長編連載ファンタジー
イルファーラン物語
今回の『イルファーラン物語』第一章第十場は、イラスト御礼兼キリ番企画・読者参加の特別編です!
この企画は2001年12月から2002年1月にかけて期間限定で参加者を募集したもので、
イラストをくださった方とキリ番ゲッター様に作品出演権をプレゼントし、
今回の宴会シーンに村娘・自警団員役で出演していたくという企画でした。(企画の詳細はこちら)
出演者は、翡幸様・ゆめのみなと様・尾川朋子様・楓様・ゆずさ様・姫様の6名です。
もとから作品に組み込まれていた場面ですので、
もちろん、企画に関係なくそのまま小説の一部として普通に読むことができますが、
配役等に興味がおありの方は、こちらの企画記念ページをごらんください。
なお、ただいま読者様参加企画第二弾の参加者を大募集中(六月末まで)!
キリ番ゲット・イラスト寄贈・相互リンクのいずれかで参加できます。(詳しくはこちらをご覧ください)
これまでのあらすじ 突然異世界に飛ばされた内気な女子高校生里菜は、羊飼いの若者アルファードに拾われ、平和な高原の村で、彼と共に暮らしはじめた。この村には、昔から時々、里菜のように異世界からやってくるものがいて、<マレビト>あるいは<女神のおさな子>と呼ばて温かく受け入れられており、アルファードも実は里菜と同様に<マレビト>だった。 アルファードは、羊飼いの仕事の傍ら村の自警団の団長を務め、村を脅かす害獣のドラゴンを何頭も退治して<ドラゴン退治のアルファード>と讃えられる村の英雄であり、全国武術大会の優勝経験者としても尊敬されていた。 が、一方で、誰もが日常生活の中でささやかな魔法を使うこの世界で、ただ一人、一切の魔法が使えない人間として、長年、何かと苦労し、密かな鬱屈を抱えて暮らしてきた。 里菜もアルファードと同様、魔法が使えなかったが、里菜の場合は、さらに困難があった。里菜は他人の魔法をそばにいるだけで無効にしてしまうという特殊な力を持っており、それを自分で制御できなかったのだ。しかし、アルファードの協力で、里菜はその力の制御に成功する。 『リーナ』と呼ばれるようになった里菜は、頼もしい保護者であるアルファードに淡い恋心を抱きつつ、アルファードの年下の親友である陽気で気のいい若者ローイや、アルファードの妹同然の幼馴染みである優しく家庭的な娘ヴィーレとも親しくなって、新しい世界で楽しい日々を送っていた。 そんなある日、いつものように山の牧場(まきば)で羊を放牧していた里菜とアルファードの前に、羊を狙ってドラゴンが現れる。アルファードは里菜を逃がして、独り、ドラゴンに挑む。が、アルファードの苦境に我を忘れた里菜は、言い付けを破って隠れ場所から飛び出し、そのせいで逆に、庇おうとしたアルファードに火傷を負わせてしまう。牧羊犬ミュシカに助けられてドラゴンを倒したアルファードは、里菜の無謀を強く叱る。 その夜、里菜は、悪夢を見た。 夢の中で、里菜は、月夜の川辺に佇み、向こう岸に現れた黒衣の男に『エレオドリーナ』と呼びかけられ、川を渡るよう求められるのだ。フードで顔を隠し、大鎌を背負ったその男は、<魔王>と名乗る。 目覚めた里菜は、悪夢の名残りを払いのけるように、楽しかった前夜のドラゴン退治の祝賀会を回想する……。 |
十 きのう、里菜たちが村にたどり着いた時、村では、上空を飛び過ぎるドラゴンを見付けた子供たちの知らせで自警団員たちが集まって、詰め所で待機しているところだった。そこへ、傷を負い、ドラゴンの爪をもったアルファードが山から降りて来ると、蜂の巣をつついたような大騒ぎになったが、気のきくローイが村人の相手や自警団への連絡、それに羊たちを一手に引き受けて、アルファードと里菜は、ひっそりとヴィーレの家へ入っていった。ヴィーレに良く似てやさしげなヴィーレの母は、自身は病弱だが、村でも屈指の、癒しの魔法の達人だったのだ。 里菜は、治療のあいだ、となりの部屋で待っていた。彼女は、みなれた魔法は、もう消さないが、あまり見たことのない魔法を、「どうやるのだろう」などと思ってじろじろ見ると、たまに邪魔をしてしまうことがあるので、さっきローイが治療するときも、わざとそっぽを向いていたのだ。 治療を受けたアルファードは、もう、ほとんどの傷が跡かたもなく治って、ただ背中の火傷だけが、古い傷跡のように残っていた。だが、アルファードは、部屋から出てきた時にはもう、素肌に上着を羽織っていたから、里菜は、その場では、傷跡を見ることはなかった。 癒しの魔法は、何でも治せるわけではなく、どんな優秀な治療師が治療にあたっても、死ぬものは死ぬし、残る傷は残る。だが、致命傷でさえなければ治療の効果が出るのは非常に早い。特に、この魔法は、傷に対しては有効である。一方、病気の治療には、魔法よりも、それと併用される薬草などの普通の治療法の役割が大きいし、流行り病には、魔法は、ほとんど効かない。それはたぶん、流行り病は、不慮の事故による負傷とは違い、人間の宿命として死の神タナートの司る領域だからだと言われている。 アルファードと里菜が、自分たちの家に戻ると、そこではすでに、宴会の準備が進められていた。ローイは、実に手際よく、連絡や手配を済ませたのである。 「宴会だ、宴会だ!」 「酒だ、酒だ、酒を持ってきたぞ!」 てんでに騒ぎながら、若者たちが、わがもの顔でアルファードの家に出入りして、あれこれ運び込んだり、テーブルや敷き物を動かしたりしている。自警団には、一応、詰め所があるのだが、そこはほとんど武具の倉庫程度のもので、宴会や集会には、たいてい、独り者で気兼ねのいらない団長アルファードの家が使われて来たから、みんな、慣れたものだ。 若者たちは、帰ってきたアルファードの姿を見付けるといっせいに手を止めて、いきなり拍手や口笛で陽気に出迎えてくれた。 「いよっ! 我等が勇者様のお帰りだ!」 「おう、前代未聞の奇跡の男だぜ! いいぞ、<ドラゴン退治のアルファード>!」 「今、ミナトとシゼグとカーデが、ドラゴンを処理しに行ってるからよ。暗くなるころには戻るってから」 「ローイは、酒が足りないって、調達に行ってるぜ」 「傷の具合はどうだ? 準備は俺達がやるから、あんたらはそのへんに座ってな!」 訳がわからないまま庭先に椅子を出されてアルファードと並んで座らされた里菜がきょときょとしていると、ローイが、酒のつぼをいくつもぶらさげて賑やかにやってきた。 「おーい、村の皆さんから酒の寄付がきたぜ! 料理の差し入れもあるぞ!」 見ると、ローイの後ろから、料理の鍋やら包みやらを持った村人や子供たちが、ぞろぞろついてくる。みんなは、どっとアルファードを取り巻いて、あれこれさえずり始めた。 「おおっと、待った、アルファードはそんなにいっぺんにいろいろ言われても、返事がしきれないよ! ここはひとつ差し入れの御礼がわりに、当自警団の名広報係である、このローイ様が、アルファードに代わって皆様にドラゴン退治の模様を詳しーく話して差し上げよう! さあ、静粛に、静粛に!」 アルファードの横に立ったローイの声に、たちまち村人は静まって、子供たちは、ローイを囲んでてんでに坐り込んだ。みんな、これを期待して集まってきたのである。おもしろい話をするのも、ローイの数多い特技のひとつで、テレビも新聞もないこの村では、それは結構重宝な情報伝達の手段であり、娯楽でもあるのだ。 里菜も、アルファードとドラゴンの戦いをほとんど見てはいなかったから、ローイの話がどこまで本当かわからなかったのだが、アルファードが時に苦笑しながらも黙って聞いているところを見ると、多少の誇張はあっても、だいたいのところは事実に即しているらしい。こうして、話にきくと、 (アルファードって、すごいことをしてたのね……)と、あらためて感心してしまう。 見ぶり手ぶりもよろしく、だいたいの話を終えたローイは、 「そして、これが、そのときの火傷の跡でござい! おい、アルファード、上着脱いで背中見せろよ」と、いきなりアルファードを振り返った。完全に見せ物である。 なぜかしぶい顔をして上着を脱がないアルファードを見て、ローイは罵った。 「何だよ! さっさと脱げよ。男のくせに背中見せるくらいで恥ずかしいってのか? バッカじゃないの? でけえ図体して、ケツの穴の小さ……。おっと、いけない! ご婦人方の前で、下品な言葉を使っちまうところだったぜ!」 聴衆がどっと笑った。 (ローイってば、ひどいわ。アルファード、見せ物になっちゃって、かわいそう)と、里菜は思ってから、はっとした。 アルファードは、里菜に、火傷の跡を見せたくないのだ。里菜のせいで負った火傷で、跡が残ったことを、里菜に気にさせたくないのだ。 ローイもそのことに気が付いたらしく、声を落して──本人は里菜に聞こえないようにしたつもりだろうが、彼の声はよく通るので、あいにくと聞こえてしまった──アルファードに囁いた。 「リーナに見せたくないんだな。でも、そうやって隠そうとすると、あんたが傷跡を気にしていると思って、リーナがよけい気に病むぜ。平然と見せびらかしちまえば、それまでのことなのによ」 そして、ふたたび声を張り上げた。 「おい、アルファード、その傷、誰が応急処置してやったと思ってるんだ?」 聴衆からふたたび笑いと野次が起こる。 「アルファード、とんでもないやつに借りをつくっちまったな」 「あんた当分、ローイにこう言われて、見せ物にされるわよ」 その通り、これ以降、この、『アルファードのドラゴン退治』の物語はローイの新しい十八番になって、話すごとに少しずつ尾ひれがついていき、アルファードが運悪くその場に居合わせた時は、必ず背中を見せ物にされるはめになったのである。 アルファードは、しぶしぶ上着を脱いで、背中を向けた。里菜は、初めてその傷跡を見て、胸が痛んだ。 (そういえば、あたしまだ、アルファードに、ちゃんと謝ってないわ) さっきのアルファードの、一瞬の逆上を思い出して、里菜は、また、思わず身をすくめた。 (でも、どう考えても、あたしが悪いから、怒られて当然だわ。あたしのせいで、アルファードは死んでたかもしれないんだもの。……そう、アルファードは、命がけで、あたしを守ってくれたんだわ。なのに、あたし、お礼も言ってない) さっきの戦いの状況がよくわかっていなかった里菜は、今のローイの話を聞いて、あのときの出来事の意味が、初めて正確に飲み込めたのである。 「ねえ、ねえ、もう痛くないんでしょ? そこ、さわってみていい?」 聴衆の中から子供たちが出てきて背中にこわごわ触れるのを、アルファードは辛抱強く我慢した。が、そのうちに、 「ねえ、ねえ、あたしも触っていい?」 「あ、俺も、俺も!」と、自警団の若者や娘たちまで面白がって寄ってきたので、ローイが叫んだ。 「おいおい、子供はいいが、大人は有料だ! いや、女の子はタダだが、野郎は十ファーリ! 俺に、払うんだぞ!」 「おっ、なんで女の子だけ、タダなんだ! そりゃあ、差別じゃねえか?」 「うるせえ。アルファードだって、女の子に触られるのはいいが、野郎に触られるのは嫌なハズだ! そうに決まってる!」 「そりゃあそうかもしれないが、十ファーリはふっかけすぎだぜ。だいたい、なんでお前に料金払うんだ?」 「俺が治療した傷だからだよ! ほら、十ファーリは?」 たまりかねてアルファードは背中を隠し、憮然と言った。 「悪いが、いいかげんにしてくれないか」 「しかたない、今日の出し物はこれにておしまい!」 ローイの言葉に、聴衆は、笑いながら散っていった。これで、『イルゼールの自警団長アルファードのドラゴン退治』の物語は、数日の内にさんざん尾ひれがついて近隣中に知れ渡ることだろう。 その間に、宴会の準備はほぼ整っていた。狭い家の中には、若者や娘たちが、ぎっちりつまっている。独身の若者が中心である自警団の宴会は、独身男女の交流の場も兼ねていて、団員以外の娘たちも誘われてやってくるのである。 ローイがおもむろに酒樽を示して、声を張り上げた。 「さあて、そろそろ宴会をおっぱじめるか! 勇敢なる我等が自警団長、我が村の誇り、<ドラゴン退治のアルファード>の、新しい武勲を讃えて、祝賀会だ! ドラゴン退治の顛末報告は、ドラゴンの片付けにいった連中が帰って来てからにして、とりあえず、先に乾杯といこうや。こんな時のためにとってあった、例の、上イルドの百六十一年産の葡萄酒だぜ!」 「おおっー!」 「いよっ、副団長、いいぞお!」 陽気な歓声の中で、杯が次々と葡萄酒で満たされていく。 この葡萄酒は、以前この自警団が、頼まれて、葡萄酒の名産地イルドの村を荒らしていたドラゴンを退治した時の謝礼の一部である。イルドにも自警団はあるのだが、彼らは、救援を頼んだイルゼールの自警団が来るまで、家畜小屋を囲んで鳴り物を鳴らし、ドラゴンをそこから引き離しておくことくらいしか出来なかったのだ。 といって、彼らをバカにするのは酷というもので、普通は、どこでもその程度で精一杯なのだ。ほかの村人たちのように、家に閉じこもって、その不可抗力の天災が去っていくのを震えながら待っていなかっただけましというものだ。 このあたり一帯のドラゴン退治は、ここ、イルゼールの自警団が、ほぼ一手に引き受けているのである。 乾杯が済むと、みんなはてんでに好きなところに腰を降ろしてわいわい騒ぎながら飲み食いを始めた。今日の主役であり、ヒーローであるアルファードは、たちまち大勢の若者や娘たちに取り囲まれてしまったので、なんとなく気圧された里菜は、隅のほうで一人で料理を食べながら、その様子を眺めていた。 そうしていると、アルファードが自警団のものたちに心から慕われているのが、良く分かった。アルファードは、特に威張るでも目立とうとするでもなく、いつも通りに静かに座っているだけで、若者たちは彼を肴に言いたい放題、いいように冗談を言っているのだが、それでも、誰もが彼を自分たちのリーダーと認め、彼に心酔しているのが一目で見てとれる。里菜も前から気づいていたが、やはり彼は、根っからのリーダー気質の持ち主なのだろう。 そこへ、ドラゴンの後始末に行った団員たちも戻ってきた。 驚いたことに、今度ドラゴンの防具を貰うことになっていて、その皮を剥ぎにいっていたというミナトは、若い娘だった。アルファードが、自警団に女性がいるなどと一言も言わなかったので、里菜は、アルファードの雰囲気から、なんとなく自警団を、『オトコの世界』といったようなものだと思い込んでいたのだが、アルファードは、別にこのことを隠すつもりだったわけではなく、この国ではそれがごく普通のことなので、とりたてて話す必要があると思わなかっただけなのだ。 「アルファードも、やっとミナトをドラゴン退治に加わらせる気になったか……」 たまたま里菜の隣に来ていたローイが、感慨深げに呟いてから、教えてくれた。 「俺は、ミナトはもう、前からドラゴン退治に出る実力があると思ってたんだが、アルファードの奴が、なかなか出さなかったのさ。きっと、女の子だから、顔に火傷でもしたらとか、よけいな気をまわしてたんだろうよ。あいつは、結構、頭が古いからな」 「へえー。ねえ、ローイ、自警団にはいっぱい女の人がいるの?」 「うーん、いっぱいでもないが、ま、何人かは、な。若い男はだいたいみんな自警団に入るが、女の子は、希望者のみって感じかな。このあたりは、だいたい、どこもそうだぜ。北部のほうじゃ、まず自警団に女は入れないそうだけどよ。北部の連中は、なんにつけ、保守的なんだ。もっとも、このへんだって、自警団に女がいても、ドラゴン退治には、あんまり出ないけどな。だいたい、ほかの自警団にゃ、そんな実力のある女はいねえさ。男だって、まともにドラゴンと戦えるのは、よそにはあんまりいねえもんな。でも、ミナトはやるぜ。あれは、たしかに腕力はアルファードほどとはいかないが、それでも並の男にゃ決して劣らないし、総合的にみれば、レベルの高いウチの自警団でも、かなり上のほうだと、俺は思うね。だいたい、ドラゴン退治でケガをしないためには、腕力よりも、敏捷性と判断力がものを言うんだ。アルファードだって、奴は身体も立派だが、それ以上に敏捷性と判断力で勝負するタイプなんだからな。奴は、もっと早くミナトを正当に評価してやるべきだったんだよ」 腕力よりも魔法の力がものをいうこの世界では、軍隊などでも昔から女性がどんどん活躍しているのだが、魔法の通じる人間相手の戦いならともかく、魔法が通じないドラゴンが相手の時は、腕力で劣る女性はやはり不利になりがちで、だから、アルファードだけがそう特別保守的というわけではなく、この時代のこの地方では彼の考えはごく標準的だったのだが。 「ふうん、ミナトって、すごいんだ……」 里菜はすっかり感心して、ドラゴンの皮を掲げて誇らしげに帰ってきたミナトを見た。しっかりした体格の背の高い娘で、なかなかの美人である。 「そうさ。ミナトはな、誰よりも努力したんだからな。俺は、自警団の訓練が終ったあと、しょっちゅうミナトが自主的に居残り練習するのに付き合ってやったんだ。腕力は俺のほうがミナトより上だが、ほかは互角だぜ。前に言ったと思うけど、実は俺だって、けっこう強いんだ。たぶん、そうは見えないだろうけどさ」 「うん、ぜんっぜん、そんなふうに見えない」 「なんか、そこまで強調されると、ガックシくるよなあ。前にさんざん俺の活躍ぶりを話したじゃん」 「うん、そういえば……。だけど、どうせフカシだと思ってた」 「あーあ、やっぱり。どうせ、そうだろうと思ってたぜ。うそだと思うなら、ここにいるみんなに聞いてみろよ。俺がどんなに強いか、みんなが証言してくれるから。いいか、アルファードみたいに、見るからに強そうなやつが強いのは、あたりまえ! 俺みたいな、スリムな色男が実は強いってのが、今、かっこいいの! 分かる?」 「う、うん。ローイも、すごいんだ」 「そ! あんたも、ドラゴンをやっつけたければ、いきなりじゃなくて、もっと身体を鍛えて、アルファードに稽古をつけてもらってからにしなよ。ものには順序ってものがあるからな。自警団じゃ、少年少女向きの護身術や剣術の講習会もやってるから、あんたはまず、そっちだな。女の子もいっぱい来てるからさ。もっとも、あんたのその身体をなんとか人並みにまででも鍛えるには、人並はずれた努力が必要だろうな。勇敢なのはいいことだが、それだけじゃ、身体はついてこないぜ」 里菜とミナトの体格に雲泥の差があるのは一目で明らかで、それは生まれつきのものもあるだろうが、ミナトの人一倍の努力のたまものでもあるのだろう。そういえばローイも、よく見ればたしかに、弓を引くのに必要な頑丈な胸板と強い腕を持っているようだ。 ローイは、あたしの甘さを指摘したんだ、と、里菜は赤くなってうつむいた。腹は立たなかった。ただ、自分が恥ずかしくて、里菜は小さな声で言い訳した。 「あのときは、ただ、アルファードが危ないと思って、そしたら、訳がわかんなくなっちゃって……」 「あーあ、わかった、わかった。ごちそうさん。だけどな、リーナ、あんた、あの時、その場の状況、ぜんぜん分かってなかったろ? そういう時は、すばやい状況把握がモノをいうんだぜ。あんたはさ、言っちゃ悪いが非力なんだから、せめて敏捷性とか、とっさの判断力でそれを補わないとならないのに、どうやら、それもあんまり、あるようには思えないな」 ローイの指摘に、里菜は、ますますうつむいた。 「別に、ドラゴン退治をしたいとか思ってるわけじゃないの。あんな怖いもの、二度と見たくない。あたしに無理なのは、もう十分わかったわ」 「まあ、そうしょげることはないよ。きついこと言っちまったが、いくら努力が肝心といったって、人にはそれぞれ、もともとの向き不向きってのも、たしかにあるんだし、ドラゴンを殺すだけが人間の価値ってわけじゃないからな。あんたも、この世にいるからには何かここでやるべきことがあるはずだ。何か、あんたにしか出来ないことが。そして、それはきっと、ドラゴン退治じゃないのさ」 「ローイ、あなたって、すごくいいこというのね」 ただの軽薄なお調子者かと思っていたけど、という続きの言葉を、里菜は呑み込んだ。 「おう、あったりきよ! 人生相談のローイ先生だぜ! 口先なら、まかせてくれ!」 「ローイって、面白い……」 「ところで、あんた、アルファードに叱られたんだって? 何だか随分きつく言っちまったって、さっき、あいつ、気にしてたぜ」 「うん、すごく怒られた。あたし、今、あなたに言われたようなこと、アルファードにも言われたの。自分の力を考えろって」 「そうだろう。やつが、この自警団のことで自慢に思っているのは、退治したドラゴンの数じゃない。今まで誰も大きなケガをしたものがいないってことなんだ。アルファードは、団員全部の力量とか特性を良く把握していて、それぞれの力に応じた役割を割り振るし、みんなも自分の力をわきまえて、やつの指示をよく守る。それが、ウチの強さの秘密なんだ。奴がなんで怒ったか、分かったろ?」 「うん。よくわかった。ねえ、アルファード、まだ怒ってると思う?」 「ああ? まさか。だいたい、最初から、本気で怒ってたわけじゃないだろう?」 「ううん、絶対、本気で怒ってた。アルファード、怒りのあまり手が震えてたもん。ぶたれるかと思った」 「アルファードに? まさか。あいつは、剣の稽古をつけるときは相手の力に応じた手ごころは加えても女だからって理由で手加減はしないが、それとこれとは話が別で、女の子に手をあげたりは、絶対するはずがねえよ。でも、あんたがぶたれるんじゃないかと思って恐くなるくらい怒ってたわけ?」 「うん。でも、あたしが悪いから。あたしのせいで、アルファード、死ぬかもしれないところだったんだもの。ちゃんと謝って、お礼も言いたいって思ってたんだけど、なんかタイミングが悪くて……」 「うーん、そうかあ。あのアルファードがねえ。でもな、あいつは、自分があぶない目にあったからって、それで怒るようなやつじゃない。きっとあんたのことが本気で心配だったから、そんなに怒ったんだぜ。だいたい、あいつは、誰に対しても、説教はするが、カッとなるとか本気で怒るとかいうことは、もう何年もなかったんだ。アルファードを本気で怒らせたってのは、そりゃあ、たいした快挙だよ。俺も見たかったよ、普段澄まし返って聖人づらしてるあいつが怒るとこをよ。怖かっただろう」 「うん。泣くほど恐かった。すごい迫力」 「あはは、そうだろう! あのガタイだからなあ。怒ったら怖いよな。いや、俺は、ヤツがまさかそんなに本気で怒ったんだとは思わないで、ちょっと厳しく説教しただけだろうと思ってたよ。でも、そういえば、さっき、あんたらの雰囲気、ちょっと変だったなあと思って、もしかしてあんたが叱られた理由をちゃんとわかってないんじゃないかと思って、それでこうしてフォローしに来たわけよ。まあ、とにかく、今はもう怒ってないよ。あいつのほうも、あんたに謝らなきゃならないって気にしてたもん」 「ほんと? アルファード、そんなこと言ってた? 謝らないといけないのは、あたしの方なのに」 里菜はかすかに微笑んだ。 「そうそう、そうやって、笑って、な? さあ、アルファードのそばに行ってやれよ。あいつも、あんたのこと気にして、仲直りしたがってるからさ。やつがそんなに怒ったのは、それだけあんたのことが大事で、心配でしかたなかったっていう証拠だよ。ドラゴン退治の勇者様に、やつの姫君から、ご褒美のくちづけのひとつもくれてやんな!」 言いながらローイは、なんで自分がこんなふうにアルファードと里菜の仲を取り持ってやらなけりゃならないのかと思っていたのだが、長年の人生相談係で身につけてしまったクセで、ついついこうなってしまうのである。彼は本当にいいヤツなのだ。 彼のあまりの『いい人』ぶりに感じ入った里菜は、衝動的に、思ったとおりのことを口走った。 「ローイ、あなたって、いい人ね!」 「うわっ、やめてくれよ。確かに俺はいいヤツだが、あんたにそのセリフ、言われたくないんだよ」 「なんで? だって、ほんとに、そう思ったんだもん!」 「あのさ、あんたに他意はないんだろうけど、俺、今までに何回も、そのセリフで振られてるの! 古傷がうずくから、そのセリフはやめてくんな! 俺のこの辺、古傷だらけなんだからさぁ」 ローイは芝居がかった仕草で胸に手を当て、大げさに沈痛な表情を作って天を仰いで見せた。 そのおどけた様子に、里菜は思わず吹き出した。 そこに中央のテーブルから声がかかった。 「おーい! カカシさんよ! いつまでそんなすみっこで女の子口説いてるんだ! みんな揃ったぜ。顛末報告はどうした?」 「おおっ! いま始める! じゃ、リーナちゃん、俺の熱演、とくと聞いててくんな」 ローイは立ち上がって、人をかき分け、部屋の中央に出ていった。 立ち歩いていたものはみな、もう一度、思い思いの場所に腰を降ろした。 ふと、まわりから人垣が消えたアルファードのほうを見ると、彼の両隣には、いつのまにかそれぞれひとりずつ娘たちが陣取って、彼にしなだれかかっている。片方は淡い紫の服がよく似合う小柄な美少女で、もう一人は、丸顔が愛らしい、優しそうな娘だ。 里菜は思わずムッとしたが、アルファードのほうは、蚊がとまったほどにも感じないという顔でまるっきり娘たちを無視して、黙ってゆっくりと酒を飲んでいる。 (そうか、アルファードって、その気になればこんなふうに、女の子たちを平然と無視できるんだわ。あたしがあんなことしたら、絶対、水を汲みにいっちゃうのに……。でも、これって、あたしが嫌われているってわけじゃないのよね? あたしにだって、そのくらい分かるわ。あたしは、無視されないだけ、脈があるってことね!) そう思うと、優越感から、アルファードにまとわりついている娘たちに対して寛大な気分になる。 (どうぞ、ご自由に! あたしは毎日、一日中アルファードのそばにいるんだから、今しかチャンスがないあなたたちみたいにガツガツくっつかなくてもいいんだもん!) そういえばヴィーレはどうしただろうと見回すと、彼女は別の隅で、娘たちのひとりと静かに話をしている。彼女は、決して暗い性格ではないのだが、こういう、人が大勢集まる席で、まんなかで目立つタイプではないのである。ましてや、ここぞとばかりアルファードにしなだれかかるなどということが出来るわけもなく、最初に簡単にお祝いを言いに来たあとは、気の合う友達とおしゃべりしながら、ただ遠くからアルファードを見てるのだった。 ドラゴン退治の物語をさっきよりさらに調子よく熱演し終えたローイに、何人かから、声がかかる。 「ねえ、ローイ、もうひとつ、何かほかの話してよ。まだ、聞き足りない!」 「怪談がいいよ、怪談! 例のあれ、ほら、『ラドジール』のやつ!」 ローイは張り切って椅子に飛び乗り――そんなことをしなくても、彼はもとから、頭半分、周囲から抜きん出でいたのだが――声を上げた。 「よーし。ご要望にお応えして、もういっちょ行くかあ! その名を聞くだに恐ろしい、『カザベルの食人王ラドジールの物語』、始まり、始まりイ!」 「待ってました! いいぞ!」 「シー! 静かにしなさいよ」 若者たちは、しんと静まって、ローイの怪談に聞き惚れだした。 里菜から見れば、いい年をした立派な青年男女が、修学旅行の小学生よろしくワクワクして怪談を聞いている様子はなんだかおかしかったが、この村では、ローイの『お話』は宴会に欠かせない娯楽なのである。その中でも、この話は、みんなが飽きもせずに繰り返し聞きたがるローイの十八番《おはこ》で、誰でも知っている有名な伝説にローイが彼なりの脚色を加えたものだ。ここに集まっているもので、子供のころ、母親に、「寝ない子のところにはラドジールが来ますよ!」などと脅された覚えがないものは、アルファードと里菜を除いては、多分いないだろう。 「……こうして、勇猛をもって知られた、さしもの妖精王ラドジールも、自分が殺して食った十三人の女のたたりで打ち続く怪異にしだいに心を弱らせ、ついには気が狂い、城の物見の塔から身を投げて、哀れな最後を遂げたんだ。 その時、ラドジールは三十五才。一介の商人の息子から身を興し、若干二十二才で王位に就いて以来、十三年間の短い治世の間に、貧しい小国に過ぎなかったカザベルを南の大国イルベッザに比肩する北の大国にまでのし上がらせた乱世の雄の、彗星のごとき一生はここに終わりを告げ、興国の英雄の死とともに、カザベル王国の命運も尽きた。カザベル城の石畳には、ラドジールの血痕が、今も消えることなく残っているそうだ。 だが、カザベルのラドジールの物語は、これで終りという訳じゃない……。 塔から墜落したラドジールの死体は、ぐちゃぐちゃに潰れて内蔵がはみ出し、血と脳漿があたりに飛び散り、見るも無残な光景だったと言う。そして、その、美しかった顔も、目鼻も分からぬほど無残に潰れていたんだが……。その時、なんと、すでに息絶えた屍の口が、ぽっかりと開いて、女の声で、こう言ったんだと。 『ジール……、ジール……。待っていたわ。やっとまた、あなたはあたしのもの……』 それは、あの、ラドジールが殺した、最初の恋人の声だったんだ。ラドジールの魂は、恋人に導かれて、その肉体を抜け出していった……。 しかし、食人の罪を犯した狂王ラドジールに、永遠の黄泉の安息は与えられなかった。亡者となってさえ、彼は人肉の味を忘れられず、風の中を漂いながら、うまそうな若い娘を探し出し、真夜中にその血を啜る魔物となった。夜更けに風が啜り泣く時は、狂えるラドジールの魂が、若い娘の姿を求めて家々を覗き込みながら、空をさまよっているのだという……。そら、今も、窓の外で、風の叫びが聞こえないか……?」 そこでローイは、おもむろに、恐ろしげに聴衆のほうを指差して叫ぶ。 「あ! ミナト! お前の後ろに、ラドジールが!」 「キャーッ!」 名指しにされたミナトを初め、娘たち全員が、悲鳴をあげて、意中の若者や、たまたま隣にいた友達に抱きつく。 ここが、ローイの脚色によるこの伝説の人気の秘訣で、若者たちは、ここで意中の娘に抱きついてもらうのを楽しみに、ローイにこの話をせがむのである。娘たちもみんな、この怪談を何度も繰り返し聞いているから、すっかりこの展開を知っているのであるが、ここでローイに名指しにされるのを、ワクワクして待っているのだ。そんなお約束を知らない里菜だけが、取り残されてキョトンとしている。 ちなみに、今日、ローイがここで、ミナトの名を言ってやったのは、彼女がドラゴン退治への参加を認められたことへの、彼なりの御祝儀がわりのつもりである。ミナトに抱きつかれているのは、いかにも大人しそうな小柄な若者で、どうみてもミナトのほうが強そうなのが笑えるが、彼はまんざらでもなさそうにしている。 アルファードの隣にいた娘たちは、もちろん両側からアルファードに、ヒシとしがみついた。アルファードは黙って、勝手にしがみつかれている。 若者たちが、その様子に気付いて叫んだ。 「おっ! アルファードが、あんなすみっこで、いつのまにかちゃっかりモテてるぜ!」 「いいじゃないか、ナーク、アルファードは今夜の主役だ!」 「いいなー、いいなあ! しかもユーサちゃんとレサちゃんだよ。俺たちの女神様ふたりを独り占めだよ? ユーサちゃーん、そんなとこいないで俺のとこへ来てよ!」 「ベーだ!」 ユーサと呼ばれた紫の服の娘は、アルファードの逞しい腕にことさらギュッとしがみついて舌を出した。 ユーサに振られた若者は、懲りもせず、反対側の娘にも声をかける。 「レサぁ、あんたはこっち来てくれるよな?」 レサと呼ばれた優しげな娘はニコニコ笑って答えた。 「あとでね、あとで」 そう言いながらも、どうやら、せっかく手に入れたアルファードの隣席という幸運を手放す気は毛頭なさそうで、里菜でさえ邪魔しようという気が失せるほど、実に幸せそうにうっとりとアルファードに寄り添っている。 アルファードは、相変わらず、黙って酒を飲んでいるだけだ。 あとはもう、無礼講である。 ドラゴンの爪を紐に通して首にかけてもらったミュシカに、若者たちが我先に食べ物を差し出す。 「おい、ミュシカ、お前は偉い! これ、食えよ! ほら、にんじんの煮物!」 「バカ、ミュシカはそんなもん、食うか。こっちだよ、こっち。骨つき肉!」 「あら、ディード、床に肉なんか置いちゃダメよ! 汚れるじゃないの」 「いいんだよ、どうせ掃除するのはアルファードだ!」 「ひどーい!」 「なんだよ、ヴィヴィ、文句あっか!」 「お前ら、いくら仲良しだからって、こんなとこで、痴話ゲンカはよせよ!」 「ええーっ! ディードとヴィヴィはデキてたのか! 俺、知らなかったぞ! いつからだ? ヴィヴィぃ、考え直せよ。俺、お前のこと好きだったんだぜ」 「嘘おっしゃい、ナーク! あんたは、このあいだ、誰かさんにプロポーズしたんでしょ!」 「あーっ! なんでお前が知ってるんだ? それ、まだ秘密だったのに!」 「ええー! ほんと? ねえ、ヴィヴィ、誰かさんって、誰? 誰?」 「言うな、ヴィヴィ!」 「なによお。どうせすぐ、婚約発表するんでしょ? 今ここで発表しちゃいなさいよ。あんたが言えなきゃ、あたしが代わりに言ってあげる! あのね、ミナト、ナークはね……」 「わあ、ダメ、ダメ、ダメ!」 などと、騒がしいこと、この上ない。 彼らの賑やかさに圧倒されていた里菜も、いつまでも一人でぽつねんとしていたわけではなかった。 彼女は今日の出来事のもう一人の主役でもあることだし、もともと、別の世界から来た娘ということで誰もが里菜に興味を持っていたのにこれまであまり言葉を交わす機会がなかったということもあって、すぐに里菜の回りにも、若者や娘たちが入れ替わり立ち替わりやってきては、話しかけはじめたのだ。 実をいうと、どこからともなく村にやってきて、『転校生効果』で一時期妙に若者たちの関心を集めてしまった里菜は、これまで、村の娘たちの多くから、嫉妬混じりに『ぶりっこ』『カマトト』などと言われて、あまり良い感情をもたれていなかった。 なにしろ、初対面の印象が悪かったのだ。みんな最初は、まだ見ぬ里菜を仲間に入れてあげよう、やさしく迎えてあげようと盛り上がっていたのに、やっと引き合わされた肝心の里菜は、アルファード以外の人間は目に入っていないらしく、自分たちのほうなどろくに見ようともせず、あんなに親切に話しかけてあげたにもかかわらず、まるで、何だか妙な動物の群れに放り込まれたとでもいうような居心地悪そうな様子で、終始、助けを求めるように、アルファードの姿を目で追ってばかりいる。回りに見えない壁を張りめぐらせて、自分たちを遮断したがっているように見える。どうも、この子は、<女神のおさな子>である自分がこんな卑しい村娘などと同席するのは不本意だ、とでも思っているのではないか──。 実は里菜は、ただ人見知りをしていただけなのだが、村の娘たちの目には、里菜は、なんだかお高く止まっているように映ってしまったのだ。 その上、今まで誰が誘っても一切なびかず堅物で知られてきた村の英雄アルファードをあっさりと独占してしまったことも、娘たちのあいだでの里菜の不評の理由のひとつだ。 アルファードは、これまで、誰のものにもならないがゆえに、それなりにみんなのものだったのだ。それを、突然割り込んで来た他所ものの娘が、たまたまアルファードに拾われたからといって、野良猫みたいにその家に居ついて抜け駆けをするなんて、というわけだ。 それも、アルファードと結婚してしまったとか、おおっぴらに恋人どうしになってしまったとかいうなら、それなりに祝福してあげてもいいが、ふたりの間にはどうみても『何もない』らしいのに、妹とも養女ともつかぬ中途半端な居候の彼女をアルファードが妙に大事にしているのが、どういうものか、よけいに腹立たしいのだ。 だが、若者たちのほとんどが里菜に興味を失い、里菜のほうもどうやら、あちこちの男に色目を使う気はないと分かった今、娘たちの里菜を見る目も、だいぶ穏やかになってきた。それに、アルファードと里菜の関係も、里菜は本気でアルファードが好きなのに、アルファードのほうが、例によって妹扱いしかしてやらないらしい。それなら自分たちと立場はあまり変わらない。 いや、一緒に住んでいながら妹扱いしかされないなどというのは、自分たち以上に絶望的に見込みのない状態かもしれない。 そもそも、アルファードの気を引こうとしていた娘たちのほとんどは、確かに彼の強さや頼もしさ、誠実さといったものに惹かれてはいたが、それよりも結局、本当のところは、誰にもなびかないアルファードを、それゆえに一種のアイドルのようなものに祭り上げて楽しんでいただけで、たいてい、本命は別にいたのである。ただ、なびかないとなると構ってみたくなるのが彼女らの習性だったというだけのことなのだ。 そうなると、彼女たちも別に意地が悪いわけでもないので、そろそろ、里菜を仲間に入れてあげたい、別の世界から来た珍しい娘と友達になってみたいという気運が、反感に打ち勝って高まってくる。 そこへもってきて、今回の事件では、里菜もなかなかただの『ぶりっこ』ではない一面を見せたということで、もともと好奇心の強い娘たちのこと、いっせいに里菜を取り囲み『あちら』の世界のことをあれこれを質問し始めた。 そこに、若者たちの一団から大声が上がった。 「おい、そういえば、今日は、ローイの歌をまだきいてないぞお!」 「そういえば、そうだ。ローイ、そろそろ、頃あいだろう。一曲やれよ!」 「おう、そろそろいくか! 酒の入り具合も、丁度だ。こうでなくちゃ声が出ねえや」というローイの声に、今までてんでに大騒ぎしていた連中が、いっせいにローイに向かってリクエストをしはじめた。 里菜は、意外そうに、たまたま隣にいた色の白い小柄な娘に尋ねた。村の娘たちの多くは大柄で大人っぽく、里菜にとってはちょっと気後れがする存在だったが、この娘は背丈も自分とあまり変わらず、年令も同じくらいと見えるし、どうやらあまり身体が丈夫でなさそうなところにもなんとなく親しみを感じて、話しかけやすかったのだ。 「ねえ、ドリー。ローイって、歌なんか得意なんだ?」 「そうよ。あなた、知らなかった? ローイとはけっこう親しくしてたんじゃないの? あ、でも、そういえば、宴会は初めてだもんね。ローイはね、あれで結構テレ屋なとこ、あるから、お酒が入らないと歌わないのよ。すっごくうまいんだから。声もいいし。歌っているのがかかしのローイだと思わなければ、うっとりしちゃうわよ」 「へえ、そうなんだ。あたし、なんだかヘンな歌を歩きながら歌ってるのしか、聞いたことなかったから。でも、そういえば、いい声だったし、歌も、うまかったかもしんない。……でも今、ああいうヘンな歌、歌うんじゃないんでしょ?」 「ああ、あの歌ね」と、ドリーは声をたてて笑った。「ああいうのならシラフでも歌うわよ。あ、始まるわ。とにかく、聞いてて。ほんと、いいんだから」 どこから取り出したのか、カマボコ板大の木片に弦を数本張ったような小さな単純な楽器を指で弾きながら、テーブルの端に腰掛けて、ローイが歌い出した。みんな、しんとして聞いている。 その歌が、普段のローイのふざけたようすからは想像も出来ないような愛らしいラヴソングだったので、里菜はびっくりした。それがまた、確かにうまい。しみじみと心にしみる美しい歌声である。ローイには意外な特技が実に多いらしいのは分かっていたが、この才能はハンパじゃないかも知れないと、里菜は呆然と聞き入った。 一曲を終えたローイは、喉を湿らすためと称して、一休みして酒をあおった。 ドリーが里菜の肘をつついて言った。 「どう、言った通りでしょ? 宴会の中盤には、やっぱりこれがなくっちゃね」 「うん、あたし、びっくりした。あのローイが、あんなきれいな歌を歌うなんて」 「じゃあ、もっとびっくりするかも知れないけど、あの詞、ローイが作ったのよ」 「ええーっつ! うそ!」 「ほんと、ほんと。ガラじゃないでしょ? 曲はこの辺の古い民謡なんだけど、それにローイが自分で詞をつけたの」 それは、里菜にとってますます信じられないことだった。そういえば、確かに拙い詞だったかも知れないが、それはとんでもなくロマンティックで、おセンチと言っていいほどの詞だった。あの、ガサツなローイが、まさか、である。 二曲目は、なんだかもの悲しい放浪の歌だった。これもまた、ローイには不似合いである。 「今のも、ローイの詞?」 「そうよ。彼が歌うのは、ほとんど、そう」 「でも、ローイって、ずっとこの村に住んでるんでしょ。それに、あんなに明るい人なのに。なんで、あんな悲しい歌をつくるの? 失われた故郷がどうたら、みたいな……」 「ああ、それはね……」 ドリーは、顔を曇らせた。 「きっと、ヴィーレのことを歌っているのよ。彼、恋の歌の時もそうだけど、あのテの歌を歌う時も、ヴィーレのほうだけは、絶対見ないもの。ヴィーレが、彼の失われた故郷なの。それに気付いてないのは、本人だけよ」 「ヴィーレ? ……何でヴィーレが出てくるの?」 「え? あら、あなた、知らなかったの? あたし、まずいこといっちゃったかしら? まさか、知らないなんて思わなかったから……。でも、これは村では誰でも知っていることなのよ。……ローイとヴィーレは、もと許婚《いいなづけ》だったの」 「え! そうだったの? あたし、ちっとも知らなかった。『もと』っていうと、今はもう、そうじゃないってこと?」 「うん、正式にはね。ずっと小さい頃からの許婚だったんだけど、何年も前に婚約解消しちゃったのよ。たぶん、何だかつまらない意地をはって、そういうことになっちゃったんじゃない? でも、今でもあの二人、本当は好き合っていると、あたしたちみんな思っているの。いつかきっと、あの二人、やっぱり結婚するわよ。ああ、ロマンチック!」 ドリーは祈るように両手を組み合わせ、目に星を浮かべてうっとりと中空を仰いで見せた。テレビの恋愛ドラマもロマンス小説も存在しないこの村の娘たちにとって、他人のロマンスは格好の娯楽の種である。 「へえ……。そうなんだ……」 意外な事実を知って、里菜は、初めて見るもののようにローイをまじまじと見直し、隅っこにいるヴィーレと見比べた。 (ふうん……。そうだったんだ……。たしかにローイとヴィーレって、とても仲がよさそうだとは思ってたんだけど、ただ幼馴染みだからかと思ってたわ。でも、ヴィーレって、もしかしてアルファードが好きなんじゃないのかと、ちょっと思ってたんだけど……) その後、ローイは、何曲か歌を歌ったが、合間合間に酒をあおるので、しまいにはロレツが回らなくなり、それでも歌いつづけようとするのを、さっきとは逆に、みんなによってたかってテーブルから引きずり降ろされ、楽器を取り上げられてしまった。 これもいつもの展開で、みんながまだ酔っていない宴会の序盤にはローイのお話、程々に酔いが回った中盤にはローイの歌、そのあとはすっかり座が乱れて乱痴気騒ぎというのが、ここの宴会のパターンである。ローイは、宴会の段取りも得意だが、その上、多彩な特技で座を盛り上げる、宴会には欠かせない人材なのだ。 テーブルから引きずり降ろされたローイは、しばらく、その労をねぎらわれながら酒をどんどん飲まされていたが、そのうちふらふらと里菜たちのところへやってきた。 「おお、リーナちゃん。何、そんなとこでひそひそ話してるんら? あ、そうか、俺のファンクラブに入るにはどうすればいいかって、ドリーに聞いてたんらろう! なんたって俺はスターらもんな。宴会の星らぜ! イェーイ!」 すっかりロレツが回らないローイに、里菜は笑いながら応えた。 「ほんとね。ローイ、すっごく、歌、上手なんだ。びっくりしちゃった」 「おお、そうらぜ! 知らなかったかあ? 俺に、ますます惚れ直したろう!」 「もう、ローイってば。惚れ直せる訳ないじゃない。もともと、惚れてなんか、ないんだもん」 「あ、そ。惚れてなかったの。俺、知らなかったぜ。じゃあ、いまかられも、惚れてよ。そうそう、ファンクラブに入るには、入会料がいるんらぞ。今ならたったの、キス一回! ほら、ほっぺに、チュッ、ってさ」 なにやら調子のいいことを言いながら里菜の前に突き出されたローイのほっぺたを、平手でバチンと張ったのは、ドリーのほうだった。 「なあに寝惚けたこと言ってるのよ、この酔っ払い! かかし男!」 「痛ってェ! 何すんら! そのうえ、村の大スター様に対してかかしとはなんら!」 ぶつぶつ言いながら、ローイはそのまま、またふらふらと別の一団に加わりに行った。 その千鳥足に、里菜とドリーは、顔を見合わせて吹き出した。ともに小柄で色白という共通点を持つこのふたりは、どうやら気の合う友達になれそうな気配である。 そのうち、宴会が進み、みなが酔っ払うにつれて、話題は、毎回お定まりの思い出話にたどりつく。 「でもよお、あんときは、面白かったよな! イルベッザでさ!」 「そうそう! カーデとかシゼグとかが、軍の巡回警備の連中にしょっぴかれてな。アルファードが、さんざん頭下げて、説教くらって、釈放してもらってよ」 「なんだよ、俺らのことばかり悪者にするなよ。たまたま俺らがつかまったってだけで、お前らも充分暴れて、店のもん、いろいろぶっこわしたじゃないかよ! あとでアルファードが、賞金で弁償したんだぜ。だいたい、例の野郎の腕を折ったの、お前だろうが」 「そうともさ! いやあ、あんときは、すっとしたよ! あの、町の青びょうたん野郎ども、俺達を田舎者だと思って、バカにしやがってよ!」 「いやあねえ。男って、野蛮よね! 要するに、あんたたちみんなが、悪いのよ! アルファードがどれだけ迷惑したと思ってるの?」 「ヴィヴィ、お前はいつでもうるせえんだよ! そんなことじゃ、ディードに愛想つかされるぜ!」 「なんですって! おおきなお世話よ!」 彼らは、この、イルベッザの思い出話を、宴会のたびにあきもせず、繰りかえすのである。 それは、アルファードが武術大会に出場したときのことで、農閑期だったこともあり、その時彼らは、なけなしの蓄えをはたいて、馬車を連ねて応援に繰り出したのだった。彼らにとって、そうでもなければ一生訪れることもなかったかもしれないイルベッザの都をアルファードのおかげで見物できたというだけで、すでにアルファードは英雄なのである。 ところが彼らは、そのイルベッザで、町の若者たちと一悶着起こして乱闘騒ぎをやらかしたのだ。 「とにかく、もとはと言えば、あっちが悪いんだぜ! 俺達のアルファードに難癖つけやがって! なにが、どうせ八百長だろう、だよ。とんでもないいいがかりだよなあ」 「そうだ、そうだ! あいつら、どうせ、あの決勝戦の相手に賭けてたんだぜ。そうに決まってる」 「そうだよなあ。あの男、岩みたいなすごい大男だったもんなあ。あれとくらべれば、アルファードなんて、まるでほっそりして、華奢に見えたもんだ。誰だって、あっちに賭けらあな。でもアルファードは、勝ったぜ! 技の正確さが段違いだったもんな」 「そうそう。アルファードは動きにも体格にも無駄が無いんだ。都のやつら、みんな、技を見る目が無いから、見てくれに騙されたのさ。筋肉なんて、あればあるほどいいってもんじゃないのに、あいつらの目は節穴だね」 「まったくだ。まあ、そのおかげで、俺達みんな、儲けさせてもらったけどな!」 武術大会では、賭は御法度なのだが、こっそり、というより、おおっぴらに禁を犯して賭をするものは、当然ながら跡を絶たない。むろん、彼らも賭けたわけだ。 アルファードの決勝戦の相手は、筋肉隆々の体躯をごつい防具でさらに膨れ上がらせた、身長二メートルはゆうにありそうな大男で、普通なら持ち上げることもできないだろうというほどの幅広の大剣を丸太のような腕で軽々と振り回して見せて満場の歓声を浴びており、しかも、単なる力自慢のでくのぼうなどではないことはこれまでの試合で十分披露済み、対するアルファードは身長百八十センチ台、引き締まった無駄のない体格は普段は十二分に逞しく見えるが、相手の大男と向かい合うと、まるで軽量級の小兵《こひょう》に見える。 その上、粗末な羊毛の普段着に、いかにも借り物らしい革の胸当てという軽装、体格に不釣合いで見映えのしない小振りの剣とくれば、それまでの試合で一見貧弱なその剣をいかに巧みに扱うかが実証されていてさえ、やはりとても勝ち目がありそうには見えなかったから、この試合でアルファードに賭けた慧眼の少数派は大儲けしている。その分、負けてくやしがっていたものも多かったのだ。 決勝戦に上がって来るまでも、アルファードの試合はあまりに簡単に勝負がついて派手な見せ場もないあっけないものが多く、実はそれは双方の力量にそれだけ圧倒的な差があったからなのだが、その無駄な動きのない剣捌きの鮮やかさを見抜けない素人にはただ相手が弱かっただけのつまらない試合に見え、彼は単にクジ運が良くてまぐれで決勝戦まで来られたのだと思われていたから、その彼が、派手な流血戦を勝ち抜いて来た迫力満点の大男をあいかわらずの一見地味な試合展開で破るのを見て、試合直後には、酒と興奮で目が曇ったままに、賭けに負けた腹いせもあって八百長だなどと喚き出す者までいたのである。 そういう愚か者たちも、多くは、後で頭が冷えてから、剣技を見る目のあるものたちの試合評を聞いて納得し、自分の浅薄な空騒ぎを恥じることになったのだが、その夜はまだ興奮も冷めやらず、あちこちの酒場で似たような小競り合いがあったらしい。 「それにさあ、あいつら結局、血を見たかったんだぜ。それで欲求不満だったんだ。なんたって我等がアルファードは、誰にも一滴も血を流させずに勝ったもんな。それだけ技が確かだってことだよな。それをあいつらは、自分らの野蛮な期待をアルファードが満足させてくれなかったってんで逆恨みしてたんだ」 「でもあいつら、結局望み通り、たっぷりと血を見られたわけだよな。自分の鼻血をよ!」 「鼻血だけじゃないぜ! 俺はもっと血を見せてやったぜ!」 「カーデったら、何、自慢してんのよ! だから、しょっぴかれたんじゃない! ほんとにしょうがないったら」 「なんだよ、ヴィヴィ。おまえはいちいちうるせえんだよ。このじゃじゃ馬!」 「言ったわね、なによ! あんたなんか、こうしてやるっ」 [痛てっ、何すんだよ!」 たちまち始まった派手な掴み合いに、隣席の若者が慌てて止めに入った。 「おい、カ−デ、ヴィヴィ、やめろ、やめろってば。ディード、止《と》めろよ。お前の女だろう」 「おう、そうだぜ! おい、カーデ、俺の女をじゃじゃ馬とはなんだ! よくも言ったな!」 「こら、ディード、お前までいっしょにケンカしてどうすんだよ。やめろってば」 「止《と》めるなよ、ナーク。こいつが先に俺の女を侮辱しやがったんだ。外へ出ろ! 決闘だ!」 そこへ、それまで既にほとんど忘れられて隅の寝台で無言でゆっくりと酒を飲んでいたアルファードが、彼一流の、低いが妙に逆らいがたい声で言葉をかけた。 「おい、ケンカはよせ」 たった一言だったが、それだけで酔っ払いたちは、夢から覚めたようにしゅんとおとなしくなった。 「まったく……」 アルファードはつぶやいて、また、ゆっくりと酒を飲み始める。 彼がいれば、あのときも、乱闘になどならなかったはずなのだ。だが、イルベッザ城での表彰会を早目に抜け出したアルファードが約束の酒場に駆け付けた時には、すでに数人が市中警備の部隊に連行された後で、残った連中も、すっかり酔っ払たり怪我をして動転したりしていて、ただうろたえるだけでまるで話にならず、結局アルファードが一人で事後処理に奔走するハメになったのだった。 彼らが説教だけで釈放してもらえたのは、ひとえに、アルファードがその日の市民の話題をさらった新しいチャンピオンその人だったおかげだろう。 連行した酔っ払いを引き取りに来た若者が例の大評判の新しいヒーローだと分かると、そこに居合わせた役人たちは仕事そっちのけで大喜びで握手を求め、形ばかりの説教のあと彼らを引き渡してくれたのだ。特に、その場の責任者だった士官が、職業軍人の確かな目でアルファードの剣の腕を見抜き、この、田舎からぽっと出の無名のダークホースに大枚を賭けて大儲けしていたのも幸いしたのかもしれない。 この自警団は、活動中はびしっと統制がとれているのだが、ふだんは対称的に野放図な連中なのだ。地域によっては、自警団の規律が非常に厳しく、日常生活に於ても団長や先輩団員には敬語を使って絶対服従という方針を取るところにもあるが、アルファードはそういうやりかたをしないで、それでもどこよりも強い自警団を育ててきたのである。 アルファードに一喝されて一瞬おとなしくなった酔っ払いたちは、すぐに何事もなかったように思い出話の続きを始めた。 「そいで、次の日、みんなで買い物したじゃん。やっぱ、都は、モノの量も種類も、プルメールあたりとは大違いだよな」 「そうそう! あたし、あのとき買ったリボン、宝物にしてとってあって、もったいなくてまだ一度しかつけてないのよ」 「あたしは、あのとき買ったレースを、結婚式のベールにするって決めてるの!」 「でもさ、ローイが買ったマントは、すごかったよなあ」 「ああ、あの、ド紫のやつ! よくあんな悪趣味なもの見つけたよな。信じらんねえ!」 「おい、今、誰か、俺のマントにケチをつけなかったか? 聞こえたぞ!」 別の一団にいたローイが、振り向いて大声をあげる。 「ああ、ケチをつけたとも。あんなもの着て、よく恥ずかしくねえなあ」 「ああ、嘆かわしい! お前らみたいなダサイ田舎者には、俺の都会的なセンスは理解出来ないんだな。ああいうシャレたもんは、このへんじゃちょっと手に入らないぜ」 「都会的ったって、俺は都でも、あんなマントを着ているやつは一人も見なかったぜ」 「そういう、誰も着ていないようなものを着るのが、いいんじゃないか! 俺はあれを探すのに、すごく苦労したんだ」 「やっぱり都でも、あんなものあれ一枚しか売ってなかったんだぜ、きっと。あんなの着るバカ、ローイしかいねえもん」 「そうなんだよ! この村の連中もイモばっかだが、都の連中もダメだ! この国全体がファッションにかけちゃ百年は遅れてるのさ! あと百年たってみろよ。みんなが俺みたいな格好をするようになるぜ」 「なるもんか。そうなったら、世も末だ」 「そうよ、そうよ」 そんな思い出話には加われない里菜も、それでも楽しく話に耳を傾け、娘たちに勧められてちょっぴりのお酒も口にし、楽しい時を過ごしたのだった。 そのうち夜が更けると、娘たちの多くは、連れ立って、あるいはそれぞれのボーイフレンドや迎えに来た父兄に伴われて、いつのまにやら帰ってしまった。残っているのはすっかり出来あがった酔っ払いばかりとなった。 ずっと娘たちの群れの中にいてアルファードのそばに行きそびれていた里菜が、やっと彼の隣にたどり着いて並んで腰を降ろすと、里菜よりさきにアルファードがいきなり話を切り出した。 「リーナ、俺は君に、謝らなくてはならない。俺は君のことを、バカと言ってしまった」 「え? ……そういえばそんなこと言ったかしら。でもしかたないわ、あたし、バカなことしたんだもん。バカっていわれて当然だから。それにアルファード、もう、あの時すぐに、すまなかったって言ってくれたじゃない」 「いや、それは二度目のことだろう。俺は、そのまえ、まだ君がなにもバカなことをしないうちに、バカといってしまったんだ」 「え? いつ?」 「最初にドラゴンが飛んできた時。俺は君に、『バカ、早く逃げろ』と……」 「……そんなこと、言った? そういえば、そんな気もするけど……。でもそれは、あたしがあんな非常事態にぼやぼやしてたんだから、しょうがないわ」 (アルファード、そんなとっさの一言を、ずっと気にしてたのね。あたしのほうは全然覚えてもいなかったのに)と、里菜はそのあまりの律儀さに半ば呆れた。 アルファードは、大真面目にこう言った。 「いや、君は、訓練された自警団員ではないのだから、即座に指示に従えなかったからと言って、君を責めるのは間違っている。それに、いくら非常事態でも、何を言ってもいいわけじゃない。すまなかった」 「アルファード、謝るのはあたしよ。本当に、ごめんなさい。それから、ありがとう。あたしを、守ってくれて。あたし、あたし……」 そこへ、いきなり大声を張り上げて、すっかり酔っ払ったローイが、酒の壷を片手に、割り込んできた。 「おーい、仲直り、したかあ?」 アルファードはむっつりと答えた。 「俺とリーナは、別に仲違いなどしていない」 「何言ってんら! 俺がリーナちゃんに言ってやったんらぞ、アルファードにキスのひとつもしてやれって。してもらったか? アルファード、俺に感謝しろ!」 ローイはすっかり、目が据わっている。 「なあ、リーナちゃん、こんな朴念仁野郎、かまったって無駄らぜ。俺に乗り換えないかあ?」 そう言いながら、ローイが、いきなり里菜の肩に手を回したので、彼の馴々しさに悪気がないことはよく分かっているつもりの里菜も、つい、反射的に、身を固くした。ローイは、実は少々酒癖が悪いらしい。 この手の酔っ払いには逆らわないほうがよさそうだと見て取った里菜は、身を固くしたまま、気を取り直して適当に答えた。 「う、うん、考えとく……」 「考えとくとは、なんらぁ! 酔っ払いらと思って、適当にあしらってるな! ああ、俺は酔っ払いらよ! ろうせ、今のこと、あしたは覚えてないらろうと思ってるんらな。その通りさ! 俺は忘れるよ! れも、俺は、自分が酔っ払いらってこと、ちゃんと分かってるんらぜ! て、いうことは、まらまら、酔っ払いじゃないんらぁ!」 「おい、ローイ、いいから、その手を放せ。リーナがいやがってるぞ」 「なんらよ、アルファード、あんたにそんなこと言う権利あるのかよ。リーナはあんたの持ち物か? リーナは、いやがってなんか、いるもんか。なあ、リーナちゃん? 俺のこと、キライじゃないよな!」 「う、うん、キライじゃないけど、でも……」 どうしてよいかわからずに困っている里菜から、アルファードが、ローイを、力づくでひっぺがした。 「リーナ、こいつを相手にするな。こいつは酒を飲むとしつこく絡むんだ。これさえなければ、いいやつなんだが……」 「ああ、ああ、俺はいいやつれすよ! らから、酒飲んらときは、いいやつ、やめるの! れなきゃやってられんらろ!」 「おい、何言ってるんだか、さっぱりわからないぞ。いいから、あっち行け。もう、酒もそのくらいにしとけ。酒に呑まれると、ロクなことはないぞ」 「あっち行けとは、なんらあ! 俺ぁ、あんたの飼い犬じゃねえ。行けと言われて、おとなしく行くもんかぁ! あんたも、そんな一人れ真面目くさってないれ、もっと飲め。人生、もっと楽しまなくちゃあ。いつらって、一人らけ、シラフみたいな面してよ。俺あ、一度れいいからあんたが酔っ払って正体なくすとこ、見たいぞ。ほら、飲め! 固いこと言わずによお」 ローイは、アルファードにしつこく酒を勧め始め、アルファードはしかたなさそうに、一杯だけ杯を受けて飲み干した。 (そういえば、アルファードって、全然酔ってないみたい。結構飲んでるみたいなのに、もしかしてすごく強いのかしら。それとも、ずっと、飲んでるフリしてたのかしら) 里菜はあらためて、赤くもなっていないアルファードの顔を見た。そういえば、里菜はいままで、アルファードが少しでもお酒を飲むところを見たことがない。 「なあ、アルファード、あんた、なんれ、いつもそんなにマトモれいるんらぁ? たまにはハメをはずせよ! な? な? 俺ぁ、今日こそ、あんたが酔い潰れるとこ見ないれは帰らないぞぉ」 「ムダだ。俺は、絶対、酒で自分を失ったりはしない。そんなふうに、好き好んで正体をなくすやつらの気がしれない。自分が何をしでかすか、お前は怖くないのか?」 「ああ? 俺ぁ裏表のない人間らから、酔っ払ったって、なんにもわりいことなんか、しねえもん」 「なにが、悪いことしない、だ。何もしなくても、酔っ払ったお前は、それだけで充分、迷惑だ」 「そうかあ? そりゃあ、ごめんなあ」 と、言いながら、ローイはアルファードのそばを離れず、しつこく絡み続ける。 アルファードの迷惑顔を見ながら、里菜はクスっと笑って口を挟んだ。 「アルファードは、裏表のある人間なの? それとも、酒癖、悪いの? 泣くとか怒るとか説教するとか、服脱ぐとか暴れるとか?」 いきなり追求されたアルファードは一瞬言葉に詰まってから、もごもごと答えた。 「いや、そう聞かれても、困るが……。俺は本当に、正気をなくすほど飲んだことがないから」 「お酒、強いの? ずっと飲んでるのに、ちっとも酔っ払ってないのね」 「ああ、実は、そんなに飲んでないんだ」 「へえ、やっぱり、そうなんだ。宴会とか、嫌いなの?」 「そんなことも、ないが……」 そこへまた、すっかり目の据わったローイが、乗り出すように言った。 「な、な、リーナちゃんも、アルファードが酔っ払うとこ、見たいらろ? 俺あ、ゼヒ見たい! 飲め! さあ、飲め! 俺の酒が、飲めないっていうのかあ!」 アルファードは頭を抱えた。 中央のテーブルでは、最後まで残った数人の酔っ払っいたちが猥談で盛り上がり始めている。男ばかりの中に、お転婆娘のヴィヴィと、さっきまでアルファードに抱きついていたユーサが加わって、ひときわ過激な発言を飛ばして大受けしており、その会話が、声が高いために丸聞こえだ。しかも、そのうちに、本人がそばに居るのもお構いなしにアルファードをネタにして何やらとんでもないことを言いたい放題、里菜の耳には絶対入って欲しくないような露骨な冗談が飛び交い始めた。 アルファードはますます頭を抱えて、ちらりと里菜に目をやり、たまりかねたように酔っ払い集団に声をかけた。 「お前ら、もう帰れ。今日はここまでだ」 だが、こんどは鶴の一声とはいかなかった。 「やだ! 宴会のお開きは、副団長の権限だ! 副団長が終りと言うまで、帰らねえ」 その、副団長は、アルファードの寝台の上にあぐらをかき、抱え込んだ壺からじかに酒を飲んでいて、もうすっかり正体がない。 「いいから、帰れ。ここは、俺の家だ」 さすがに語調を強めたアルファードを見て、酔っ払いはますます騒ぎだした。 「あ、たいへんだ、アルファードが怒るぞお!」 「怒るもんか。アルファードは人間出来てるもん」 「そうだよな、アルファードは、最近、絶対怒らないよな。俺、アルファードが怒るとこ最後に見たの、八年前だよ。忘れもしないよ。俺、あんとき殴られたもん」 「あ、それ、俺も覚えてる。そういえばたしかに、あれが最後だよな。あんとき、お前、なんでアルファードを怒らせたんだったっけ」 「それが、いまだにわかんないんだよな。なあ、アルファード、あんた、覚えてるか? 俺が十三かなんかのときだよ。俺、あんたと喧嘩して、殴られたの」 「いや、忘れた。だが、それは悪いことをした。すまなかった」 子供時代の話だというのに、アルファードはいきなり、大真面目に頭を下げた。 「いや、いいんだよ、別にいまさら謝って貰おうと思って言ったんじゃないんだ。まあほら、子供の喧嘩だし、あんときだって、あんた、後ですぐ俺に謝ってくれたしよ。ただ、俺の、どの言葉が、あんときあんたを怒らせたのか、覚えてたら聞こうと思ったのさ。だって、ほんと、いきなりだったもん。『俺が魔法を使えないからって、バカにしたな!』とか、急にわめきだしてよ。俺、ちっともそんなこと言った覚えないのに……」 「それは、ほんとうに悪いことをした。きっと俺の勘違いだったんだろう」 それを聞いていたほかの若者も、最近すっかり忘れていたアルファードの少年時代のことを思い出して、がやがや言い出した。 「そういえば、アルファード、昔は結構危ないやつだったよな。たしかに、なんでもないことで、魔法を使えないからバカにされたって言って急に怒り出したりしてよ。俺もそういえば、怒らせたことあったよ。それが今じゃ、村で一番温厚な男だもんな」 それは里菜が初めて聞く、アルファードの過去の一面だった。 「へえ、アルファードって、子供のころは怒りっぽかったんだ……」 里菜の言葉に、アルファードはきまり悪そうにぼそぼそと答えた。 「怒りっぽいというか、確かに、少々、カッとなりやすかったのかも知れないな……。もう、自分でも、そんなこと忘れかけていたんだが……」 「ふうん。ねえ、もしかして、それであんまりお酒飲まないの? 自分がカッとするタチなのを知っているから?」 「ああ、自分でも気付かなかったが、あんがいそうなのかも知れない」と、里菜の追求の厳しさに多少閉口しながら答えたアルファードは、これ以上旗色が悪くならないうちに寝てしまうことに決めた。 どのみち、酔っ払いたちの猥談がこれからますますエスカレートし始めるのは目に見えているとあって、そのまえに里菜を隣室に追い払っておこうと思っていたところだったのだ。 「リーナ。もう遅い。君は、そろそろ寝ろ。あいつらは、まだ当分飲むつもりらしい。勝手にさせておこう。俺も、寝る。おやすみ」 アルファードは、無駄と知りつつ、酔っ払いたちにも、今いちど声をかけた。 「おい、俺は、寝るぞ。お前らも、早く帰れ。ディード、お前はヴィヴィを責任持って家まで送るんだぞ。ローイ、そこをどけ。俺の寝台だ」 「ああ? なんらあ?」 「そこから、どけと言っているんだ」 「いやらね。俺はここれ、飲むんら!」 業を煮やしたアルファードは、力まかせに掛け布団をひっぱってローイを床に払い落した。 ローイの、ロレツの回らない抗議を背中に聞いて、クスクス笑いながら、里菜は寝室に引きあげたのだった。 そうしてすっかり楽しい気分で眠りについたのに、どうして、あんな夢を見てしまったのだろう──。 ベッドの脇に置いてあった洗面器の水でのろのろと顔を洗い終えた里菜は、昨夜の陽気な笑い声をもう一度思い出しながらドアの前に立ち、取手に手をかけながら自分に言い聞かせた。 (そう、あれが、ほんとうにあったこと。あの、暗い川辺は、昼間の恐怖や緊張と、寝るまえのほんのちょっとのお酒が見せた、ただの悪い夢……) 一瞬のためらいの後、里菜はぱっとドアを開け――そして、そこに広がる光景に、息を飲んで呆然と立ち尽くした。 (── 続く ──) このたびは拙作をダウンロードしていただき、ありがとうございました。
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