利権の構造は、有史以来の大きな問題となってきたが、科学文明の発達した現在にまでそ
の狡さを持ち越しているというのは、人間の性なのかそれとも遺伝なのか、精神的文化の進歩 が見られない証拠でもあろう。
特に、近代資本主義国家における「自由と平等」は、今や死語のようになっているようだ。
選挙と言えば「金権選挙」が常套手段になり、選挙に使った金額分は利権の収賄で取り戻すと
いう悪循環が続いているのも事実。 また、近頃は立候補者の資質よりも単なる人気投票と言 う場面も多々見られることも事実。
このような選挙が続いているうちは、人間らしい社会の創造などはあり得ない。 その根源と
なるのが教育の貧困である。 しっかりした教育こそがよりよき社会の創造に繋がることだろ う。
しかし、現在の教育界自体が、癒着の温床になっているのであるから、正常な社会への脱皮
は難しい。 読者諸君は知っているかどうか解らないが、現各自治体の教育委員会のありよ うが、全てを物語っている。 いい例が、「いじめ」問題が起きると必ず隠蔽へと走り出す。こ のやり方は、全国津々浦々皆同じである。 この行為を子ども達は見ているため、子ども達 の脳の中には潜在的に刷り込まれてゆくのである。
国家の構造や法律が進展してゆく中で、精神文化が追いつかないと、必ずその立場を利用
しての横暴が始まり、長い間にそれが当たり前のようになる。 全く恐ろしい世の中である。
特に、正直な国民には、「まさか」という言葉で眼中に入れていないうちに、世の流れがその
ようになって、気がついた時には抜けきれない状況になってしまうのである。
続きは後ほど
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