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 2000年「誕生のいきさつ」

 2000年の晩秋のことです。
京都市西京区洛西ニュータウンの東南にある京都市立西陵中学校では、秋の大きな行事が一段落し、キャンパスにふたたび静寂が満ちていました。
 当時、中3生だったオクイくん、ヤマザキくん、ヨシオカくんという3人の生徒が、受験前の気晴らしとして、余暇のスポーツに選んだのがフリークライミングでした。
「一度クライミングをやってみたい」という思いを木村先生に伝えたことから、すべてが始まりました。

 3人の生徒は「ほな、行こか」といった乗りの軽い先生と、アッチやコッチに行って登って遊びました。

 そのうち、「おもしろいことしてはる」と聞きつけた下級生が1人、また1人と寄ってきました。人数が増えだすと、だんだんにぎやかになってきました。ギャーギャーわめきながら、たのしく登って遊びました。回数を重ねるうちにみんな上手になりました。また、いろんな人に出会って感化を受けました。いろんな人の中には、茨城県の小林姉妹もいました。「いました」だなんて失礼しました。
「おられました」です。

3人が卒業の頃には、クライマーの人数は8名になっていました。


第4回ユースチャンピオンシップの会場Tウォール錦糸町で、小林姉妹とタカノさん
 翌年2001年の春3月15日に、最初の3人の男子生徒は卒業していきました。
オクイくんは舞鶴高専に進学しました。舞鶴に仲間を得て、今もクライミングに親しんでいます。ヤマザキくんとヨシオカくんは京都市内の高校へ進学しました。2人ともクライミングは続けてないようです。2人にとってクライミングはひと冬かぎりのすてきな体験だったのでしょうね、きっと。


 2001年「西陵中学校の同好会になる」

 2001年4月に、中学校に残った下級生5名の思いがかなって、西陵中学校の体育系部活動の同好会として発足しました。初代同好会キャプテンは女子のエース山口華子さんです。
京都市中学校体育連盟ワンダーフォーゲル専門部にも加盟しました。そして、京都市中学校春季総合体育大会クライミング競技会出場をめざしました。

 京都市中体連の登山競技関連部門をワンダーフォーゲル専門部と呼んでいることから、西陵中学校のクライミングクラブも専門部の名前をいただいて、「西陵中学校ワンダーフォーゲル同好会」という活動内容とは不釣り合いな名前で呼ぶことになりました。
 言うまでもなく、活動はワンゲルの野外活動とは異なり、スポーツ施設クライミング中心です。同好会の生徒のユニホームには「climbing mates club Rock Monkeys」というロゴが描かれています。


 2002年「西陵中学校の部活動になる」
 2002年4月には、西陵中学校の体育系同好会から部活動へ昇格。わずかですが、予算がつきました。2代キャプテンに男子エースの佐々木悠吾くん。

 山口華子さんは高校進学後もクライミング練習のために、西陵中学校のクラブ練習に参加しています。


 2003年「中高6年制の地域スポーツクラブへ」
 山口さんだけでなく、これから卒業していく本校出身者の多様な進路を考えると、現在の中学校部活動から更に規模を拡大した「中・高6年制の地域スポーツクラブ」としての運営が必要になってきました。山口さんに続く佐々木くんの卒業を機に、中学生と高校生が集うクライミングクラブを「Kyoto Climbing Mates Club」のクラブ名で2003年4月1日からスタートします。


 2004年「Kyoto Climbing Mates Club」全国に轟く
 競技会で活躍するクラブの選手によって、大会ごとに日を追ってクラブの名は全国の少年たちに知られるようになりました。「京都に強いクライミングチームあり。京都クライミングメイツクラブ。男子選手の筆頭に佐々木悠吾くん、女子選手の筆頭に梶山沙亜里さんがいる。まだまだいるぞ、カンちゃん、マッちゃん、コウくん。そして、期待の新人たち」


 2005年「Kyoto Climbing Mates Club」次々と入賞
 2004年には佐々木悠吾くんが日本男子ユースのチャンピオン、続いて2005年には梶山沙亜里さんが日本女子ユースのチャンピオン。おかやま国体でも佐々木悠吾くんは清水くん(中体連嘉楽中学校WV時代からの旧友)とペアで少年男子第1位、梶山沙亜里さんは木田さんとペアで少年女子第1位に輝きました。12月には井本美帆子さんがアジアユース選手権香港大会女子Bで金メダル、佐々木悠吾くんもユースBで銀メダルに輝きました。本年は地方大会でも入賞を重ね、京都クライミングメイツクラブの黄金の一年となりました。


 2006年「Kyoto Climbing Mates Club」邁進中
 2006年も元気よくスタートしましたが、主力選手である梶山沙亜里さんに体育の授業で事故があったり、地元京都の競技団体関係者(一部の者)のスポーツクライミング競技の普及・選手の育成に対する中傷を見聞するようになりました。選手自身に起こる障害、地域社会のおとなが生み出す障害、順風満帆には進まないようです。
 一方、嬉しいニュースも飛び込みました。京都クライミングメイツクラブの母体である西陵中学校校下の福西小学校にクライミングクラブが誕生しました。大勢の児童が参集した様子です。


 2007年「Kyoto Climbing Mates Club」第3次選手団誕生
 前年末から今春まで続いた様々な厄事を払拭し、2007年がクライミングメイツの幸運の1年であることを強く祈念します。
 さて、春に新入部員が10名入部してきました。山口・佐々木等の第1次選手団、梶山・井本等の第2次選手団に続く第3次選手団の誕生です。現在、リーダーの梶山、高岩、井本のコーチを受け、成長を続けています。


 2008年 第3次選手団、追い風に乗る
 新入部員は1年が経ち、いよいよ力試し。京都市中学校春季総合体育大会・第12回クライミング競技会へ総エントリーしました。そしたら、男子最高得点同点1位が3名、女子最高得点同点1位が2名という前代未聞の出来過ぎの結果となりました。
 ただし、ローカル中学生大会でのことです。全国へのハードルはまだまだ高い。これからが、本番だ。がんばれロックモンキーズ!


 2009年 閃光となるか、さいごの2名 

「長い間ありがとうございました」という言葉を残して、昨年2008年の夏の終わりに高3になった井本美帆子はクラブを卒業しました。
 続いて暮れの12月に大学1年になっていた梶山沙亜里も井本を追って卒業しました。梶山は現在も大阪PUMPでアルバイトしながらソロで続けています。

 京都を拠点にがんばっていた二人を長く愛し支えてくださった全国のみなさまに厚く御礼申し上げます。お世話になったお一人お一人さまの下へ出向いて御礼を申し上げたいのですが、失礼をお許しいただき、取り急ぎ本稿をお借りして感謝と御礼の意をお伝えしたいと存じます。ありがとうございました。

 つづいて、「栄光をありがとう」という言葉を残して本年3月に中山知靖が中学校を卒業。同時にクラブを卒業。彼は中2の4月にクラブに入り、翌年の10月までの1年半という短い期間にOn site 5.12D、Red point 5.13Dまで成長した稀に見る真面目に努力したスポーツマンです。今、彼自身が望んでいた陸上選手として高1の夏をインターハイを闘っています。

 さて、その中山に引っぱられてがんばっていた選手が2名、まだ中学校に残ってます。藤本崇登と新城綾那です。しかし、彼らももう3年生です。第3次選手団さいごの2名が今夏を目標にがんばります。
夏のさいごの日まで魂を燃やし、汗をかけ!


 2010年 クライミングが好きな生徒たち

 京都クライミングメイツクラブの基盤が、京都市立西陵中学校の部活動であるかぎり、新入生は途切れません。藤本崇登と新城綾那のさいごの2名で区切りかな…と思っているうちに、第4次選手団が誕生しました。今までにないキャラのおもしろいちびっ子生徒たちです。

 藤本崇登は猛勉強で有名な某私立高校へ進学しました。彼自身の運動不足解消を兼ねて練習に来ています。彼の弟の脩至くんも入部しました。新城綾那は「スポーツがないと生活に張りがない」というくらいのスポーツ好きで、皆勤で練習に来ます。「井本美帆子からあとの高校生は採らないでおこう」という方針は、スッと消えました。つまるところ、人と人のつながりからすべては始まるんだなと思います。

 中学校の近くに黒住樹人さんが主催するボルダリングジム「ルカ・ラ・ガーム」ができたことで練習形態が変わりました。生徒はまるでホームグランドであるかのようにルカ・ラ・ガームへ通います。黒住樹人さんと奥様はとてもお優しいかたで、生徒はすっかりお世話になっています。


 2011年 山椒は小粒でピリリと辛い山椒ブラザーズ&シスターズ

 2010年の暮れに行われた第1回全国高校生大会で、新城綾那が入賞できて喜びのうちに年を越しました。さて、初春は千葉県印西市の大会へ!と気勢を挙げた矢先に、先の東日本大震災という大変な事態となり、関西の自分たちでさえ右往左往している間に、春が一気に駆け抜け、初夏となってしまいました。

 藤本崇登は勉強で動けなくなり、新城綾那が一人でクラブをひっぱています。そうすると、妙なもので、クラブ卒業生の梶山沙亜里や井本美帆子がそれぞれの立ち位置からクラブを支えるムーブメントを起こしてくれます。ほんとに、人は一人で生きてるのではないことを思い知ります。

 第4次選手団の上級組が今年3年生になりました。ちっこかった山椒ブラザーズが卒業学年になりました。秋まで地方大会を丁寧に消化できれば幸いです。そのあとは受験だぁ!

 只今、部員募集中です。夏季休業までに入ってくれると次年度の春季からの競技会で活躍できます。募集と言っても、西陵中の部活動ですから、西陵中生徒に限りますが…


 2012年 ユニークな10名の新入部員

 2012年4月、サプライズです。新入部員が10名やってきました。
これには、ちょっとしたわけがあります。2011年の6月に西陵中学校にボルダリング壁が誕生。仕掛け人は梶山沙亜里さんの御尊父。梶山さんの部屋に設営してあったプライベイトウォールを移設していただきました。高さ270cm×幅6m30cmの壁はけっこうな存在感があり、新入生へのアピール度がよかったというわけです。

 リーダーの新城綾那は高校3年生。「夏のJOCまでがんばります! 夏が終わったら引退して受験に向けて学業に専念します!」と夏までのガンバリを宣言して練習しました。リーダーらしく最後のさいごまで背中で後輩を引っぱります。

 新入部員の指導は、中3生の藤本脩至くんが一手に引き受けます。1年生は藤本くんに敬意を持って接し、藤本くんは実によく1年生の面倒を見ます。学校部活動ならではのよりよい人間関係づくりをめざした活動の姿です。


 2013年 さらにユニークな9名の新入部員登場

 2013年4月、またまたサプライズです。新入部員が9名やってきました。このクラブが誕生した2000年に生まれた生徒たちです。
西陵中北館4階のボルダリングルームを訪れた新入生が「おもしろいことしたはる…」と関心を持って入部しました。梶山先輩の壁は新入生を虜(とりこ)にするパワーに満ちています。

 中学生リーダーが中2の堀田豪くんと宮本流星くんにバトンタッチされました。二人のリーダーはほんとによくガンバリます。


 2014年 さらにおもしろい4名の新入部員登場

 2014年4月、新入部員が4名やってきました。4名中2名はブラザーズです。お兄ちゃんの姿にあこがれて入部しました。

               

 西陵中ワンダーフォーゲル部には、いつでももう1名の顧問がいます。今までホームページでは紹介を控えていましたが、古代の里から京へ上られたお姫さまが2014年4月より就任です。

 また、小学校6年生にもクライミングをめざすシスターズが3名在籍。2015年春体がデビュー戦となるよう頑張ります。


 2015年「京都クライミングメイツ」独立!
 京都クライミングメイツクラブは、西陵中学校の部員生徒と卒業生を支援する目的で誕生しましたが、2015年3月末日、クラブ代表者が西陵中学校を退職したため、中学生の自動加入はなくなり、加入の意思確認が必要になります。したがって、京都クライミングメイツは西陵中ワンダーフォーゲル部から独立しました。
 それでも、加入条件は以前と同じで、西陵中学校ワンダーフォーゲル部員と部の卒業生とその弟妹であることに変更ありません。


 2016年 2名のクラブ員が入りました
 クラブ誕生から16年の間にスポーツクライミングの認知度はたいへん上がりました。「クライミングがしたい」という小学生が増えています。ボルダリングジムもずいぶん普及しました。
 そんな時代の変化を受けてか、西陵中学校ワンダーフォーゲル部には小学生時より熱い気持ちを抱いて新入部員が入ってきます。ご家庭の期待も大きいです。その進入部員の中から2名の男子生徒が京都クライミングメイツクラブへ入りました。彼らの成長がたのしみです。


 2017年 クライミングを生活に生かす
 最近、みなさんがふつうに「ボルダリング」とか、「クライミング」という言葉を使われます。17年前は「あやしい言葉」だったのに、今ではすっかり市民権を得ているようです。時代が追いついてきたと言うのでしょうか…。

 現在、13歳から20歳までの12名のクラブ員が活動しています。お互いに支え合う切磋琢磨の異年齢同窓の素敵なコミュニティーです。
京都在住のOBには何かとお手伝いをしてくださるかたがおられ、感謝しております。また、保護者のみなさまはクラブサポートチームを結成され、競技会には大応援団となって来てくださいます。さらに、ご自身もすっかりボルダラーになられたお母さまもいらっしゃいます。

 今、2017年立春が過ぎたところです。クラブ員はそれぞれに直近の将来に向けて夢を持っており、夢に向かって前進しています。夢を叶えるためには、気持ちと身体条件を高めようと、クライミングスポーツに親しんでいる様子です。

 クラブのみなさん、あなたの生を力強く歩みましょう!


 2018年 クライミングで試す

 昨年の晩秋、「春に目標を置いて、個々人の力を上げよう」と呼びかけました。
中学生最後となる春の大会を目指す者と、U19最後の大会になる者は、特に節目となる春です。

 とは言ってみても、突然練習メニューを強化しても「今日できないものが明日できるようになる」わけではありません。個々人の弱点を個々人が見つめ、身の丈にあったメニュー改訂を考え出すことが必要です。どう考えたか、どう歩んだか、ということがたいせつです。思考→実践→検証を練習スタイルとできるように練習ごとに話し合っています。

 節目を超したら新しい世界へ進み出し、自分で考えることを実践し、遠方を見つめる視野を育み、自分を生かす姿勢を一貫し、新しい人生の礎をつくってほしいです。

クラブのみなさん、あなたの生を力強く歩みましょう!



 2019年 大勢が巣立ちました

 3月のリードジャパンカップの終了をもって、20歳になる2名のリーダーが巣立ちました。

 つづく、ユースチャンピオンシップの終了をもって、新高3生は、ほぼほぼ学業専念のコースを辿っています。

 今春、高校を卒業した生徒は、大学や実社会に向けて力強く巣立ちました。

 今、クラブの看板を背負うのは、お世話役のおとなの隆真くんと、お世話を受ける側の虎丸くんの2名です。虎丸くんは高3ですが、夏まではアスリートとして鍛錬を続ける道を歩みます。彼の気持ちは勢いを増しています。

 明確な「解散宣言」を失念するうちに、ノートルダム寺院の如く、Climbing Matesは姿を消しつつあります。しかし、孤軍奮闘する虎丸くんと彼を支える隆真くんを応援しましょう。

また、大勢いのクラブOBのみなさん、みなさんそれぞれの生を力強く歩んでください!


 活動方針
かつて、「スポーツクライミングを通して、人に学び、目標に向かって努力する姿勢を伸ばし、心身共に健康でたくましい人、社会に貢献する人をめざす」ことを信条に、クライミングのスキルアップをめざして活動しました。


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