月刊カノープス通信
2005年2月号

 目次 

・季節の便り『歳を感じる日』
・今月の勘違い
・近況報告『謎の"カーサンデー"』
・読書録
(『暗き神の鎖(後)』『塩の街』『撲殺天使ドクロちゃん』『封印作品の謎』『空ノ鐘の響く惑星で』)




 季節の便り『歳を感じる日』

 私は普段、けっこう自分の歳を忘れています。
 年甲斐も無く若いつもりになっている……とか、そういう意味じゃなくて、本当に、文字通り、自分が何歳かをきれいさっぱり忘れているのです(^_^;)
 ここ数年は、ネット上で『実は○○年生まれで○歳です』と名乗りを上げる機会が多かったので、わりと覚えていられましたが、それまでは、人に年齢を告げる必要など全く無い生活をしていたために、普段、本気ですっかり自分の歳を忘れていて、たまに何か書類などに年齢を書かなければならなくなると、そのつど、
(え〜っと、今は西暦○○年で、私は○○年生まれだから、引き算すると……)と、毎回、一生懸命、自分の年齢を指折り計算していたのです。(←ただのバカ)

 そんな私にも、必ず自分の年齢を思い出す日が、年に二回あります。
 一回は、もちろん、誕生日。
 そして、もう一回は、節分です。

 節分の豆って、歳の数だけ食べるじゃないですか(←あ、これって、わりと全国区の風習ですよね? うちだけのローカル行事じゃないですよね?)。
 子供の頃は、食べられる数が少なくて。歳の数だけの豆ではぜんぜんもの足りなく、
 (もっと食べたいのにたった○粒しか食べられない。早く大きくなって、もっとたくさん豆が食べられるようになりたい!)と思ったものです。
 まあ、実際には、歳の数だけの豆を数えて食べ終わると、後はカウント外で、適当に食べたいだけ食べていましたが……。

 それが、今は、どうでしょう。
 私は豆を、41粒も食べなきゃいけないんです! これはかなり辛い量です! 途中で飽きてしまいます! お腹が痛くなりそうです。それでも、ムキになって食べます! だって、年中行事だから!

 でも、あまりに数が多すぎて、食べてる途中でうっかり気が散ると、すぐに、いくつ食べたか忘れてしまうのです……(^^ゞ




 今月の勘違い

毎度おなじみ、我が家のとんちんかん会話集です。
☆夫「ああ、タコス食いたい
 息子「えっ、タコ掬いたい?」

☆息子「『100万人の友達』って歌、知ってる」
  夫「えっ、サツマイモの友達?」

☆夫が焼肉屋に入ったとき、隣のテーブルの人が、連れの人に、「上カルビって、いくら?」と聞いていました。夫はそれを、一瞬「ジョン・カビラって、いくら?」と聴き間違えてびっくりしたそうです。

☆夫がエスニック料理店さんに入ったとき。ウェイターさんはみんな外国人らしく、日本語の発音がちょっとなまっていました。そこへ入ってきたお客さんとウェイターさんの会話。
 お客「このセットって、飲み物、つくの?」
 ウェイター「お飲み物はラッシー(←インド風のヨーグルト・ドリンク)です」
 お客「えっ、飲み物、無いの?」(『ラッシー』『無し』と聞こえたらしい)
 ウェイター「いいえ、ラッシーです」
  ……夫は、口を挟みたくてうずうずしてしまったそうです(^_^;)

☆二日続けて冬にしては暖かかった日の、二日目の朝の夫と私の会話。
 夫「あったけえや、また
 私「えっ、ハタケヤマだ? 畠山って誰?」




 近況報告『謎の”カーサンデー”』

 祝日だった2月11日、南房総にある夫の実家に行きました。
 事前に電話した時、夫の母が、しきりと、「その日は、夜、浜で『カーサンデー』というのをやるから、帰りはそれを見てからにすれば」と言うのですが、その『カーサンデー』というのがいったい何のことなのか、さっぱりわかりません。最近始まった行事らしく、夫も知らないそうなのです。

 義母の話でわかったことは、「みんなで浜に行って焚き火をし、太鼓を叩いてお経を上げ、何かしらを祈念する。御前様(お坊さん)も来る」ということで、何か海岸でやるお寺さんの行事らしいのです。夜の浜は当然のことに寒いので、暖を取るために焚き火をするのでしょうか。
 ちなみに、『太鼓』というのは、普通に想像する丸い和太鼓ではなく、夫の実家の宗派でお経を上げるときに木魚替わりに使う、皮を張ったおしゃもじのような形をした打楽器です。それを片手に掲げ持って、反対の手で持ったバチで叩くのです。

 『カーサンデー』とは、『母さんデー』でしょうか?
 ということは、女性だけが参加する、地元婦人会の催しでしょうか?
 夫の地元では、よく、『お題目』と称して、地域の人が集まってお経をあげる行事があるのですが、それを、女性だけでやるということでしょうか。
 たしかに、小正月や旧正月の時期には、よく、女性だけの神事などが行われるものだから、そういうものを現代に取り入れてアレンジした行事なのかもしれません。
 それにしても『母さんデー』とは、なんちゅ〜ダサいネーミングでしょう!

 おばちゃん・おばあちゃんたちが浜に集まって、『何か』を祈ってお経をあげる……。
 悪いけど、そんな、おばちゃんたちが集まってお経を上げてるところなんて、見ても別に面白くないんじゃ……? 夜の浜は寒風吹きっさらしで、いくら焚き火をしてたって、さぞ寒いだろうなあ……。
 でも、お義母さんは、私たちにぜひともそれを見てから帰ってもらいたいらしい……。

 そんなわけで、何だか良く分からないけどお義母さんの気持ちを汲んで、帰りが遅くなってもがんばって見ていくことになった、謎の行事『カーサンデー』。
 これが、実は、なかなかどうして、意外と面白い行事でした!

 義母の話では良く分からなかったのですが、要するに、これは、『どんど焼き』みたいなものだったのです。時期からして、もともと旧正月の行事だったのでしょう。年越しの大焚き火ですね。
 『最近始まった』といっても、新設の行事ではなく、長らく途絶えていた伝統行事を、去年から『保存会』が出来て復活させたという事情だったらしいです。

 そして、その焚き火の規模が、半端じゃない!
 会場は夫の実家の目の前の海水浴場の砂浜だったのですが、昼間、そこを通りかかったら、人の背丈の3倍はあろうかという巨大な藁山が出現していたのです!
 本体だけでも最低3メートルはありそうな山のてっぺんに、榊でしょうか、葉っぱの付いた木の枝がわさわさと刺してあり、なおさら高くなっています。
 地域青年部の人たちを地元の小学校の子供たちが総出で手伝って、昼間から作っていたらしいです。

 『母さんデー』というから婦人会の催しかと思ったら、準備は青年部が中心でやってるんですねえ。
 まあ、そりゃそうでしょう、あの藁山は、母ちゃんたちだけではとても準備できないから男手が必要でしょう……と、その段階では、まだ『母さんデー』だと思っていた私は考えたのですが、この名前についても、勘違いが判明。
 この行事は、『母さんデー』ではなかったのです。

 会場となる海水浴場の沿道には、時間になるとずらりと『カーサンデー本日開催』と書かれたノボリが立ち並び、それを見て、どうやら『母さんデー』ではなく本当に『カーサンデー』という名前であるというのが分かり、夫と二人で
「それじゃあ『カーサンデー』ってなんだろう、きっと方言をそのまま書き表したんだろう、この辺の発音の特徴から考えて『デー』はもしかして『台』かな?」などと話し合っていたのですが、会場に着いたとき、ついにその謎が判明。
 保存会の人たちが着ていた揃いのスタッフ・ジャンバーの背中に、『火山台保存会』の文字が!
 そう、『カーサンデー』は『火山台』だったのです。なるほど!

 浜に下りて間近に見た藁山は、ますます巨大で大迫力。
 良く見ると、お正月の注連飾りなどが藁に混ざっています。ますます『どんど焼き』ですね。
 会場では木製の短冊を配っていて、それに願い事を書いたものも一緒に燃すことになっているようです。私たちも札を貰って願い事を書きました。

 札に願い事を書いたり、配布された甘酒やお汁粉を手に近所の人と立ち話などして待つうちに、すっかり日が暮れ、少し遅れて御前様到着。
 御前様のお経と区長さんの挨拶が済むと、藁山に、子供たちが長い竹の松明で火をつけます。うちの子供たちも松明を持たせてもらいました。
 火をつけた瞬間、あっというまにめらめら〜っと燃え上がった様は、実に壮観!
 山の組み方が上手いのでしょうか、藁の乾燥具合がいいのでしょうか、石油でも染ませてあったのでしょうか、ものすごく燃え着きがいいのです。
 夜の海をバックに燃え上がる巨大な焚き火。舞い上がる火の粉。焚き火の向こうでは夜の波が砕けて、波音を響かせています。かっこいい!

 というわけで、思いがけず面白い行事を見られたのでした。




 読書録

『流血女神伝 暗き神の鎖(後編)』 須賀しのぶ コバルト文庫

 怒涛のザカール編完結。あ〜面白かった! ドミトリアスの出番がほとんど無かったのが残念だけど。

 ザカール編では、最初のうちは背景に隠されていた神様関係がついに全面に出ましたね。
 最初の方の感じでは、舞台となる世界がけっこう近代的な社会だったので、もっと古代っぽい世界だったら神様が話に絡んで来ても違和感ないだろうに、こんな近代社会でいったいどう処理するんだろうと思ってたんですけど、いつのまにかなんとなく、神様が話しかけたり奇跡を起こしてもあまり違和感ない雰囲気になりましたね。まあ、出てくると言っても、別に、実体化してそこらを歩き回るわけじゃなかったし。

 あと、神様関係については、近代社会であるだけでなく国ごとに違う神話を持ち、違う神様を信じているらしい世界で、神様が本当に出てくるときにその辺はどういうふうに処理するんだろうかと気になっていたんですが、そうか、そういうことだったのか……。
 あれって、民俗学とか文化人類学とか好きな人には、すごく納得できると思うんですよ。少なくとも私にとっては、あの扱いは、非常に説得力がありました。


『塩の街』 有川浩 電撃文庫

 身体が塩化して人間が塩の柱になるという正体不明の怪現象によって機能麻痺状態に陥った近未来世界という終末的なイメージの舞台設定に引かれました。J・G・バラードが描く終末世界みたいなイメージを期待して。
 滅びかけた世界のビジュアルなイメージは期待通り、好みでした。『塩』というのがいいですよね、儚くて美しいです。

 ストーリー的にも、もしかして最初のほうみたいな小事件が繰り返される中で青年と少女が徐々に心を通い合わせていくだけの話なのかもと思ったけど、最初の小事件二つはどうやらプロローグで、途中から、ちゃんと大きなストーリーがあって、面白かったです。
 ラストの方で、いくつか、どうにも納得行かない点もありましたが……(^_^;)

 名前から言うと男とも女とも分からないこの作家、女性なのですね。
 私はたまたま読む前にそれを知ったのですが、もし知らなければ、最初のうちは、女の子の描き方などから男性作家かと思ったかもしれないです。でも、もし知らなくても、途中で、やっぱり女性だろうと気が付いたと思いますが。


『撲殺天使ドクロちゃん』 おかゆまさき 電撃文庫

 まず初めに、ごめんなさい。私、この本、読んでないです(^_^;) 途中までぱらぱらと斜め読みしただけ。
 別に『読む価値無し』と判断したとかじゃなくて、読めば面白かっただろうとは思いますが、これは夫が図書館から借りてきた本で、それを見かけた私があちこちで話題になっている本だからとちらっと覗いてみた時には既に図書館への返却期限が迫っていたというだけのことです。まあ、どうしても読みたければ夫の次に自分で借りるとか、貸し出し期間を延長してもらえばよかったのですが、そこまでして読みたいと思うまでには食指が動かなかったのも事実ですが。

 というわけで、読んでないのに感想書くのもなんですが、たぶん、全部読んでも感想は変わらないと思うので、あえてそこまでの印象を言うと……「え〜っと……すごく普通?」というものでした(^_^;)
 これのどこがそんなに画期的だったり物議を醸すのか、良く分からないんですが……。

 だって、とっても『普通』じゃないですか! 普通の落ちモノで、『萌え』で、お色気コメディでナンセンス・ギャグでパロディで……って、もしかして、それを『普通』と感じてしまうこと自体、私が既になにかしらの精神汚染を受けている証拠なのでしょうか?(^_^;) ヲタク歴25年でスイマセン……m(__)m

 でも、普通ですよね? 少年漫画とかアニメとかには、こういうの、よくありますよね? 後半で、物語の枠組みをひっくり返すほどのとんでもない大どんでん返しでもあるなら別だけど、最後まで読んだ夫に聞いたところ、別にそんなことはないらしいし。
 ただ普通に『よくあるパターン』なんじゃなく、『よくあるパターンのパロディ』という面もありますが、『よくある王道パターンを逆手にとって茶化す』ということ自体、パロディの定石で、『普通』ですよね。『萌え』を笑いの対象にすることで、ちょっと斜に構えたシニカルなオタク・ボーイズも安心して笑いながら萌えて楽しめたりするのでは?

 しかも、パロディといっても、外部や上段からオタクどもを見て冷笑している感じじゃなく、あきらかに同じオタク文化を共有するものの手によるセルフ・パロディなんですよね。同じ文化を共有していることを前提としたジャンル内でのセルフ・パロディというのは居心地がいいものです。
 文章も読みやすいし(『字で読む少年マンガ』という点ではちょっと阿智太郎さんみたいかなと思ったけど、文章はこっちのほうがうまいと思う)、絵も可愛いし、おまけの小ネタもあるなど遊び心が行き届いてる感じで、人気が出るのも普通に納得できるんですが……。

 これのどこかが画期的だとしたら、それは、漫画やアニメではすごく普通にあるものを、そのまんま小説という形に移したという点なんですかね?
 『字で読むマンガ・アニメ』みたいな小説は前からあったけど、それだけでなく、オタク文化をここまでおおっぴらに大々的に小説というジャンルに持ち込んだ点が、小説は読んでいてもオタク文化とはあまり縁の無かった人にとっては(なんじゃこりゃ?(@_@))という衝撃であり、オタク文化の享受者にとっては(ついにやってくれたぜ!\(^o^)/)というエポックメーキングな快挙だったのかも。オタク文化の共有を当たり前のように前提としたパロディ的な作品が、アニメのノベライズとか書き下ろしサイド・ストーリーとかじゃなく普通に独立した『小説』として売り出される、という状況が。

 で、たぶん、私の場合、(なんじゃこりゃ?)と思うほどオタク文化に無縁じゃなく、かといって(やったぜ! 大歓迎!)と諸手を上げて快哉を叫ぶほどでもなく、長年付かず離れずオタク文化に片足だけつっこんだり横目で見ながら隣接したりしてきた微妙な立ち位置なので、(なんだ、普通じゃん……)ということになったのでしょう。

 というわけで、まあ、私が小説に求めているものとはぜんぜん違いますけど、こういうのも、あってもいいんじゃないでしょうか。こういうのしかなくなっちゃうのは嫌だけど(^_^;)


『封印作品の謎』 安藤健二 太田出版

 『ウルトラ・セブン第十二話』を初めとする『封印』された特撮番組や映画・漫画・ゲーム等について、その経過を追跡したルポルタージュ。
 一番の感想は、『この本、よく出版できたなあ……(^_^;)』でした。

 私が一番怖いと思ったのは、昔の特撮作品の場合、どういうクレームがついてどういう経過で封印されたかがある程度知られていたり調べれば分かったりするけれど、最近の封印作品の場合、その作品に抗議があったりそれが封印されたという事実(あるいはその作品が存在したという事実)自体がタブーとされて、封印に当たって何があったのか検証することすら出来なかったりするという点でした。それが、なんとなく、うそ寒いというか、そら恐ろしいというか……。
 そういうことって、ネットでもありますよね……。

 これについては、この本の著者の人も、同じような感慨を持ったらしく、この本の結びは、『インターネットに過度の期待を抱いてたもののノスタルジーにすぎないのはわかっていても、ネット社会の行く末に一抹の不安を感じてしまった。』という一文でした。
 この人は、97年の神戸児童殺傷事件で少年Aの実名・写真をネット公開した人で、その行為自体の是非はともかく、その当時は『ネットが情報規制に対抗しうる最上の武器だ』と考えた上での行動であり、その後、いろいろあって、今はそれが過度の期待だったと思っているらしいです。


 『空ノ鐘の響く惑星(ほし)で 1〜4』 渡瀬草一郎 電撃文庫

 柱を通って異世界からの『来訪者(ビジター)』が出てくるSF的異世界という設定が魅力で読み始めました。 四巻まで読んだ今までのところ、『御柱』や『来訪者』の謎よりも王国の内乱がメインで、普通の異世界架空歴史ファンタジーっぽいですが、四巻目でちょっと一区切りついて、もしかして次の巻から、今までわりと棚上げだった話の根幹に迫り、SFっぽくなるのかなと楽しみです。
 異世界ファンタジーは好きだし、架空歴史的な異世界ファンタジーとして読んでも十分に面白いんですけど、今回はSF的設定のほうに期待してるので。

 以下、ちょっとネタバレのため反転です。

 しかし、クラウス・サンクレットには騙されたなあ……。何かもっと凄いことをしでかす食えない人なのかと思ってたんですが、先入観で勝手に買いかぶってただけみたいですね。う〜ん、のほほん笑顔と細い目と丁寧語とシスコンに騙されました……(^_^;)

 あと、シズヤがレジークにキスしたシーンは、致死毒を口移ししたのかと思いましたよ……(^^ゞ
 てっきり、わざわざそのためにディープ・キスをしたのかと……。レジークもそれを知ってて、あえて受け入れたのかと。
 でも、考えすぎでしたねえ。美女のキスで殺されるというのも、けっこうオツな最後だったんじゃないかと思うんですが。

 毎年同じ季節に月から降ってくる鐘の音という設定が魅力的でした。


 ほかに、『バッカーノ』(成田良悟 電撃文庫)を読みました。出だしのつかみがすごくよかったです。最初の一ページで「おっ、これは……」と思わせる味がありました。本題が始まったら冒頭では想像しなかった思わぬ方向に進みましたが、それはそれで面白かったです。


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