・「地下鉄サリン事件から20年目の思い」 (2015年3月22日)
地下鉄サリン事件から20年です。自分達が事件を起こしていなければお亡くなりになられた被害者の方々やご遺族の方々、今も後遺症に苦しんでおられる被害者の方々はどのような人生を過ごしておられたであろうかと、思い巡らさずにはいられません。ただただ申し訳なくじっと静かに罪の痛みをかみしめています。
今、世界中で神の名のもとにおいて戦争やテロ事件が起きています。
多くの方々のかけがえのない命が奪われ、苦しんでおられるニュースに触れる度に、自分が犯した大罪による被害者の方々への思いと重なり、胸が突き刺されるように痛みます。
何故、神の名のもとにおいてこのような事件が起きるのでしょうか?
当時を振り返りますと、教祖であった麻原が掲げたハルマゲドン(終末思想にもとづく世界の最終戦争)から神々の意思により人類を救済するとの大義を妄信することで、唯一神々の意思を知るとされた麻原に善悪の判断を委ねることになりました。
それにより、自己の言動に対する社会人としての当然の責任感を、18歳で教団に出家して以来、「自分で考えてはいけない」との教えにより放棄してしまっていました。
麻原は救済の名のもと信者を手足として利用していましたが、信者に指示したことによる結果について社会人として全く責任感を持っていなかったと言えます。
教団の中では誰も自分達の言動に対する社会人としての責任を自覚することなく、神の名のもとにおいて自分達がすることは社会の善悪の倫理を超えた神に通じる絶対的な正義であると思い上がり、無責任な振る舞いがエスカレートしていき、大罪を犯してしまった面がありました。
「神の名のもとにおける罪の自覚の欠如」。これがカルト宗教の本質の一つかもしれません。
この実態を神=超越的存在をめぐる教祖と信者との関係から掘り下げていきますと、宗教上の信仰の実践が社会の法律を踏み越えていくメカニズムの一端が見えてきます。
カルト宗教の教祖であった麻原は、1986年に海岸で修行中に神から「神軍を率いて戦うミコト」になるように命じられ、神に「戦を用いてよいか」と問うと、神から「命(めい)を受けるべし」と啓示を受けたと述べていました。この啓示がオウム事件の全てのはじまりであったと言えます。
その後麻原は宗教戦争論を説きはじめ、人間を救う者と救われる者、非凡人と凡人に上下に区別する傲慢さにもとづいて、社会の法律を踏み越えていく権力、権利を神から委託されたと正当化していきました。
そして麻原は自分を神のような超越的存在であるかのように妄信し、自分が想像した神と同一化することで自分の野望を神の命令の如くに信者に命じました。
信者は麻原を神のような超越的存在であると妄信し、命令に服従することで神=超越的存在と同一化でき救われると(教団では仏教用語的に解脱できる)と錯誤しました。
このような神=教祖と信者との関係の中で、神は超越的存在であるが故に、神の名のもとにおける命令は社会の法律を踏み越えていけるという権力が与えられており、命令に従うことが人間社会の善悪を超えた神の絶対的な正義であると信者は信じ込み、教祖の命令に従ったと言えます。
このメカニズムは世界中で起きている宗教上のテロ事件にも共通するものがあるのではないでしょうか?
私は今、思います。
世界中に色々と宗教があり、信仰者は自分が信じる神や教えが正しいとそれぞれの人々が考えています。しかし、たとえ信仰する神が自分にとって絶対的存在であったとしても、だからといって自分の判断や行動までもが神のように絶対的に正しいものになるわけではないと自覚する謙虚さが必要であったと、自分の過ちから痛感しています。
人間は神とは違い、どんなに神を信仰しようとも神にはなれず、どこまでもやはり人間であり、過ちを犯す生き物だからです。神の名において自我の欲望を神の命令のごとく正当化することなどあってはならないことでした。
振り返れば救いを求め、絶対的な存在として崇められた神や人と一体化しようとしたことそのものが他者への共感を見失う人間性の喪失の始まりでした。
オウム事件では多くの方々のかけがえのない命を犠牲にして、自分達が信じる救いを社会に押し付けました。これほど罪深く愚かなことはなかったと慚愧に堪えません。
救済の名のもとに二度とこのような事件が起きないように、一人の人間として罪を見つめ、罪の責任を自覚し、何ができるか、迷い考え続けながら、いのちある限り一つ一つ行っていく所存です。
2015年3月22日 井上嘉浩