・『プラネテス』 (2017年10月12日)
漫画『プラネテス』を拝読しました。
未来世界の宇宙で活動する航空士の物語ですが、宮沢賢治の「春と修羅」が引用されています。
「この不可思議な 大きな心象宇宙のなかで
もしも正しいねがひに燃えて
じぶんとひとと 万象といっしょに至上福祉にいたろうとする
それをある宗教情操とするならば
そのねがひから砕けまたは疲れ
じぶんとそれから たったもひとつのたましひと
完全そして永久にどこまでもいっしょに行かうとする
この変態を恋愛といふ」
主人公のハチマキは自分の宇宙船をもつために、その夢のため木星往還船の搭乗員となります。ですがその道は紆余曲折です。ハチマキは「正しいねがひに燃えて」いるわけではありませんでした。
「なかよしこよしは自分の人生を生きる度胸のない奴の言い草だぜ。<中略>独りで生きて独りで死ぬんだ。それが完成された宇宙船員だ」
と言い張り、無理を重ねていきます。
そんなハチマキに一つの転機が訪れます。同僚の搭乗員の訓練生が人類の宇宙開発を阻止するテロリストになり、ハチマキと対決することになります。テロリストは中東の小国の出身です。
「すっかり見限られた荒野にあるのは朽ちた油田とパイプライン
貧困が内乱を呼び 子供達は育たずに死に
先進国はぼくらに対人地雷と小銃しか売ってくれない
月がそうであるように 木星系の資源もまた宇宙開発先進国のものになる 我々は何も変わらない
君は知っている そばにいる者を踏み台にでもしない限り
星々の高みに手など届かなんということを」
とテロリストは語ります。このくだりに、毛皮など好き放題に略奪された動物たちがその張本人の人間にテロを仕掛ける宮沢賢治の童話が思い出されました。
「その引き鉄を引いて君は生まれ変わる
何の制約も受けず万難を避け ただひたすら夢の完成のみを目指す生き物に…」
「オレの相手は大宇宙だぜ?そのくらいでちょうどいいと思うよ」
「撃てよ そして修羅に堕ちるがいい 宇宙の破壊者に」
テロリストはハチマキに告げます。ハッとしました。まるでオウム事件です。救済という名のもとにおいて、障害となるものを力づくで排除して、修羅に堕ちてしまったのです。今にもテロリストを銃殺しようとするハチマキを修羅から救ったのは、部下の愛でした。それからハチマキは鎧のようにまとった自分の信念に疑心暗鬼となります。そして交通事故で海に投げ出され、生死の境で大切なことに気づきます。何もない闇の中に瞬いたのは、宇宙そのものでした。
「…ああ、ああそうか かんたんなことだったんだ
オレの宇宙はちっぽけだったんだ
この世に宇宙の一部じゃないものなんてないのか
オレですらつながっていて
それではじめて宇宙なのか」
物語は山あり谷ありと続きますが、「たったもひとつのたましひ」に気づいたハチマキは愛と結ばれ、「じぶんとひとと万象といっしょに」ハチマキなりに生きていきます。
宇宙とつながるとはどういうことでしょうか?宮沢賢治「サキノハカという黒い花といっしょに」がさりげなく引用されています。
「やってしまへやってしまへ
酒を呑みたいためにもっともらしい波乱を起こすやつも
じぶんだけで面白いことをしつくして
人生が砂っ原だなんていふにせの教師も
いつでもきょろきょろひとと自分とをくらべるやつらも
そいつらみんなびしゃびしゃに叩きつけて
その中から卑怯な鬼どもを追い払へ
それらをみんな魚や豚につかせてしまへ
はがねを鍛へるやうに新しい時代は新しい人間を鍛へる
紺いろした山地の稜をも砕け
銀河をつかって発電所もつくれ」
酒呑みも、にせの教師も、どんな卑怯な鬼も宇宙の一部なんだと、でもそこに逃げたり、閉じこもっていてはダメだと呼びかけているようです。あれほど自然と動物たちの世界を大切にしていた宮沢賢治が「紺いろした山地の稜をも砕け」と語っていることは目を引きます。人間の文明の進歩がどれほど矛盾と悲劇を作り出そうと、その歩みをあきらめてはいけないと、詩に託して訴えているかのようです。それは並大抵のことではありません。「冷夏に苦しむ人々のために、火山の力を使って気候をかえるために、死ぬとわかっててカルボナート山にのぼり噴火させたグスコーブドリ」のように。
それが宇宙とつながるということなのかもしれません。それは修羅になることとは似て非なるものです。そこには自己犠牲はあっても、他者に犠牲を強いることはありません。
愛を知り学ぶほど、自分自身の罪の痛みと悲しみがつのります。
2017年10月12日 井上嘉浩