「倫理」に失礼な倫理委員会

 先の市会議委員選挙で、現職市長の特定候補者を市庁舎内引き回し事
件。 
 公職者の公正公平は、法律以前の問題でありながら、法律にも公平性が
謳われていることは明確である。 にもかかわらず、倫理委員会が立ち上
げられ審査した結果が公表された。
 その結果内容は、誠にお粗末な内容である。 現実に現市長が行った特
定候補者への支援事実が明白でありながら、偶発的出来事として処理し
た、と言うものである。
 選挙にまで公平性が無くなっているにもかかわらず、その倫理委員会が
追認をしたという事実も、事実である。 当に民主主義のなれの果てであ
る。 
 何が公平で、何が公正なのかが問題ではなく、権力イコール傍若無人で
ある。 常識人であるならば全く考えられない事象である。

 おそらく「倫理」を知らない委員会なのか、権力におべっかを使った委員
会か、それとも買収された委員会なのか、このどれかに相当していること
だろう。 委員が「倫理」に反しても守りたいものは何か知りたいものであ
る。 はっきり言えば、倫理無き者が倫理委員会を開いたことである。
 事実があるにもかかわらず、「偶発的」として処理できることではない。権
力者の行動が偶発的で片付けられるならば、民主主義は崩壊してしまう。

 地域自治体の最高責任者は、偶発的で責任逃れが出来、責任を取らな
いで済むことになる。 これを承認する倫理委員会も同類の集団であろう。
 もしも、一般市民が職もなく金もなく何日も空腹を抱え、最後の手段でお
にぎり一個でも万引きしようものなら犯罪になってしまい警察に検挙される
事は間違いない。

 ここで「倫理」を確認してみよう。

「倫理」とは、「人倫のみち、実際道徳の規範となる原
理」であり、道徳そのものである。
また、「人倫」とは、「客観化された理性的な意志」

「倫理委員会」とは、「自らの活動の倫理面での向上
のため設置する委員会」であり、自浄能力に欠けた集団
が第三者により正常化するための委員会である。

 現役市長が、自分の選挙が無くなり、その嬉しさの中で横暴になったの
か、それとも立場も解らず行ったのか、または自己利益のために行ったの
か、この3つのどれかであることは間違いない。
 真岡住民・市民をバカにしたのか、それとも本当に倫理観がないか?。
逆に、真岡市民が倫理も解らない人間を市長に選んだ事は間違いないの
で、市民一人一人が倫理観の欠けた人間なのか?。 どちらにしても民度
の低下であることは間違いない。
 恥ずかしい限りである
 倫理を論ずるには、それなりの知識と幅の広い経験が必要であり、人間
教育の手本になれるような人間でなければならない。 この委員会は、自
己満足型の人間集団としか言いようがない。 儒教・道教の中に倫理の在
り方は記されている。 勉強してください。

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