでも分かるだろう。力で良い世界をつくる、これこそタントラヴァジラヤーナの世界だ」と説き、武力革命を正当化していきました。
誤解を恐れずに言えば、額に刻印を押された者達のみが救われると説くような「選民思想」こそが、教団のように破壊的な結果を招くと言えるのではないでしょうか。
物語ではヨハンは額に指をあて撃つようにと合図しますが、その仕種はまるで額に刻印を押すかのようです。
「自分で決めろ!!君自身で決めるんだ!!」、テンマの声がいのちに響きます。神の意思や教えが決めるのではなく、いのちに向き合う自分自身の良心の声にこそ耳を傾け、誰一人のいのちも排除しないことこそ必要なことであったと、骨に徹しています。
2017年12月9日 井上嘉浩