月刊カノープス通信
2005年7月号

 目次 

・季節の便り『ゴーヤの季節』
・今月の勘違い
・近況報告『夢の連続ドラマ・その2』
・読書録特別編『ブックバトンに回答しました』




 季節の便り『ゴーヤの季節』 

 ゴーヤが美味しい季節ですね。
 私、ほんの数年ほど前まではゴーヤなんて食べたこともなかったんですけど、ここ数年、我が家ではすっかりゴーヤが夏野菜の定番になっています。

 きっかけは、一昨年の夏。当時のこの通信でも書きましたが、お隣さんが家庭菜園にゴーヤを植え、それがフェンスを乗り越えてうちの庭に侵入してきて、お隣さんに、おたくの敷地になった分は好きに獲って食べていいよと言われたのです。
 そのゴーヤが、まあ、大量になること、なること……。最盛期には、毎日毎日獲り放題、食べ放題。お隣さん、ありがとう!

 そして、毎日のようにゴーヤを食べているうちに、最初はそんなに美味しいと思わなかったのが、いつのまにか病み付きに。
 最初のうちは、苦味を抜くために塩もみや湯通しをしていましたが、そのうち苦味そのものが好きになってきて、今では、特別な下ごしらえ無しで普通に切っただけの生のゴーヤを、そのまま調理してしまいます。
 ネットで調べたり、オリジナル料理を工夫したりして、ゴーヤ料理のレパートリーもずいぶん増えました。チャンプルーに天ぷら、炒め物いろいろ、サラダにカレーにチーズ焼き……。

 中でも私の一番のオススメは、おかかしょうゆ炒めです。
 前にもレシピを紹介したような気がしますが、薄切りにしたゴーヤ(好みで塩もみや湯通しなどの下ごしらえをする。苦いのが平気なら下ごしらえは不要)をサラダ油で炒め、カツオブシをかけて醤油をかけて、最後にバターをちょっぴり落とすだけ。バターは、入れなくてもいいです。

 あれ以来、お隣さんは庭にゴーヤを植えなくなりましたが(植えたらまたうちの庭に入ってきちゃうからでしょう……(^_^;))、今では、スーパーで買って来てまでゴーヤを食べています。
 昔は、あまり売っているのを見かけなかったり、あっても値段がすごく高かったゴーヤが、今ではすっかり普通の野菜としてスーパーの野菜売り場に定着していて、値段も安いとあって、ありがたい限りです。

 ところで、ばかばかしい発見ですが、ゴーヤを食べながら白ワインを飲むとビールの味になりますよ!
 私はビールよりワインのほうが好きなので、ワインがビールの味になっても別に嬉しくはないんですが……(^_^;)
 大人の方は、面白いから、よかったらひとつ試してみてください。





 今月の勘違い

 またまた我が家のとんちんかん会話集です。
☆夫の実家に行った時の、義母の近況報告。
 義母「このあいだ、ジャスコ行ってさあ……」
 夫「えっ、ギャースカ言って? 誰が?」
 義母は『ジャスコ』を『ジャ〜スコ』みたいに伸ばして発音したので、夫だけでなく、私にもたしかに『ギャースカ言ってさあ』と聴こえました(^_^;)

☆テレビ「レジャーマップシートをプレゼント!」
 夫「えっ、枝豆シートって何?」

☆テレビCM「少女漫画誌、売り上げナンバーワン!」
 夫「えっ、城島タダシ売上ナンバーワン?」
 ……城島タダシって誰でしょう?

☆夫「今、何か落ちたよ」
 私「あれっ、私のブラシかな?」
 夫「えっ、グワシ?」
 ……若い人には分からないかもしれないネタでゴメンナサイ。

☆夫のところに来た広告メールの誤字です。
 『蒸し大好き! カブトムシ狩り体験が出来る宿』
 いった何を蒸しちゃうんでしょうか……(^_^;)

☆ネットサーフィン中に大河ドラマ『義経』のファンサイトを見つけた夫との会話。
 夫「『義経』が流行ってるねえ。今、ネット見てたら、『義経』のロケ地の一覧とかあったよ」
 私「えっ、義経のドケチの一覧?」
 ……てっきり、歴史上の源義経は実はドケチで、糧食の買い付けの際にえげつなく値切ったとか、武具や馬の代金の支払いをさんざん渋ったとか、実は弁慶に給料を払っていなかったとか(いや、そもそも弁慶が義経に雇われてたのかどうか知りませんが(^_^;))、いつも古い着物につぎを当てて着ていたとか、そういう、彼の生涯におけるドケチの数々が逐一調べ上げられ、リストアップされているのかと思いました……。




 近況報告『夢の連続ドラマ・その2』


 今までのお話(笑):ある日、小学校の上空にUFOが現れた! 小学生たちと先生たちは臨時のスクールバスで緊急集団下校をする。若い独身の女教師であるらしい『私』は、出迎えの父兄の軽バンに便乗させてもらって、老母が待つ郊外の集合住宅に無事帰り着くが、そこには、女子供と高齢者ばかりが大勢集まっている。どうやら、私が知らない間に、我が家は、地域の人々の集団避難所のひとつになっているようだ――。

 ……というわけで、 先月の、ヘンな夢の話の続きです……(^^ゞ

 さて、ご近所の女子供とお年寄りに占拠された我が家をぽか〜んと眺め回していると、そこへ知らないおじさんたちがやってきました。
 いずれも知らない顔ですが、中でもリーダー格らしい一人が、自分たちは町内会の関係者であると名乗ります。
 どうやら、この地域では、私がいない間に、今回の非常事態に対応すべく、町内会を母体した自警団のようなものが結成され、既に我が物顔で地域を牛耳っており、このおじさんは、その中でも中核的な地位にある人のようなのです。
 かなりの年配の方ですが、この町はベッドタウンなので、平日の昼日中に起こったこの変事の際、働き盛りの若い男性の多くは大都市に働きに出ており、地元に残っている男性といえば、わずかな地元商店主の他は定年退職者がほとんどで、ある程度元気は定年退職者はみな、消防団や町内会での活動経験の有無に関わらず自警団に参加するようになって、ちょっとリーダーシップのある人であれば簡単に中核的な位置を占めることも出来ているらしいのです。

 このおじさんは、たぶん、会社を定年退職後、地元公民館か市役所出張所あたりの嘱託職員として施設管理でもやっていた人でしょう(……と、夢の中で推測しました。根拠は不明)。
 そして、自分が町内会役員として顔を知られてはいないことを考慮してか、自ら、『今は人手が足りないので自分も馳せ参じたところ、自分はたまたま声が大きかったから、このような役目につくようになった』というようなことを気さくな調子で説明してくれました。
 『声が大きい』というのは、たんに実際の声の大きさのことだけでなく、つまり、人に命令したり人を仕切ったりすることに適性があったり、権力行使を好む傾向があるという意味でしょう。

 そして、おじさんは、みんながちゃんと避難していることを確認し、幾つかの注意事項を簡潔に伝えます。
 その中で、食料の配給について、各戸共有の中庭の奥にあるあずまや(のようなところ)に一日二回全戸分がまとめて届けられるから、自分たちで適当に取りにいくようにということが説明されます(なんか、イメージが生協の共同購入っぽいんですが……(^^ゞ)。

 すると、誰かが、一人当たりの量の割り当てや他の避難所との取り分の分け方について質問しますが、はっきりとした回答はなく、
「まあ適当に、必要なだけ取ってくればいいよ」といった感じのことを言われます。
 それを聞いていた私は、おじさんの、気楽さを装ってはいるがどこかごまかしを感じる口ぶりから、
「これはおそらく、好きなだけとってもいいほど十分に食料が用意できるという意味ではなく、逆に、食料の供給や分配についてはあまりきちんと計画が立てられておらず、量も、きちんと分けて十分に行き渡るほどは期待できないということなんだろうな」と推測しますが、それはもう今さら言っても仕方がないことだと思ったので、口をつぐんでいます。

 また、おじさんは、
「ここ、換気扇はちゃんと動くよね?」と、大きな声で確認します。
 それを聞いた私は、自警団がいざという時には躊躇なくここを封鎖するつもりであると悟ります。
 例えば、宇宙人が攻撃してきて外が戦闘状態になったり火災が起きたり核汚染されたりした場合に中の住民を守るために閉鎖されるだけじゃなく、逆に、避難所の中で火が出たり宇宙人の生物兵器による――あるいはたまたま宇宙から持ち込まれた――謎の疫病などが発生したりした場合には、その火災や疫病の外部への拡散を防ぐために、自警団は容赦なく中の我々を見捨てて、この避難所を隔離するつもりに違いありません。
 そして、そんなふうにいざという時には容赦なく切り捨てる覚悟はあるものの、一応、その時に中の住民もなるべく死なないでくれたほうがいいとは思っているので、酸素が足りなくなって窒息したりしないように、換気扇に故障がないことを確認したのでしょう。

 目が覚めてから冷静に考えると、宇宙人の持ち込んだ謎の疫病がもし空気感染するものだったとしたら、伝染力によっては換気扇を動かしては隔離の意味がないんじゃないかと思うし、そもそも、普通一般の家屋で、目張りもしていないのに、換気扇が動かないからといって中の人が窒息するとは思えないのですが、もしかすると一見質素な佇まいのあの家(たぶん公営住宅)は、実は核シェルター的機能を備えた非常に機密性の高い特殊住宅で、だから、特に広いわけでもない個人宅でありながら地域住民の有事の際の避難所に指定されていた――という設定だったのでしょうか。

 また、閉ざされた避難所で内側から疫病が流行する心配があるということは、もしかして、その疫病は潜伏期間が在るもので、かつ、今の時点では感染者の見分け方が知られていないということなのではないでしょうか。たぶん、この疫病は、今のところ、感染者の見分け方だけでなく、治療法も感染の防止法もわからないのでしょう。
 そして、自警団の上層部は、たぶん、しかるべき筋からの極秘情報として、その疫病の存在は知っているのですが、知っていても現時点では打つ手が無いがないので、そんな、打つ手のない危機を一般住民に知らせても、いたずらに不安を煽り、かえって状況を悪化させるだけだと、口をつぐんでいたのではないしょうか。

 そんな状況で、ただの近所のおじさんたちにすぎない自警団に出来ることは、ただ、住民を何も知らせないまま小分けにして、中で運悪く発症者が出てしまった集団は見捨てて隔離することで被害の全体への拡大を食い止めるという覚悟を決め、その上で、住民に事態の深刻さを悟らせないよう、表面上は気楽さを装うことだけだったと思われます。

 ……今月はもう時間切れなので(実は、今日、アップする予定の日なのに、まだ書いてるんです……)、また来月に続きます(笑)。まさか夢の話を3ヶ月も連続ですることになるとは……(^^ゞ




 読書録特別編・ブックバトンに回答しました 

 Shafts of Shiningのとみ〜さんからブックバトンを回していただいたので、読書録特別編としてブックバトンに回答してみます。今月読んだ本の感想は来月回しということで。

・持っている本の冊数

 カウント不能……。冊数が多いからではなく、整理整頓が下手で部屋が散らかっているからです(^^ゞ
 私の本と夫の本、夫の本だけど私も読んだ本、夫と共有の本、弟から借りっぱなしの本、夫が友達から借りっぱなしの本(汗)、そのうち古本屋に持っていくかバザーに出そうとダンボールに入れたまま忘れた本などが入り混じり、あちこちの本棚や、本棚じゃない場所にも分散して、ワケがわからん状態に……。
 でも、実は、本は、あんまり冊数は持ってないです。ほとんど図書館から借りて読むので。

・今読みかけの本 or 読もうと思っている本

 読みかけの本は『風神秘抄』(荻原規子)、『キーリ6』(壁井ユカコ)、『私たちは天使なのよ』(久美沙織)
 ハードカバーの本は家で読み、文庫や薄手のノベルスは職場で昼休みに読むので、常に最低二冊は平行して読んでます。
 また、自分で買った本を読んでいる途中で図書館にリクエストしていた本が届いたりすると、自分の本を中断して図書館の本を先に読むので、最大でハードカバーと文庫と各二冊、合計四冊まで並行して読むことになります。『私たちは天使なのよ』は自分ちの蔵書で、『キーリ』は図書館から借りた本、しかも返却期限の延長が出来ない他館借用本なので、読みかけだった『私たち〜』を中断して『キーリ』を読み始めたところです。

 次に読もうと思っているのは、上記の本と一緒に図書館から借りてきた『埋葬惑星』(山科千晶)『パラケルススの娘』(五代ゆう)
 ふと気が付いたら、全部女性作家で、全部ファンタジーまたはSFですね……。


・最後に買った本(既読、未読問わず)

 『グイン・サーガ』102巻『火の山』(栗本薫)。既読。あ、これも女性作家でファンタジーだ……。


・特別な思い入れのある本、心に残っている本(5冊まで)

1 『ふらいぱんじいさんのぼうけん』(神沢利子)

 小学校一年の時、七歳の誕生祝いに祖母に貰った幼年童話。
 私は、長いこと、『自分はこの本を読んで本好きになった』と思っていて、人にもそう言い続けて来ました。
 よくよく考えてみれば、それ以前から本は好きだったと思うし、本が好きだったからこそ誕生プレゼントに本を所望したわけでしょうが、何しろ幼稚園児だったので、ことさらに『自分が本が好きである』などと意識していなかったのでしょう。

 でも、長いこと『自分が本好きになったきっかけはこの本である』と信じていたということは、この本がそれだけ特別に印象深かったのに違いなく、やっぱりこの本は私にとってものすごく特別な本なのです。
 それは、幼稚園の文庫で借りた本や、いつのまにか親が買って来て家の本棚に置いてあった弟妹と共有の『うちの本棚の本』などと違って、わざわざ『誕生日プレゼント』として自分専用に買って貰った『私だけの本』だったからもあると思います。

 そして、やっぱり、この本は、私のその後の読書傾向に非常に合致していて、やっぱり、私の読書の原点なのかもしれません。
 なんたって、ファンタジーです。しゃべるフライパンや、しゃべる動物が出てきます。そして、『ぼうけん』で、『じいさん』です!
 『ファンタジー』で『冒険』で『じいさん』……。今の私の好みと全く同じじゃないですか!
 私のじじい萌えは、七歳にしてすでに芽生えていたのですね……(^^ゞ
 七つの時からじじい萌え……。年季入ってます!

 後日、小学校高学年の頃には、当時実家でやっていた家庭文庫(近所の子供たちに自宅を解放して、自宅の蔵書や図書館から『団体貸し出し』してもらった本を貸し出したり読み聞かせたりするボランティア活動)のお楽しみ会で、『ふらいぱんじいさん』のペープサート(紙人形劇)を自作して子供たちの前で上演した想い出もあります。それくらい、大きくなっても大好きだった本です。


2 『ナルニア国物語』(C.S.ルイス)

 小学校六年から中学一・二年ごろにかけて、寝食も忘れるほどハマって、くりかえし読み耽った想い出の本。
 ベッドの枕元にシリーズ全作積み上げて、毎晩寝る前に読み耽っては、寝ても覚めてもナルニアの世界にどっぷり浸り、「もし今夜地震が来たら私は本に埋もれて死ぬんじゃないか」(←百科事典とか他の本も大量に枕の周りに積み上げてあったので……(^^ゞ)と空想し、「でも、ナルニアの本に埋もれて死ねるなら幸せかも……」と、ちょっと本気で思った12歳の冬(笑)。
 アスランは私の初恋のひと(ライオンだけど)かも……。

 あまりにハマったので、ついには、自分だけの『ナルニア・ハンドブック』のようなものを作り始めるに至り、キティちゃんの表紙のノートに登場人物や地名や用語を書き出して一覧を作り、作中に出てくる詩を全部書き写したり、出版順に並んでいるシリーズを時間軸に沿って並べなおしたり……といった、今思えば非常にマニアックなことをしていました。収集したり、分類したり、分析したり、リストアップしたりということが好きだったらしいです。
 もちろん、子供のことなので、一覧といっても完全なリストではなく、中身はそれぞれちょっとづつだったりしたのですが、今にして思えば、あれって、ある種の同人誌みたいなものですよね……。
 私のヲタク的傾向は、その頃から既に顕著に芽生えていたらしいです(^^ゞ


3 『銀河鉄道999』(松本零士)

 えーっと、『ブック』って、漫画も入れてもいいんですよね……?
 たしか中学校二・三年から高校くらいにかけて、ものすごくハマった漫画です。最初はテレビアニメとして出会って、それから漫画を読み、映画も見て、関連資料を収集して……と、一時期、私の青春は、『999』一色でした。私の青春は『999』と共にありました。特に『車掌さん』が好きで好きで……。クラスの男子なんかそっちのけで、出すアテもないのに(←当たり前!)車掌さんへのラブレターなんぞ書いてました(^^ゞ
 嗚呼、我が青春の『999』!

 今でも、実家の屋根裏には、テレビアニメや映画の設定資料集や絵コンテ集、『アニメージュ』増刊の『ロマンアルバム』を始め各社から雨後のタケノコのごとく発売されたムック類、フィルムブックにノベライズ本などなどのマニアックなアイテムのコレクションが、段ボールに入って眠っているはずです。私の、青春の思い出の品です……。
 青春の思い出が、ダンボール入りのアニメ資料の山……(^_^;)
 小学生の頃から芽生えていたオタク的収集癖が、あますところなく発動した結果ですね(^^ゞ

 中・高校生時代にハマった本は、漫画以外でもたくさんあったのですが、あまりにたくさんありすぎて、どれかひとつを含めると他のものも入れたくなるし……で、あえて漫画を選びました。

 もし、漫画以外で選ぶとしたら、『ゲド戦記』(アーシュラ・K・ル・グィン)かな? 中学一年の頃に読んで、(世の中にはこんなすごい物語があるのか! 本って素晴らしい!)みたいな衝撃を受けたと思います。でも、『ゲド』を入れてしまうと、他のものも、あれもこれもと入れたくなってしまいそうなので、やっぱり、ここはあえて『999』にしときます。


4 『指輪物語』(J.R.R.トールキン)

 これは大学生の頃に読んだ本。
 でも、実は、内容は全くといっていいほど覚えていないのです。覚えていることといえば、『ものすごく面白かった』ということと、瀬田貞二さんの古風な訳文によって紡ぎだされる漠然とした『中つ国』の『空気』だけ……。
 近年、映画化されて、第二部までは私も見ているのですが、映画を見ても、中には「そういえばあんなエピソードもあった気がする、こんなキャラもいた気もする……」とぼんやりと思い出す部分もある一方、中には、「そんなエピソードがあった・そんなキャラがいた」ということさえ全く思い出せない部分もあったりします。

 そんな、そこまで何にも覚えていないような本が、どうして『ゲド戦記』さえ含めていない『特別思い入れのある五冊』に入っているのか。

 もともと私は、このお話を、ストーリーやキャラを中心に読んではいなかったのです。特に、キャラ同士の人間関係とか心理とか、そういう点には全く目が行っていなかったのです。
 映画化されてから、みんながいろいろ話しているのを見聞きしていたら、キャラの魅力や人間ドラマについて語っている人が大勢いるので、(あれっ、『指輪物語』って、そういう要素があるお話だったっけ?)と、ちょっときょとんとしてしまったくらい……。
 もちろん、人間ドラマに着目した見方を否定するわけじゃないんですが、ただ、私の記憶の中では、『指輪物語』にそういうものが描かれていたという印象が非常に薄いので、本気で意外だったのです。

 私にとって、このお話の主人公はフロドでもアラゴルンでもガンダルフでもなく『中つ国』であり、ストーリーを追うことよりも、中つ国を経巡る旅にどっぷりと浸ることのほうに夢中だったのです。
 だから、私は、ストーリーやキャラや人間ドラマについては、読んでから20年近くたった今となっては、ほとんど何一つ覚えていないのです。
 ただ、神秘に煙る『中つ国』の森や荒れ野や山並みの光景だけが、まるで自分のもうひとつの故郷の景色のような大切な思い出として心の中に残っているのです。

 その光景が、あまりに美しく鮮明で、けれど儚く、神秘のヴェールに包まれているために、私は、それから、ずっと、あの本を読み返すことが出来ないでいるのです。
 もう一度読み返したときに、自分の心の中にあるその泣きたくなるほど美しい面影が、外界の光に晒されたとたんにたちまち儚く色あせてしまう古代の洞窟壁画のように、時の流れという残酷な光に晒されて色あせてしまうのが怖くって。

 それは、ちょうど、中学(でも高校でも小学校でもいいけど)の同窓会で初恋の人に会いたくない気持ちに似てると思います(^_^;)
 いや、ものがたりというものは、初恋の男の子と違って、お腹の出っ張った中年オヤジになっていたり頭がハゲていたりする心配はないのですが(笑)、相手は変わっていなくても、自分の方が変わってしまって、かつての純真な気持ちで、新鮮なトキメキをもって相手を見ることが出来なくなっていることが怖いのです。
 あの頃の私じゃない、もうすれっからしてしまった今の私の目で、私の心の中の『中つ国』を汚したくないのです。私の心の中に今も生きている『中つ国』は、それほど穢れなく美しいのです。

 だから、映画になると聞いたとき、最初はちょっと、見に行くのを躊躇したのですが、結局は、映画と原作は別物と割り切って見にいき、そして、それは正解で、映画の映像によっては、私の心の『中つ国』は、別に損なわれませんでした。
 それは、映画のなかのあのニュージーランドの光景は、大変美しくはあるけれど、やっぱり『私の中つ国』ではなかったからです。
 といっても、決して映画のできが悪いという意味ではなく、どんなに素晴らしい映画であっても、やっぱり映画と原作は別物だったということです。というか、そもそも、映像と文章は別物なのだということを再確認しました。
 実際に目で見ることのできる風景と、文章を読んで心の中に広がる風景というのは、全く質が違うものなのです。私の心の『中つ国』は、目では見ることが出来ない世界なのです。

 というわけで、私にとって、手元に所蔵していながら一度も読み返したことのない『指輪物語』は、あまりにも思い入れが強すぎるがために二度と読み返せずにいる本なのです。それほど思い入れの強い本は、他にはありません。


5 『グイン・サーガ』(栗本薫)

 大人になってから読んだ本を挙げ始めると、アレを入れるならコレもソレも……と収拾がつかなくなりそうなので一切やめようと思ったのですが、やっぱり、これだけは別格。なにしろ、もう十年以上読み続けて、人生の三分の一を共に歩んでいるシリーズなので……。

 もう26年も続いているこのシリーズですが、私が読み始めたのは平成四年、ということは、40巻を目前にしたあたりからでしょうか。読み始めるのにはちょっと勇気が要りましたが(^_^;)、ちょうど妊娠出産のために仕事を辞めて家に居た時期だったので、超大長編シリーズに手を付けるには、人生で二度とないかもしれない絶好のチャンスだったのです。
(子供が生まれてからじゃ忙しくなるだろうから、読むなら今しかない!)という勢いで、大きなお腹を抱えて40冊一気読みした時の幸せといったら……。

 当時の私は、もともとが出不精で人付き合いが嫌いで一人で家に閉じこもっているのが大好きだったところにもってきて、体調の関係で医者から安静を指示されたのをこれ幸いと、思うぞんぶん心ゆくまで家に閉じこもってしまい、外出といえば近所のスーパーへの買い物と人気のない山道でのお散歩だけ、夕方夫が帰ってくるまでは誰とも口をきかずに読書と庭いじりに明け暮れる……という、夢のような引きこもり生活を謳歌していました。妊婦の特権で、誰はばかることなく大きな顔して無為をむさぼれる、我が人生の中でも特筆すべき至福の一年でした……(^^ゞ

 そんな、現実社会からの刺激がほとんどない生活の中で、ひたすら、波乱万丈の長い長い物語に昼も夜もどっぷりと浸りこむ……。買い物や散歩の時も頭の中では今読んだグインサーガのことを考え、続きを夢想し、帰ってきたら続きを読む……。もう、生活のほとんどはグインサーガ一色。
 現実生活が非常に単調で極端に外界からの刺激が少なくシンプルな分、本の中の波乱万丈の世界が、よりいっそう色鮮やかに堅固に立ち上がってきて、その数ヶ月、私はほとんど、この世界ではなくあの世界に生きていたようなものでした。

 世間の俗事からすっぱりと切り離されて、動物みたいにただ無心に寝たり起きたりご飯を食べたりしながら何の雑念もなく物語の世界に没頭できる環境が整っていた、あの特殊な状況下の限られた時期に、そうやって没頭するのにうってつけの長い長〜い物語に出会えたことの、得がたい幸運。
 あんな幸せは、人生で二度と味わえないと思います。
 といのは、私の人生において、あんなに読書三昧の生活が出来る時期はもう二度とないだろうし(もし年取って隠居してから暇があったとしても、その頃には体力と視力と気力が衰えていて、大長編の一気読みなんか出来ないでしょう)、もしあったとしても、あんなに長くて、かつ、私をどっぷりハマらせてくれるお話は、まず他にないと思うから。
 『グイン・サーガ』の魅力は、とにかく、何より、あの長さ、膨大さでしょう!


・次にまわす人5人まで

 アヴィリオンへの旅人たちのelwindasさん、Happiness Novelの悦さん(既にこちらで回答してくださってます)のお二人へ。

 しかし、ブックバトンをHTMLページで、しかもこんなに長々と回答している人なんて、他にいるでしょうか……(^^ゞ



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