2006年 地理教材研究会春の例会 巡検報告

(文責・井ノ元宣嗣)

 

日時:2006527日(土)

集合場所:近鉄南大阪線藤井寺駅改札口 1030分集合

テーマ:【南河内の古墳群・古社寺・古道をめぐる】

案内者:川内眷三先生(四天王寺国際仏教大学)

参加者:13

 

 

5271030分、近鉄藤井寺駅改札口に集合。案内いただくのは四天王寺国際仏教大学の川内眷三先生。本日のコースの地形図とレジュメを配布。簡単に巡検コースの説明を受ける。

今回のテーマは、【南河内の古墳群・古社寺・古道をめぐる】であり、主に藤井寺市の中心部をめぐるコースである。コースならびに説明ポイントは別図の示すとおりである。

 以下、説明のあったポイントを順にあげていく。

@古市街道

藤井寺駅のすぐ東側を南北に走る街道である。駅周辺部では、生活感溢れる地元の台所とも言うべき商店街となっている。

この街道は別名「巡礼街道」といわれることからもわかるように、現在の藤井寺市の市名の由来ともなった葛井寺への参詣道として発展をしてきた。大阪(平野、天王寺方面)から観音さんへ参る人々が行きかった道である。

「岡」という集落は、この交差点で古市街道と長尾街道が交差している。長尾街道は、泉州堺〜河内中央部〜大和を結ぶ道である。

 

A葛井寺

 行政の藤井寺市とは漢字が違う。西国三十三箇所観音霊場の5番札所である。本尊は千本観音菩薩坐像で国宝である。天平時代の代表的仏像とされる。

 藤井寺駅から当寺までは小さな門前町が連なる。一方で寺の南側は静かな住宅街となっている。

 

B辛国神社

 葛井寺の南西約300mに位置する神社。「辛国(からくに)」という名が示すように、渡来人によって建立されたという説もある。

 旧の藤井寺村の神社(氏神さん)であった。

 境内は樹木が美しく、大阪府の「みどり百選」にも選ばれている。

 

C春日丘住宅

 藤井寺駅南側は昭和初期に住宅開発された地域である。1925年、大阪鉄道(大鉄、現・近畿日本鉄道)は、郊外の沿線・藤井寺に住宅地や、自然体験学習のための花卉園や果樹園を備えた「教材園」、相撲場などのスポーツ施設を備えた「藤井寺経営地」の計画を立案した。これは大正期から関西各地に誕生した中流階層を主なターゲットとした一団地開発型の郊外住宅地の事例といえる。斜交の街路が特徴。

 近年では、世代替わりのためか敷地が分割され分譲されている事例も見受けられる。

 

 

D仲哀古墳(岡ミンザイ古墳)

 羽曳野丘陵北東部外縁分に形成された洪積段丘に前方部を南南西に向けて築かれた大型前方後円墳である。周囲を主軸線上で幅50mを測る広い周濠をめぐらせている。古市古墳群の1つである。

 仲哀天皇は、応神天皇の父とされるが、出土品を調査すると、当古墳の東側に位置する応神天皇陵よりも新しい時代に築かれたものとのことでありもあり、実在を疑う説もある。

50m以上の周濠が巡らされているが、中世に城砦として利用されていたため、部分的に改変されている。

 

E野中寺

 建立は奈良時代といわれる。境内に残る、法隆寺式の伽藍配置跡が特徴である。聖徳太子を開基とし、蘇我馬子の造立とされる。一般に「中の太子」とよばれており、太子町の「上の太子」・八尾市の「下の太子」とともに河内三太子といわれる。

 

F竹内街道

 野中寺の南側を東西に走る街道。泉州堺から南河内をほぼ東西に横断し南大和に通ずる。大和との国境を竹内峠(現・南河内郡太子町と奈良県葛城市との境)で越えることから、江戸時代からこの名称で呼ばれた。

 

 

 その後、野中寺前から近鉄バスに乗車。研究会会場でもある、四天王寺国際仏教大学へ向かう。

 キャンパス到着後、昼食のため一時解散。緑豊かな、広々とした美しいキャンパスである。

 再集合の後、校舎最上階より大阪平野を鳥瞰する。南側の金剛山・泉北のニュータウン、東側の柏原の果樹園(ブドウ畑)・生駒の山々、北側には大阪平野が一望でき、遠くは北摂や六甲の山々もくっきり見ることが出来た。