月刊カノープス通信
2004年6月号

 目次 

・季節の便り『卯の花くたし』
・今月の勘違い
・近況報告『ぶっくらこいーた!』
・読書録
(『女神の花嫁』、『呪の血脈』『リビスの翼』




 季節の便り『卯の花くたし』

 他の地方はわかりませんが、関東地方では、ゴールデンウィーク後半からもう梅雨に入ってしまったかのような、雨の多い五月でしたね。
 野イバラ、スイカズラ、私の大好きなウツギ(卯の花)にエゴノキの花など、この季節に多い白い花々が、雨に打たれて重たげにうなだれています。
咲き誇りながら崩れていく花房を見ると、『卯の花腐(くた)し』とはよく言ったものだなと実感します。そんなふうに雨の中で盛りのままに腐りゆく花は、陽を浴びて輝く花々とはまた違う、芳醇で濃厚な生命力を強く感じさせます。

 というわけで、ちょっと季節には遅いかもしれないけど、壁紙は、いつもの自然いっぱいの素材集さんのエゴノキの花です。ちょうど、雨に打たれたような風情の写真ですね。

 しかし、毎月1日アップだと、どうしても季節感がずれますね。それを防ぐには、その月の20日頃にアップするようにすればいいんですね。よし、今度からそうしよう!
 ……というわけで、どうせだからキリよく、4年目突入の再来月号(8月号)から月刊カノープス通信は毎月20日アップにしようかと思います。相変わらず思いつくまま、いきあたりばったりです(^^ゞ




 今月の勘違い

  毎度おなじみ、あいかわらずのとんちんかん会話集です。

★私 「今日、『ぽちたま』(←テレビの動物番組)やるよ」
 夫「えっ、『ぷっすま』やる?」
 私(聞き取れなかったので)「えっ、何?」
 夫「スマップの番組
 私「えっ、『困ったなアイツ』って?」

★私「今日はなぜかインフォシークにログインできないんだけど……」
 夫「えっ、ややこしくてログインできない?」

★私「今日、(ごはんを)五合炊いとくね」
 夫「えっ、ごぼう?」

★私「あ、フェネックギツネだ」
 息子「えっ、フェリックスギツネって?」
 夫「えっ、屁理屈ビジネス? それって弁護士とかのこと?」




 近況報告『ぶっくらこいーた!』

 小学3年生の息子は、最近、アニメ『怪傑ゾロリ』に夢中です。そんな彼が、こどもの日のプレゼントにはどうしても欲しいと言い張って、しかたなく買ってやったのが、『怪傑ゾロリのぶっくらこいーた』という、妙ちきりんなゲーム機。

 これがまあ、言っちゃ悪いけど、なんとも下らないオモチャなんですよ!(メーカーさん、ごめんなさい)
 なにしろ、『オヤジギャグ』の対戦ゲームなんですよ!! ダジャレを記したカードを読み込んで、その下らなさ度を競う対戦ゲームなのです。カードを入れると『ふとんがふっとんだ』とか『ねこがねこんだ』などのダジャレを怪傑ゾロリの声が読み上げるんですが、そのギャグには下らなさを示す点数がついていて、より下らない方が勝ち。しかも、『ギャグが寒いとブルブル震える』なんて、ばかばかしい機能もついてます!

 こんな、カードリーダーだの音声出力だの通信ケーブルだのゲーム機ブルブルなんていう高度な技術を、そんなおバカなことに使う必要があるのでしょうか。どうしてもオヤジギャグで対戦がしたければ、そのカードを『いっせのせ』で出し合えば済むだけじゃないですか〜〜!! あまりにもばかばかしすぎ!

 まあ、メインのオヤジギャグ対決はともかく、他にいろいろミニゲームがついているので(りすのおならを集めるゲーム『ヘとリス』とか……(^_^;))、それなりに楽しめるらしいのですが、それにしたって、そんなものが、四千いくらもするんですよ!!
 いくらなんでも、オヤジギャグに四千円は使いたくないですよ(^_^;)

 でも、子供が、なにがなんでもそれがいいというのです。
「こどもの日だけのプレゼントには高すぎるから、これにするなら誕生日の分と合せてだよ。誕生日にはプレゼント無しだよ」と言っても、それでもいいから是が非でもこれが欲しいと……。
 そう言い出したのはたしかまだ3月ごろだったので、こどもの日まで一ヶ月以上あるから途中で気が変るかもしれないと期待したのですが、一ヶ月以上、全く気が変ることなく、一貫してそれを欲しがり続けています。
 で、仕方なく、買ってやりました。

 でも、せっかく買っても息子の友達は誰もこのゲームを持っていないので、結局、通信ケーブルによる対戦は出来ないのです。それなのに、息子は、ただ、ひたすら、ゾロリ役の山寺宏一さんが読み上げるダジャレに繰り返し聞き入って喜んでいるのです!

 で、それがまた、子供が喜んでいるのいいんですけど、とにかくうるさい! 
 音量の調節が出来ないらしいんですよ(本当は出来るけど子供がやり方を知らないだけかもしれませんが、とにかく、子供が言うには、音量を下げられないんだそうです)。
 で、今も私がこれを書いてる背後で、子供がずっと『ぶっくらこいーた』で遊んでいて、山寺さんの美声が延々と『スキーが大スキー!』とか『バッターはがんばったー!』『シカをしかる』『コンドルがよろこんどる』などのダジャレを連発しております(^_^;)
 まいったなぁ……。
 しかも、あんまり繰り返し聞かされるので、子供がこれで遊んでいないときでも、そのダジャレの数々が頭の中でぐるぐる回り続けてます!
 おねがい、頭の中の山寺さん、ちょっと黙っててください……。
 ……あ〜あ、とんでもないもの買わされちゃいましたよ(^_^;)

 普段なら、無理して買ってやった高価なおもちゃにあっというまに飽きられるのは腹が立ちますが、今回ばかりは、早く飽きて欲しい気持ちでいっぱいです(^_^;)




 読書録

『女神の花嫁 上・中・下』 須賀しのぶ 講談社コバルト文庫

 『流血女神伝』外伝。本編の前日譚に当たります。感想は……『やっぱりこのシリーズは面白い!』
 これは外伝だけど、これだけで読んでも読み応えばっちりだし、本編にもさらに深みが加わります。
 そうかぁ、ラクリゼとサルベーンがワケアリらしいということは本編でも何度も出てきてたけど、こういう事情だったのかぁ。なるほど、なるほど。

 ↓以下、ネタバレ含みなので、伏字にはしませんが未読の方はご注意ください。

 いったんは愛し合って結ばれた彼らが、愛し合う気持ちは変らないのになすすべもなく破綻していく様がリアルだなぁ。
 なにも奥さんが『女神の花嫁』でなくても、普通の人たちの間でも、こういうことって、ごく普通にありますよね。奥さんのほうが才能があったり経済力があったり……ということが徐々に微妙なわだかまりになっていくこととか、実際には浮気してるわけじゃないのは分かってるのに他の男の影がどうにも気になっていつのまにか溝が出来ていくとか、誰が悪いわけでもなくどちらも相手を責める気は無いのに流産等の不幸がきっかけで引け目や自責の念を感じたり、お互いに腫れ物に触るようにしているうちに相手を気遣うことが負担になったりして、いつのまにかしだいにぎこちなくなっていくとか……。
 もう、その辺にいくらでも転がっている普通の悲劇ですよね。

 そりゃまあ、たしかに、そうでしょう。どんなに情熱的な恋愛も、いつか冷めるでしょうし、愛し合って結ばれた二人だって、『いつまでも幸せに』暮らせないことはあるものなんですよ。
 でも、そういう、恋愛に関する醒めた認識って、少女小説にはあるまじきもののような気がするんですけど(^_^;) こんなにあからさまに、『どんな愛も必ず冷めるもの』なんて身も蓋もなくきっぱり言い切っちゃっていいんでしょうか……。

 なるほど、たしかに、本編でも、このシリーズ、恋愛方面に対して妙に淡白だなあと思ってたんですよ。少女小説なのに恋愛要素がほとんど無いんですよね。
 いや、実は、あらすじを言えばちゃんと恋愛してるはずなんだけど(片想いも『片想われ』もしてるし、結婚もしてるし、えっちもしてるし……)、読んでるときに、恋愛を描いたものを読んでるという感じがぜんぜんない。女の子らしいトキメキや甘い夢、恋に恋するおとめちっくな気分ときっぱり無縁なのです。そういえば、カリエ本人はそれなりにちゃんとときめいたりしてるんだけど、とにかく、全体の視点に、『愛こそすべて・愛さえあれば世界だって何だって救えちゃう!』みたいな恋愛至上主義的な甘さが皆無で、読者が一緒にときめくという雰囲気じゃないんですね(いや、現役の夢見る少女たち一緒にときめいてるのかもしれませんが)。
 まあ、そこがこの作品の個性であり、いいところなんですよね。このシビアさ、みもふたもなさ、色気のなさが(^_^;)

 外伝の感想に戻ります。
 ホルセーゼがヒラグルたちを追放したときは、『なんでそんな中途半端なことするんだ〜! そんなことしたら危険じゃないか! そんなに甘いことでよくそこまで傭兵団を大きくして来れたなあ』と思いました。
 ああいう場合、そのまま目の届くところにに置いてちゃんと監督しておくか、あるいは殺しておくかのどっちかでしょう。もしもあの罪で死刑にするのはあの集団の価値観から見て無理があるようなら、追放したふりで後ろから刺客を差し向けて、こっそり始末しても可(笑)。
 でないと、後々に災いの種を残すでしょう。人前で手ひどく侮蔑したあげく追放なんて、目の届かないところに災いの種を蒔くようなものじゃないですか!
 天下の傭兵王ともあろうものがそんな中途半端に甘いことをするというのは不自然な気がして、ちょっと首を傾げました。

 そしたら、やっぱり、案の定でしたね。
 あれは、読者にホルセーゼの限界を示し、『ホルセーゼ、甘い。そんなことじゃこの傭兵団はいつか潰れる』と思わせるところだったんですね。あそこでホルセーゼが隙のない対応をとっていたら、今度は、そんなリーダーに率いられた鉄壁のホルセーゼ傭兵団が崩壊していくことが唐突で不自然に見えたにちがいないわけで……。

 さて、この外伝で、本編では謎の人物だった二人のキャラの過去が明かされたわけですが、外伝ラストと本編との間には、まだ若干の時間差があるんですよね。その間に、まだいろいろあったはず。
 サルベーンはなぜユリ・スカナで坊主になって、その上、なんでまた聖職者の身でよりによって王女様を孕ませたりなんかしてるのか?

 それから、もちろん、ラクリゼの方も、あれからまだいろいろあったはず。
 本編で、ラクリゼが、戦うときはすごく強いのに日常生活ではすごく不器用であるというエピソードが出てくるんですよね。ジャガイモの皮も満足に剥けなかったりとか。
 あれって、キャラを立てるために親しみの持てる弱点を付与したというのではなく、あきらかに伏線ですよね。だって、外伝ではラクリゼは料理も上手だって書いてあるんですよ。
 この先、勝手な予測をするのでちょっと伏字にしておきますが、おそらく(→以下、伏字)、実は目が片方しか見えていないなどの設定を暗示しているのでは? 水が怖いというのも伏線かも? 外伝に水の精みたいなのが出てきてるけど、それと関係あるのでは?

 そんなわけで、本編の続きがますます楽しみです!

『呪の血脈』 加門七海 角川春樹事務所

 ずっと前にネットの知り合いが薦めてくれて読みたくなった本なんですが、ホラーらしいということで、長らく、読もうかどうか悩み続けてました……(怖いの苦手なんです!^_^;)
 で、ついに思い切って借りてみたんですが、結果としては、読んでよかった! ぜんぜん怖く無かったです〜\(^o^)/
 人によっては怖いんでしょうが、ありがたいことに、私の怖さのツボは外していたので。

 ……これって、もしかして、ホラーを評するには手ひどい酷評ですか?(^_^;)(……あれって、ホラーなんですよね?)
 でも、面白かったんですよ。ホラーとしてではなく伝奇ファンタジーとして、十分に楽しみました。
 宮地が女占い師を論破する論法などはちょっと無理があると思いましたが、幻想シーンは神秘的で、いろんな事柄が絡み合って核心に迫っていくストーリーも、非常に面白かったです。

 でも、面白かったんですけど、一番の感想は……ゴメンナサイ、『ホ●くさい!』でした……(^_^;)
 だって、主人公の男二人が、なんか、激しく怪しげなんですけど……(^_^;)

 でも、たぶん、十年位前の私なら、全くそんなふうには思わなかったんじゃないかと思うんですよ。どんなにぷんぷんそういう匂いがしてても、その匂いを嗅ぎ取らなかったんじゃないかと。
 それが、ここ十年ほど、つかず離れず同人界の周縁にいるうちに、自分には全くその嗜好は無いにもかかわらず、なんとなくそういう要素を嗅ぎつける嗅覚(ヤオイ・アンテナ?)をいつのまにか身につけてしまっていたらしいです……(^^ゞ
 そのアンテナがないと、どんなにソレくさい電波を発している物を読んでも、そういうふうには思わないんですよね。で、逆に、いったんそのアンテナが立ってしまうと、ごくわずかな電波でも(または実は全く発されていない電波でさえ!)、すかさず感知してしまうものらいしいです(^_^;)


『リビスの翼』 丸山夢久 電撃文庫

 私がとても好きな『リング・テイル』シリーズの丸山夢久さんの、単発もの(たぶん)ファンタジーです。
 スチームパンクっていうんでしょうか、蒸気機関車が走ってるようなレトロな世界が舞台の、SF風味のファンタジー(またはファンタジー風味のSF?)。
 例えば『天空の城ラピュタ』とか、あんな感じ……といえば一番手っ取り早く分かりやすいかと。

 面白かったです。世界観も好みだし、多彩なキャラもそれぞれ個性が鮮やかで魅力的だし、あれだけの内容を文庫本一冊分でしっかり過不足なく書き切って、無駄に冗長にならず、少年の成長と世界の変革を連動させた正統ジュブナイルファンタジーとして、非常によくまとまっています。
 ラストはややあっけなく、意外と小さくまとまってしまった感がありましたが、この世界については背後にもっと膨大な物語があるらしいので、この物語はその世界の大きな物語の一エピソードであると思えば、とりあえず、文句なしに佳作なのではないでしょうか。

 ……が。何か、今ひとつ、物足りないのです。何か、小粒感、薄味感がある。
 どこが物足りないかといえば、たぶん、こじんまりと、きれいに、ライトに、あまりにうまくまとまりすぎているところ、よく出来上がりすぎてるところ、過不足の無さ過ぎるところが物足りないんじゃないかと……。

 過不足が無さ過ぎて物足りないとは勝手な言い草ですが(^_^;)、私の個人的な期待では、あれだけのストーリーや世界やキャラがあったら、何かもっと『濃い』ものが読めそうな気がしたんです。
 ひとつには、あまりにきれいにまとまっているために、かえって無いものねだりで、作者が作品を制御しきれなくなるほどの過剰な勢いや、全体のバランスを崩すほど突出した所、思い入れが強すぎて破綻したその綻び目からやむにやまれず溢れ出る作者の情熱を感じたかったのかもしれません。
 過不足なくよくまとまった作品に、その上さらに過剰や破綻の魅力まで求めてしまうなんて、読者って身勝手ですね(……って、そんなに身勝手なのは私だけ?)

 また、この作品にとっては大変申し訳ないことに、私がつい思い起こしてしまった、この手の設定の作品の理想形が菅浩江さんの傑作『メルサスの少年』だったせいもあるかもしれません。
 いくつかのちょっとした共通点から、ついあの作品を連想してしまったんですが、こういう明朗健全なジュブナイル・ファンタジーにあの濃密な幻想を求めるのはお門違いですね(^_^;) ごめんなさい。

 それと、もうひとつ。この作品を小粒に感じさせる要因には、イラストもあるのではないかと。

 イラスト自体は、決して悪くないのです。宮崎アニメ風の絵柄で、淡彩なので表紙用にはちょっと地味っぽいけど、とっても素敵な絵です。では、作品に合ってないのかというと、そんなこともなく、ものすごく合っているのです。これ以上ないほど、イメージぴったりなのです。イラストも宮崎アニメ風なら、作品自体も、私がこの感想の冒頭でつい『ラピュタ』の名を挙げてしまったように、宮崎アニメを連想させる内容なので、イラストと小説が、最初から一つのものとして存在していたかのように、二人三脚的にぴったり寄り添っています。元は雑誌連載作品ということなので、もしかすると、実際に、はじめからイラストと小説の二人三脚だったのかもしれません。

 でも、その、あまりにもイメージぴったりすぎること、あまりにハマり過ぎていることが、かえって作品の印象を小粒にしてしまっているような気がするのです。
 小説を読んでいる間、まるでアニメの絵コンテを見ているように頭の中にその絵柄でストーリーが映し出されていくせいで、この作品が、なんだかまるでアニメのノベライズのように感じられてしまうのです。だから、作品のイメージが固定され、アニメの絵柄で頭の中に浮かぶ以上のイメージの広がりが阻害されてしまうのです。例えば、キャラたちは頭の中で完全にあの挿絵のアニメ風キャラとして動いているし、風景もみんな、立体的な実写の風景ではなく淡彩で描かれたアニメの背景画で、それ以上の奥行きを獲得できないのです。

 誤解の無いように言っておくと、私は本が好きですがアニメも大好きです。ことに宮崎アニメは好きです(ちなみに、その中でも『ラピュタ』が一番好きです)。
 でも、本を読むときは、頭の中に、アニメの映像以上の、平らなスクリーンに定着させることが不可能な、五感に訴える多元的なイメージが呼び覚まされて欲しいのです。

 あんまりイメージ違うのもなんだけどイメージぴったりすぎてもいけないなんて、小説と挿絵の微妙な関係について、ちょっと考えさせられました。



★その他、読書メモ:『マルドゥック・スクランブル』三部作、三冊目読了。『赫い沙原』読み中。次は『七姫物語』。グインサーガ最新刊&その前のも積読中。『ヒーラーズ・キープ』上巻読了。『崖の国物語1』読み途中。



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