福田・井田市長の12年間

 (1)福田市長時代

   この8年間は全く停滞した時代であった。 
   福田市長は、自己所有の福田記念病院拡張のため、芳賀日本赤十字病
  院(日本赤十字の総裁は皇后陛下)をも閉鎖に追い込もうとした。
   芳賀赤十字病院はこの時、3棟ある病棟のうち、2棟まで真っ暗(不稼働 
  状態)になってしまった。 この時被害を被ったのは、病人・高齢者・救急患
  者であった。 特に通院患者は、交通ベガ悪いにもかかわらず、遠方の病 
  院に行かなければならなかったことである。 また、救急患者は芳賀日赤ま
  での距離に加え20〜40分も遠い病院まで搬送が余儀なくされたことであ 
  った。 
   福田市長は目論み通り行かなかったことだろう。それは、芳賀日赤の患者
  の殆どが、市外の病院を選択したからである。
   市長2期目の選挙時に、対立候補のキャンペーンに遭い(マスコミの地域
  病院存続に関わるニュースが紙面を踊ったのである。)、野望断念に追い込
  まれてしまった。
   (注、このころ日本全国各地で市民病院の存続の嵐が吹き荒れた)
   その後、芳賀日赤病院は、自治医大の支援を受け再生することが出来  
  た事は周知に事実である
   
   その次に、福田市長は、環境保全を名分に、新ゴミ焼却場建設に邁進す
  る。 125億という建設費は、美味しい糧となったことだろう。 しかし、種々
  の理由により、建設業者タクマから前渡し金があった後に、契約が破談とな
  り、前渡し金の返済を迫られているようだ。 (当時の談合者は、井田市長 
  時代になっても結束は堅い。それは、石坂・平塚両氏が未だ健在であるか 
  らであろう。)

   その他、スケート場の廃止しダンス場に変更(5〜6千万円の無駄使い) 
  等、無計画行政が明るみに出てきたことは周知の通りです。

   それでも、真岡市民は福田を市長に選んだところは、立派なのかアホなの
  かどう解釈すべきなのか?

 (2)現井田市長なって

   井田市長は、福田市政を受け継ぎ、新ゴミ処理場の建設を着工、26年4 
  月より稼働開始。 ゴミ量を削減するという名分で、1枚50円のゴミ袋を市 
  民に負担させている。 市民は良い迷惑である、今までのゴミ袋の12.5倍
  という料金を払わなければならないことになったのである。
   今まで使用していた高岡のゴミ焼却炉はどうするのか? まだまだ使える
  施設であることは間違えない。 (また、名分を考えて裏取引なのかな?)

   2期目に入った作今、庁舎内部でしか知り得ない文書が主だったところに
  配布されはじめた。 何事も度を過ぎると大惨事が起きるのを防ごうとする 
  人たちはいるものである。 (別頁に全文掲載中 内部告発か?真実は?
   また、街角美術館(旧久保邸)の改築工事には、市内の業者が1社も入っ
  ていないという奇妙事も起きている)

  真岡市民の皆さん、早く目を覚まそうではありませんか。 民主選挙で最悪
 のケースになっています。


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