チーム紹介

☆「オール調布」の歴史ってどんなの?

   全調布硬式野球倶楽部は昭和30年、調布市施行の年に創部しました。
  現在は、調布市役所をはじめ、市体育協会・地域の野球愛好家・明治大学野球部の協力
  を得て活動を行っています。



☆「オール調布」ってどんなチームなの?

  全調布硬式野球倶楽部は、創部50年の伝統あり社会人野球のクラブチームです。日本野
  球連盟-東京野球連盟に所属し、調布市を中心に全国で活動をしています。



☆「オール調布」ってどこで活動しているの?

  練習は、主に調布市の甲州街道沿い「東京スタジアム」の隣り関東村(A-1)で行います。
  明治大学の協力を得れ明治大学グランドを使用することもあります。

                   


『全調布硬式野球倶楽部の歩み』


    我ら野球バカ

          戦い続けて46年・・・・・



 全調布硬式野球倶楽部は昭和三十年、調布市施行の年に創部しました。

チーム結成には市職員の飯田正純氏が初代部長となり、監督に元助役の堀本節三氏、選手
に現助役加藤哲朗氏、山家嗣人氏、小鳩重春氏、増岡七郎氏、徳満賢三氏、(故人)満木久
時氏等が「調布が市になった記念にわれわれのチームを作ろう」と街の野球好きの仲間に呼
びかけ「軟式では元足りない!硬式にしよう。」と熱いで結成させました。職員八名によって一
般市民から選手を募り六名が入部し合計十四名でのスタートとなりました。

 その当時、お隣、府中市クラブチーム(全調布)が華々しい活躍をしていましたが、我がクラ
ブは形は整ったものの企業チームのようにお金はない。そのうえメンバーの職業、職場もそれ
ぞれ違うため揃って練習しる暇もない。道具は各自自前、ボール、バットも少なく、ボールの縫
い目が切れれば各自持ち帰り縫い合せてまた使用していました。大会参加費、連盟費の支払
いも苦しく、資金集めの毎日でした。しかしどんな事があっても大会には必ず参加しようを信念
に監督、選手一丸となり戦い続けました。

 その状況の中チームを引っ張ってきた、創始者、飯田正純部長が昭和四十四年に逝去さ
れ、もはや全調布もこれで幕を降ろすのかと思いましたが、周囲の方々から強い要請があり
「故人の想いを消さないでほしい」「調布唯一のクラブチームをここで終わらせる訳にはいかな
い」そんな想いで引き受けることを決意しました。しかし、引き受けたものの運営するだけの資
金援助の道もなく、私も会社勤めのためチームの運営費を自分の給料の中から遣り繰りする
始末でした。それでも賄いきれずOBの方々、選手より会費をお願いする日々が続きました。

 振り返ると、この四十五年間の成績は、405試合62勝328敗15分(オープン戦を含む)成
績は不本意ですが数少ない勝ち星には、一戦一戦の想いが脳裏から離れません。

 しかし、負け続ける我々にも野球ファンの暖かい声援や新聞社など声援記事が心の支えに
なりました。

「さわやか健闘クラブチーム」「連敗、完全出場二十年」「伝統誇る街のチーム」「勝利の味より
参加!参加!」「がんばれオール調布 夢は東京都代表」この声援の中、昭和五十四年春、
強豪東芝府中に三対二で勝利し地区優勝、そして関東大会に出場できたことは今でも忘れる
ことができません。

 ここ数年は選手層も厚くメンバーも三十五名になり実力も徐々についており、幾度となく強豪
チームを下してきました。

 近年、社会の経済状況により、社会人野球部が解散、統合され、チームが激減しておりま
す。将来は企業チームからクラブチーム主体へと変わって行くではないでしょうか。この厳しさ
は我がチームも例外ではありません。この苦境を乗り越えクラブチームの火を消すことなく頑
張って行きたいと思っております。

 今後は、調布市民主体のチームにし、調布市に四十五年の歴史を持った硬式野球クラブが
あることを誇りに思えるようなチームにして行きたいと考えて降ります。その為にも市役所スポ
ーツ振興課、(社)調布市体育協会のご支援とご協力を切にお願いいたします。

 また、地元住民の暖かいご声援とご支援を心よりお願い申し上げます。

 最後になりましたが市内の野球愛好家の皆様のご入部をお待ちしております。

        


                         全調布硬式野球倶楽部 総監督 相澤芳夫

                               「社団法人 調布市体育協会だより」より
                                           平成13年3月13日






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