長編連載ファンタジー
 イルファーラン物語

冬木洋子作


 <第二章 シルドーリンの宝玉> 

「……ローイ!」
 叫ぶなり坂を駆け降りた里菜は、勢い余ってあやうく転びそうになり、ローイのけばけばしい紫のマントにつかまった。
「ローイ……。なんで、こんな、ところに……」
 息を切らして尋ねる里菜には応えずに、ローイは、後から降りてくるアルファードに向かって、にやりとした。
「アルファード、俺も行くぜ」
 ゆっくりと坂を降りてきたアルファードは、ローイの正面に立って、厳しい顔でぶっきらぼうに問い掛けた。
「……行くって、どこへ行くんだ」
「そりゃ、もちろんイルベッザへさ。俺も、都で働いてみることに決めたんだ。それで、どうせなら、あんたらと一緒に行ったほうが都合がいいと思ってさ。
 俺はどうせ、こんな田舎にはもうあきあきしてたんだ。麦だの羊だのじゃがいもだのには、もう、うんざりなんだよ。もちろん、カブにもさ。
 な、リーナちゃん、俺みたいな世紀の色男が、こんな田舎に埋もれて、カブだのじゃがいもだのを作って暮すなんて、もったいないと思うだろ? やっぱ、この都会的で洗練された俺には都会が似合うよ、な?」
 里菜を会話に巻き込んで話をそらそうというローイの目論見は、アルファードには全く通じなかった。アルファードは、厳しく問いつめた。
「それで、イルベッザで何をするつもりだ。ちょっとくらい顔がいいからと言って、それでどうなるものでもないだろう」
「そりゃあ、そうだけどさ。でも、俺は、ただ顔がいいだけじゃない。話もうまけりゃ歌もうまいし、腕っぷしも強くて度胸もあってすばしこい。愛想も良くて人に好かれる。その上、魔法は何でも得意だし、手先も器用で頭も回る。俺には、何だってできるんだ。こんな俺が、都でひとかどのものになれない訳があるか? この俺に、何か足りないものがあるかよ?」
 平然とうそぶくローイに、アルファードは言い放った。
「お前に足りないものがあるとしたら、ローイ、それは『考え』だ。まったくお前は、考えなしだ!」
 ローイは平気で言い返す。
「ふん、俺に言わせりゃあ、あんたにゃ、その『考え』とやらが、ありあまりすぎてるぜ。あんたはいつだって、あんまり考えすぎて、自分が本当はどうしたいのかさえ分からなくなっちまってるんだ。まあ、いいや。さ、行こうぜ。今日中にプルメールまで行くつもりなんだろ。だったら急がないと、間にあわないぞ」
「確かに俺たちはプルメールに行くつもりだが、誰もお前と一緒に行くとは言っていないぞ」
「あ、そ。なら、いいよ。俺、一人で行くから。ああ、でも、プルメールはいいが、その先はどうしようかなあ。ヴェズワルの近くを通るからなあ。いくら俺が弓の名手でも、一人じゃ、俺、山賊に殺られちまうかもなあ……。
 あんたもだぜ、アルファード。いくらあんたが強くても、山賊が前と後ろから来たら、リーナはどうするんだ? いくら防御の魔法のかかった短剣を持ってたって、短剣を抜く間もなく後ろから襲われたら、どうしようもないんじゃないか? そんな時、俺とあんたがリーナを中にして背中合せで戦えば、怖いものなしなんだがなあ。
 それに、あの辺を通るときには、夜、どうしたって寝ずの番がいるだろう。あんたのことだ、どうせリーナには黙って、一晩でも二晩でもひとりで起きてるつもりだったんだろうが、それじゃあ、いくらなんでも身がもたないぜ。寝不足でふらふらしてるとこを山賊に襲われたら、いくらあんたでも普段の力は出ないだろうなあ。まあ、あんたがどうしてもいやだってなら、しょうがない。じゃあな」
 ローイはわざとらしくきびすを返して立ち去ろうとした。その肩に、アルファードが後ろから手をかけて、しかたなさそうに引き止めた。
「おい、待て、ローイ。まだ話は終っていない。お前が村を出たことを、家族は知っているのか」
 ローイは、ひょいと振りかえって、にっと笑った。
「ん? ああ、知ってるはずだぜ。もし、今頃まだ知らなかったら、俺の兄貴はよっぽどのウスラボケだ。あれだけ目立つところに置き手紙してきたんだからな。俺、あんたらの見送りのどさくさに紛れて、家に置き手紙して、東側から村を出て、ぐるっと回り道してきたんだ。それで先回りしてここにいたら、あんたら、なかなか来ないんだもんなあ。世話役の演説が長かったのかぁ?」
 里菜は仰天して口を挟んだ。
「置き手紙って、ローイ、それって家出じゃない!」
「おい、リーナちゃん、やめてくれよ。家出なんてい言うと、ガキみたいじゃんか。俺のような一人前の大人が家を出るのは、家出とは言わないの。だいたい、俺が黙って家を出てきたのは、あれこれ言われるのが面倒だっただけで、俺がどうしても村を出るっていやあ、兄貴は、最初はごたごた引き止めただろうが、結局最後には許してくれたと思うぜ。兄貴も姉貴も俺には甘いし、俺はあの家では余計者だし、俺が言い出したら聞かないのは兄貴もよく知ってるからな」
 アルファードがため息混じりに同意した。
「ああ、まったくだ。たしかに、お前は言い出したら聞かないやつだ。……で、どうしても行くつもりなんだな」
「ああ」
「ヴィーレは、どうするんだ」
 それまで飄々とした態度を崩さなかったローイが、さっと気色ばんだ。
「……あんたにそれを言われる筋あいはねえぞ! だいたい、俺とヴィーレは、もうとっくに婚約解消してるんだ。何の関係もねえんだよ。もしあんたが、このことについてもう一回俺と話し会おうという気があるんなら、今ここでじゃなく、今度、ふたりだけで話そうや。とにかく俺は行くぜ。あんたが一緒に行かないなら、一人ででも都に行く」
 そしてまたきびすを返して歩き出そうとする背後に、アルファードが憮然と声をかけた。
「……お前、道中の食料は持ってきたのか」
 ローイは、また嬉しそうに振り向いて、背中にしょった弓と矢筒を指し示した。
「これ、これ。これ、見えない? これで、俺、鳥でも兎でも捕るからさ。乾燥の香草と塩も持ってきたから、うまいスープができるぞ。焚火で焼いてもいいしさ。俺がいれば、火にも水にも困らないんだし、鍋も、ほら……」と、ローイは、道端に置いてあった荷物をひょいと担ぎ上げた。木の枝の先に、鍋がひとつ、くくりつけてある。その中に、荷物の包みが入れてあるらしい。
「あとは、あんたらが、堅パンや焼き菓子を山ほど持ってるだろ。三人どころか四人いてもイルベッザまで持つくらいあるって、俺、知ってるぜ。な、リーナちゃん、堅パンも兎のスープにひたして食べると、ぐんとおいしく食えるぞ。アルファードのことだから、道中ずっと堅パンと干し肉とチーズで済ますつもりだったんだろうが、どうせなら、うまいもん食おうぜ」
「それじゃあ、お前は、パンや干し肉は全然持ってこなかったのか?」
「少しは持ってきたよ。一日分くらいはさ。……だって、姉貴に、堅パンを沢山焼いてくれなんて言ったら、あやしまれるに決まってるし、パン屋で買っても、ぜったい姉貴に言いつけられちまうしさ」
「あきれたやつだ。それで、もし俺たちと合流できなかったら、どうするつもりだったんだ」
「プルメールで買うさ。金は持ってきたもん」
「じゃあ、プルメールで、堅パンを買え。たしかに俺たちはパンを沢山もらってきたが、お前は、そんなに痩せてるくせに人の二倍は飯を食うし、いざと言うときのために、保存食は余分に持っておくべきだ。兎なんか、捕れるかどうか、わからないじゃないか。毎日毎日、悠長に狩りをしているヒマがあるとは限らないんだぞ」
「大丈夫さ、兎なら、まかしといてくれよ。まあ、見てなって。そんなに時間はとらせねえから。まあ、あんたが買えと言うんなら、パンも買うけどよ。あんたは、心配症だからな。でも、それじゃ、これで決りだな。俺たちは、旅の道連れってわけだ! そうと決まったら、楽しくやろうぜ!」
「……しょうのないやつだ」
 溜息をついたアルファードは、ローイがさっさと歩きだそうとするのを止めて、唐突な提案をした。
「ローイ。わかった、一緒に行こう。そのかわり、一つ、条件がある。イルベッザについたら、俺たちと一緒に軍に入らないか?」
「へ? 軍に? ああ、いいぜ。そういう仕事は俺の趣味じゃないが、まあ、向こうについてすぐは仕事も住みかもないから、とりあえず飯とベッドにありついておいて、あとからゆっくり他の仕事を探すのも悪くないさ。そのかわり、他にいい仕事があったら、俺はすぐに軍をやめるぜ。それでもよければ、一緒に入ってやるよ」
「そんな、お前の考えているような『いい仕事』など、あるものか。どうせ甘いことを考えているんだろうからな。都は今、北部から出稼ぎに来て帰れなくなった者たちや、避難民であふれかえっているそうだ。軍以外の仕事は、なかなか見つからないと思うぞ」
「そんなの、探してみなけりゃわからないじゃないか。力馬鹿のあんたにゃ軍しかないかも知れないが、俺のような器用な人間には、何かしら道が開けるもんさ。さ、行こうぜ。プルメールにつくまえに日が暮れちまったら、コトだ。あの辺じゃ、まだ雪があるから、野宿はきついぞ」
 そう言ってさっさと歩き出したローイの後ろで、里菜はアルファードのマントをひっぱりながら小声で言った。
「ねえ、アルファード、いいの? ローイは家出人でしょ」
「ああ、よくはないが、しかたがない。ここまで来ておいて、俺に説得されて帰るようなやつじゃない。あいつはけっこう頑固だから、こうなったら意地になって、ほんとうに一人ででもイルベッザに行ってしまうだろう。そうしたら、たしかに道中が危険だし、俺たちにとっても人数が多いほうが心強いのも本当なんだ。
 それに、あいつを一人で都に放りだしたら、絶対にロクなことをしない。俺が一緒に連れていかなかったばっかりに、やつが途中で野たれ死にしたり、都で道を踏み外して何か厄介なことになってしまったりしたら、そのほうがよっぽど、やつの兄さんに対して申し訳ない。それくらいだったら、俺の目の届くところに置いたほうがいい。なに、ローイは絶対、そのうちに都にあきて村へ帰る。やつは、どうしたって、根っからあの村の人間なんだ」


 こうして、三人の旅が始まった。
 古いエレオドラ街道は、イルゼール村と首都イルベッザを結んで、この国の南の端を東西に横切っている。イルベッザから北部のカザベルに至るカザベル街道と並んで、この国の二大街道と呼ばれる、古代からの動脈である。
 エレオドラ地方は、今でこそ都の人間からは草深い田舎と思われ、実際まあ、そのとおりなのだが、もともとは、女神の聖地としてこの国で最も古くから開け、独自の文化を誇っていた豊かな地方だ。神々の物語がまだ人の心に生きていた遠い時代には、この街道を多くの巡礼が行き交かったものだ。
 また、往時の都人にとって、太古の大森林に隔てられて現実的な交流は少ないものの時々古い街道の向こうから<魔法使い>を送ってよこす古代の聖地エレオドラは、何か浮世離れしたおとぎの国のように思われ、都会の知識人たちのあいだで復古主義や田園趣味が流行する度に、神秘的な古い文化が息づく実り豊かな素朴な田園ユートピア、世界の果ての聖なる山々の懐深く抱かれて俗世の汚れを知らぬ夢の桃源郷として美化され、脚光を浴びたりもしていたのだ。
 むろん、当の村人たちには、自分たちの村が都の詩人たちによって『光り溢れる緑のエレオドラ、麦の穂の金に輝く永遠の国よ』だの、『死ぬ時は鳥になって飛んでいってそこで死にたい』などとセンチメンタルな詩に謳い上げられいることなど、知ったことではなかったのだが。
 <魔法使い>が都に現れる時は必ず遠いエレオドラからこの街道を通ってやってくるというので、この道が、都人たちから、憧れを込めて<魔法使いの道>とも呼ばれていた時代もある。
 しかし、近年では、北のカザベル街道が、ほぼ全長に渡っていくつもの大都市を点在させ、ひっきりなしに行き来する荷車や旅人で賑っているのに対して、南のエレオドラ街道は通る人も少なく、昔日の面影もなくさびれつつあった。
 ひとことで南部と言っても、南東のエレオドラ地方と南西のイルベッザの間は、開墾を阻む深い森に隔てられ、互いの交流は少ない。この地方は古都プルメールを中心とする独自の小さな経済圏を確立して、イルベッザとはほとんど無関係につつましい繁栄を享受していたのだ。
 もちろん、イルベッザとの間に物流がなかったわけではないが、街道沿いのヴェズワルの森に住み着いた山賊のせいで、それも今はかなり間遠になり、危険を承知の少数の勇敢な商人たちが護衛の私兵を何人も雇って穀物や羊毛製品の買い付けに訪れることが、ほんのときたまあるだけになっている。
 しかし、そのことは、もともと豊かなこの地方に、さほどの痛手を与えなかった。むしろ、この外界との遮断こそが、この土地の自給自足の豊かさと平和をひっそりと守り続ける役割を果たしていたのだ。

 街道とほぼ並行して流れるエレオドラ川は、しばらくすると、イルシエル山脈から流れ出るリル川と合流し、シエロ川と名を変えて、やがてイルベッザを抜けて海に注ぐ。
 一行の最初の宿泊地である、エレオドラ地方最大の都市プルメールは、その、エレオドラ川とリル川の合流地点にある。古びた防壁で囲われた町には、連日、市が立ち、近隣の村から訪れる人々で賑っている。
 その先は、いよいよ、山賊の根城ヴェズワルだ。古い石畳の街道は、天然の国境をなして峨峨とそびえ立つイルシエル山脈を左手に見ながら、シエロ川とつかず離れず寄り添って、ヴェズワルの古く深い森の中を抜けていく。
 ヴェズワルの危険地帯を抜けても、その先はもう、イルベッザ近郊まで、街道沿いにこれといった町もなく、宿屋もないので、ずっと野宿をすることになる。
 この街道には、かつて多くの巡礼たちが行き来したころでさえ、宿屋はほとんどなかったのだ。
 女神の巡礼たちにとって、聖地での礼拝だけでなく、夜空を屋根とし大地を寝床として母なる自然の腕の中で眠る道中そのものが、女神への帰衣を表現する、巡礼の大切な要素だったのである。
 ヴェズワルを過ぎればもう平地で、雪が積もっていないので、野宿もそれほどつらくないはずだ。冬眠していない動物や、食用になる野草もあるから、ローイの弓や鍋が役にたつこともあるだろう。イルゼール村は高原なので寒いが、もともと、この国の南部はかなり温暖であり、平地では冬でも森は常緑樹の緑に覆われ、川も泉も滅多に凍らないのだ。
 この全行程を、アルファードは、里菜の足に合せて十日と踏んでいたのだが、もしかするともっとかかるかもしれないと危ぶみ始めている。

 プルメールへと向かう山道を下りながら、ローイは、やたらとペラペラしゃべりまくったり、時々ふっと黙りこんだりを繰り返していた。彼も、生まれてこのかた住み慣れた村を出ることで、彼なりに感傷的になっていたし、それに、どういうわけか、振り払っても振り払っても、ヴィーレの顔が頭に浮かんでしまうのである。
 アルファードだけでなくローイまでも行ってしまったと知ったヴィーレは、今ごろ、泣いてはいないだろうか。
 そう考えてローイはそっと首を振る。
(ええい、うっとおしい。俺はこれから都に行くってのに、なんだってあんなドンくさい田舎娘の顔なんて思い浮かべなきゃならないんだ。だいたいヴィーレは、もう、俺とはなんでもないんだぞ。ヴィーレが泣いているとしたら、それは俺じゃなくてアルファードのせいなんだ。ここでヴィーレの顔を思い浮かべて、なんだか気が咎めたりしなきゃならねえのは、俺じゃなくてアルファードだろうが!)
 ローイは、黙って前を行くアルファードの広い背中を睨んだ。
 ふたりは、ティーティが短剣を持ってきたあの朝、ヴィーレのことでさんざん言い争ったのである。
 アルファードが村を出ていくことについてひとしきり口論したあと、ローイはこう言って、ヴィーレのことを持ち出したのだ。
「アルファード。あんた、逃げるんだな。ヴィーレはどうなるんだ。あんたが、そんなふうにはっきりしないまま、この村やヴィーレから逃げ出していったりしたら、ヴィーレは何年でも、ばあさんになっても、あんたを待ち続けるぜ」
 アルファードはむっつりと、こう答えた。
「俺はヴィーレに、待てと言った覚えはないし、ヴィーレにそんなふうに思わせるような態度をとったことは一切ない。だいたい、ヴィーレはお前の許婚だろう」
「それはいつの話だよ。そんなの、大むかしの話だろ」
「だが、ヴィーレは今でもお前を忘れていない。それなのにお前は、いつもいつもヴィーレをほうっておいて、あちこちの娘たちを口説いて回っているから、ヴィーレだってお前のところへ帰りたくても帰れないんだ。ヴィーレがずっと俺のそばにいるのは、お前に連れ戻しに来てもらうためなんだぞ」
「……ヴィーレがそう言ったのかよ。そうじゃねえだろう」
「ああ、ヴィーレは、そんなことは口に出さない。そういう娘だ。だから、わかってやって欲しいんだ。ヴィーレは俺の大切な妹のようなものだ。これ以上、ヴィーレを泣かせるような真似はするな」
「俺は泣かしてないぞ。あんたが泣かしてるんじゃねえか。そんなにヴィーレが大切で心配なら、あんたが村に残ってヴィーレを貰ってやればいいだろう」
「俺は、村にいたって、ヴィーレとは一緒になれない。ヴィ−レには、先祖代々の畑を耕してくれる婿が必要なんだ。俺に百姓ができないのは、お前だって知っているはずだ」
「そりゃあ、ひとりじゃ、できないだろう。でも、ヴィーレとふたりでなら、出来るんじゃないか? あんたは、魔法は使えなくても立派な身体してんだから、畑を耕すのにはそれで充分だし、虫除けや水撒きが必要な時はヴィーレがやってくれるさ」
「……そうして一生、ヴィーレの助けを借りて生きるのか」
「助けって、あんた、夫婦が助け合うのはあたりまえだろうが。一人でなんでも出来るんなら、最初から結婚する必要ないだろ。あんたさ、案外、依怙地だよな。なんていうか、気位が高過ぎるんだよ。何でも自分一人で、それも、人よりうまくやろうと思うからいけないんだ。魔法が使えなくたって、ほんとうは、あんたはちゃんと何でもやっていけるんだ。必要なところで他人の手を借りる勇気さえありゃあな」
「……お前に何がわかる。お前は、なんでもできるから、そんなふうに言うんだ。十何年も、世界でただ一人魔法が使えない男でありつづけてみれば、お前だって意地を張りたくもなるだろう」
「そりゃ、まあ、そうかもしれないけどさ。だけど、ヴィーレも、ヴィーレの親たちも、あんたに魔法が使えなくたって気にしないと思うぜ」
「ローイ。お前は、そんなに俺とヴィーレをくっつけたいのか?」
「いや、別に、そういうわけじゃないけどよ……」
「ローイ。たとえ百姓ができても、俺は、ヴィーレと一緒になるわけにはいかない。俺はヴィーレを妹のようにしか思っていないし、ヴィーレは今でも、心の底では、お前を想っている。だから、ローイ、お前が、ヴィーレを幸せにしてやってくれ」
「……そうか、そういうことか。あんたはリーナを選ぶから、余ったヴィーレは俺への置き土産にくれてやろうってわけだな。あんた、自分がいなくなれば、都合よく俺とヴィーレがくっつくだろうと考えやがったわけだ。たしかに、俺たち、いつまでもこのまま仲良し三人組ってわけにゃあ、いかなかったもんな。いつかは決着をつけなきゃならない時がきただろう。その時あんたは、たぶんヴィーレを泣かせることになる。あんたはそれが怖くて、自分が出ていくことで、そういう修羅場を避けようと考えたんだ。そうだろ?」
 黙り込んだアルファ−ドに詰め寄るようにして、ロ−イは更に言い募った。
「あんた、それは卑怯だぜ。あとのことは知らねえってか。ものごとが何もかもあんたの思惑どおりにいくと思ったら、大間違いだ。少なくとも、俺は、あんたの思惑どおりになんかならないぜ。あんたが、いらないからって回してくれた余り物なんか、俺がありがたく頂くと思うか?」
「そういう言い方は、ヴィーレに失礼だ」
「あんたのほうが、よっぽど失礼だよ。ヴィーレに気が無いんなら、はっきりそう言ってやれよ。そうすれば、俺じゃなくても、あいつはあれで、けっこう隠れた人気があるんだ。ただ、みんな、あんたが目を光らせてるのが怖くてヴィーレに近付けなかっただけでさ」
「俺は別に目を光らせてなどいない」
「あんたにそのつもりがなくても、みんなは、そう思ってたぜ」
「誤解だ」
「とにかく、あんたが出ていくことについては、あんだけ言っても無駄なら、もう言わねえが、でも、これだけは言っておくぞ。あんた、ヴィーレの幸せを願うなら、出ていく前に、はっきり言ってやんな。『俺は帰らない。お前じゃなく、リーナを選ぶ』って」
「なんでそんな嘘をつく必要がある」
「嘘って、あんた、そういうつもりじゃねえのか?」
「別に俺は、ヴィ−レとリ−ナのどっちを選ぶとか選ばないとか、そんなつもりは、まったくない。それに、俺とリ−ナは、まったくそういう間柄じゃない」
「あのさあ……。あんた、もしかして、コレ、かあ?」
 ローイが、この世界でホモを意味するゼスチャーをして見せたので、アルファードは思わず力が抜けて溜息まじりに答えた。
「……おい、どこからそういう突拍子もない発想が出てくるんだ」
「だってさあ……。そういうウワサ、昔からあるんだぜ。いや、俺は、信じてなかったけどな」
「なんでまた、そんな素っ頓狂な話になってるんだ……」
 アルファードは、額に手を当ててうめいた。
「あんたが、いい年して、まるで女っけがなかったからさ。ヴィーレだって妹扱いしかしないしさ。特に、リーナがきてからは、ますます言われてるぞ。だって、あんたら、どう見たってヘンだもん。リ−ナがあんたに惚れてるのは、一目瞭然なのにさ」
「……たしかに、リ−ナは俺のことを慕ってくれているが、それは兄のように父のように思いなして懐いてくれているだけだろう」
「うん、その点についちゃあ、俺も同感だけどよ。でも、他のやつらは、あんたらのことを俺ほどよく知らないから、『ありゃあ、どう見てもヘンだ、今まで冗談半分で噂してきたけど、もしかしてアルファ−ドは本当に噂通りのコレだったのか』って話になってるんだよ」
「興味本位の下卑た勘ぐりは迷惑だ。俺とリーナは、みんなが勘ぐるような、そういう関係じゃないんだ」
「だから、そういう関係じゃねえのがヘンだって言われてるのさ」
「そんなことは、俺たちの勝手だ。まわりにとやかく言われるようなことじゃない」
「そりゃ、そうだけどなあ……。それじゃあリーナは、あんたの何なんだ?」
「何だと言われても、困るが……。俺は、行き倒れていたリーナを見つけて、リーナには他に行くところもないから家に置くことにした。それだけのことだ。俺がじいさんに拾われて、ここに住むようになったのと同じだ。それで俺とじいさんが結婚しないから変だなどとは、誰も言わなかったぞ」
「あたりまえだ、この大バカ! まじめな顔してすっとぼけたこと言って話をはぐらかそうったって、そうは行かないぜ。じゃあ、何か? あんたはただ、リーナが自分の仕事の役に立つから連れてって便利に使ってやろうと思っただけか?」
「俺がリーナを使うんじゃない。俺とリーナは、対等にコンビを組むんだ」
「ああ、ああ、対等だろうよ。あんたとミュシカがそうなのと同じくらい、な。あんた、そういう下心があったから、リーナが魔法を消さずにいられるだけじゃなく、自由に消すこともできるよう、あんなにしつこく練習させてたんだな」
「いや。俺は彼女のためを思って……」
「ふん。そりゃあ、あんたの役に立つ人間になるのが、リーナがこの国で飯を食っていく早道だろうからな。でもなあ、言っとくが、いくらあんたがリーナを助けたからって、リーナを好きなように連れ回していいわけはないぜ」
「俺は一方的にリーナを引っ張り回そうとしているわけじゃない。リーナには、対等な人間として話を持ちかけ、納得してもらったんだ」
「あんたの『対等』は、いつも口先だけさ。リーナも可哀想にな。あんたに、いいように持ち物扱いされてさ。まるでお礼奉公だよな。……あんたはさ、何だかんだと言い訳しちゃいるが、結局のところ、やさしそうなふりして、リーナもヴィーレもいいように利用してるんじゃねえか。あんた、世の中で自分だけが偉くて、あとのやつは自分の思い通りに動かせるコマかなんかで、何でも自分だけで決めていいと思っているんだろ。だいたい、そうでなきゃ、こんな大事なことを決めるのに、あんたの一番の友達のはずの俺にさえひとことの相談もないなんてこと、あるか?」
「だから、それは、悪かったと……。何しろ、リーナにもゆうべ初めて話して……」
 こうして話は降り出しに戻って、結局その後、彼らはケンカ別れしたのだ。
 今、そのことを思い出すと、ローイは、また、腹が立ってくる。アルファードは、今になっても、まだ、ローイに向かって、『ヴィーレはどうするんだ』などと言うのだ。
(たしかに、アルファードが春になっても戻らないとなりゃあ、村中のやつが、よってたかって俺とヴィーレをくっつけようとするだろう。ヴィーレも、そのうちに、家のことを考えて俺と一緒になろうとするだろう。でも、俺は、ごめんだぜ。内心じゃまだアルファードのことを想い続けているヴィーレと結婚するなんてさ。だいたいヴィーレなんて、他の男を想っているのを承知で、それでもありがたがって一緒になっていただかなけりゃならないってほどの、そんなたいそうな女じゃねえさ。俺、百姓はいやだしさ。あの村にいたら、俺の将来なんか、決まり切ってるもんなあ。ひそかにアルファードを想い続けているヴィーレの婿になって、少しばかりの畑だの羊だのを守って、日がな一日、土にまみれて野良仕事をして、そのうちおいぼれて死ぬんだ。なんにも面白いことなんか、ありゃあしない。ちくしょう、俺は行くぞ! ヴィーレはヴィーレで、なんとかするだろうさ!)
 ローイは、足元の雪を長靴の先で蹴り飛ばして、青空を見あげた。


 三人がプルメールにたどりついたのは、短い冬の日が暮れかかるころだった。
 これまでイルゼールから出たことがなく、この世界の町というものを、ただイルゼール村を大きくしたようなものとしか想像できていなかった里菜は、プルメールの町並の意外な立派さや市場の賑いに呆然と見とれて、ローイに小声で叱られた。
「おい、リーナちゃん、そんな、口開けてキョロキョロすんなよ。いかにも田舎者みたいじゃんか。こんなんで驚いてたら、イルベッザに行ったら目を回しちまうぜ」
 アルファードやローイは、日頃からしばしばこの町を訪れているのである。この町は、この地方の中心地であり、イルゼールを含めて、この地方の村々の農産物の多くはこのプルメールに運び込まれるし、村のものが何か村の雑貨屋では間にあわない特別な買い物をする時には、みんなプルメールに来るのだ。
 三人は、ローイの分の堅パンや、旅に必要ないくつかの品を買い整えてから、安宿に泊まった。その宿はイルゼールの村人がよく使う常宿で、アルファードも何度か泊まったことがあり、主人とも顔見知りだった。そこでアルファードは、ローイに内緒で、主人に、近い内にここに泊まりに来るはずのイルゼール村のものに渡してくれと、書き付けを託した。それは、ローイの兄に宛てて、ローイは自分と一緒にいるから心配いらないと知らせるものだった。
 翌朝早く、三人は凍り付いた地面を注意深く踏み締めて出発した。
 その日は、前日とは打って変わって、この地方の冬にありがちな、どんよりとした空模様だった。ときおり小雪がちらちらと宙を舞うが、新たに積もるほどでもない。
 ローイは歩きながら、寒さを気にするふうもなく、気持よさそうに両手を伸ばした。
「ああ、旅はいいなあ。な、リーナちゃん。俺さあ、旅芸人の一座に入って国中を旅するのが、ガキのころの夢だったんだ。昔、国中が平和だったころは、うちの村にも、ときどき旅芸人が回ってきたもんさ。歌ったり、踊ったり、芝居をしたり。キレイな女の子もいたりしてな。一度、俺、一座の女の子に惚れて、荷物に潜り込んでその一座についていっちまったことがあるんだ。ななつの時だったかなあ。おやじが置き手紙見て、血相変えて馬飛ばして連れ戻しにきてさ。俺があのまま一座に加わってたら、今頃、すっげえ花形になってただろうなあ。見目はよいし、歌はうまいし。どこの町にいっても、女の子がキャーキャーいって大騒ぎになってたぜ。な、そう思うだろ?」
「えー。どうかなあ。でも、ローイ、置き手紙と家出は今回が初めてじゃなかったんだ」
「だから、今回のは、家出じゃねえってばよ!」
「それに、女の子のあとをおっかけるのも、ななつの時からやってたんだ」
「ああ? それは、もっと前からだよ! でもよ、ほんと、キレイな子だったんだぜ。北部から来た一座でさ、妖精の血を引く女の子だったんだ。茶色い肌にオレンジ色の髪してさ、大きな目は琥珀色の、そりゃもう、パッと人目につくような派手な器量よしで、村ではちょっとお目にかかれないような垢抜けた様子をしてな。その子が、大きな白いリボンを髪に飾って、まっ白い服着てかわいい声で北部の民謡を歌うところは、もう、ほんとうに夢のようだった」
「へえ−。あたしも見たかったな。妖精の子孫かあ。神秘的よね」
「だろ? あの子、いくつくらいだったのかなあ。俺はそのころ、自分よりふたつ、みっつ上だろうと思ってたんだけど、もっと上だったのかもな。妖精は人間より一回り小さい種族だったから、今でも妖精の血筋はみんな小柄なんだ。それに、妖精の血筋の人は、年より若く見える。そういえば、その子の母親が、やっぱり妖精の血筋の、すげえ美人で、同じ一座で伝説の妖精をたたえる古い詩なんかを語ってたんだが、みんな、最初はその親子を、てっきり年の離れた姉妹だと思ってたもんな。
 あのな、妖精っていうのは、もともと人間よりずっと長命な種族だったんだ。けれど、神代の終りとともに妖精たちが『魂の癒し』の力を無くしてから、身体よりも先に魂が老いて弱ってしまうようになって、だんだん寿命が短くなってきたんだと。だけど妖精は、もともと長命だったから、時々しか子供が生まれなかった。それでだんだん数が減って、しまいには滅んでいったんだ。
 妖精はシルドーリンの丘の下に住んでて、めったに人間の前に姿をあらわさなかった。そのころ、シルドーリンは、結界じゃなかったけど、人間は立ち入らない聖域だった。でも、ほんとにめずらしいことだったんだけど、ときたま妖精がシルドーリンを出て人里に降り、人間と愛しあって子孫を残すことがあった。それが、今の妖精の血筋のはじまりさ。だから今でも妖精の子孫は年のわりに若く見える人が多いし、長寿の人も多いんだ。今、この国で百才以上の年寄りは、ほとんどみんな妖精の血筋だろうと言われているんだぜ。ついでに言えば、妖精は、男も女もとても美しい種族だったそうで、今でも妖精の血筋と言えば美人の代名詞みたいなもんなんだ」
「あの、お話に出てくるラドジール王も、妖精の血筋だったから、『妖精王』って言われてたんでしょ?」
「もちろん、そうさ。なんでも、黒い肌に銀の髪、青い瞳という、いかにも妖精風のすばらしい美貌の持ち主だったってことだ」
「妖精の血を引く人は、肌が黒とか茶色なの?」
「ああ。伝説の妖精は、肌は坑道の土と闇の漆黒、髪は炎と金属の色、瞳は宝石の色って言われてるが、実際は、肌は、茶色いな。人によって濃かったり薄かったりするけどな。ラドジール王の黒い肌っていうのも、まあ、言葉のアヤで、実際は濃い茶色だったんだろうと思うぜ。髪はだいたい伝説どおり、赤か金か、その中間の色のことが多くて、必ず、金属でできてるみたいにツヤツヤした巻き毛だ。目は、サファイアの青とかエメラルドの緑とか、変わったところではアメジストの紫とか琥珀色とか、そういう、たしかに宝石みたいな明るい色のことが多い」
「肌の色は、ずっと昔に混血してそのまま何世代もたってるんだから、だんだん薄くなってきたんじゃない? 妖精が滅びたのって、いつごろ?」
「妖精は人里離れた山のなかの洞窟にすんでいて人間とほとんど交流がなかったから、いつの間に滅びたのか誰も正確には知らないんだけど、とにかく、もう何千年前だかもわからないくらい昔だよ。でも、妖精の血は人間の血より濃くて、親の片方が妖精の血筋ならその子供はまずまちがいなく妖精の特長を受け継ぐし、そのまた子供や孫も、代々、妖精の特徴を受け継ぐんだそうだ。そして、たまに、妖精と人間の間に妖精の特徴を持たない子が生まれた時も、そのまた子供や何代も後の子孫に、突然、妖精の特長を持つ子供が生まれたりして、そこからまた、妖精の特徴を持つ子孫が増えるから、妖精の血筋の特徴を継ぐ人は、何千年もたっても絶えないんだ」
「ふうん……。ねえ、都に行けば、あたしも妖精の子孫に会えるかしら」
「そりゃあ、会えるさ。昔は、妖精の血筋は、ほとんどシルドーリンの近辺にしかいなかったそうだけど、でも、国が統一されてからは、ほかの人がみんなそうしたみたいに妖精の子孫もあちこちに移り住みはじめて、今じゃ、だいぶ散らばってるんだ。俺も都で何人も見かけたが、女の子が、みんな、えらいべっぴんで、みんな小柄だけどスタイルはいいし、ちょっと声をかけて見ようか、なんて……おおっと、そんなことは、どうでもいいんだ。とにかく、都の大通りに一時間も立ってりゃ、何人でも通るよ。でも、妖精の血筋の女の子は、気位が高いぞ。日頃から、美人だといってちやほやされつけてるせいか、けっこう高飛車なコもいて、俺なんか、あやうくひっぱたかれそうに……ああ、いや、いや、何でもない、何でもない」
「ローイ……。あなた、都へ行ったときも、通りに突っ立ってナンパしてたんだ?」
「ま、まあ、いいじゃねえか。でもよ、妖精の血筋の女の子に声かける時には、気をつけないといけないぜ。はたちをいくつかすぎたばかりと思ったのが、俺くらいの年の子供のいるおばさんだったりするからな」
「あたし、ナンパなんかしないもん」
「そりゃそうだ。そうそう、あんた、軍隊に入るんだったら、きっと、いくらでも妖精の子孫と知り合いになれるぜ。軍の宿舎や練兵場はイルベッザ城の敷地内にあるんだけど、同じ敷地内に、国立の治療院があるんだ。妖精の血を引く人がひとところにたくさん集まっているってことでは、多分、シルド−リンの麓の村以外では国中で一番だ」
「えっ、どうして? 妖精の血筋の人は、身体が弱いの?」
「ああ、違う、違う。患者じゃなくて、治療師のほうだ。妖精の血筋には、癒しの魔法が得意な人が多くて、歴史に名の残るような優秀な治療師といえば、たいていは妖精の血筋だ。妖精は、もともと癒しの種族だったからな。あと、鍛冶屋とか貴金属細工師なんかにも、妖精の血筋が多いぞ。妖精は、癒しの種族であるだけでなく、もともと、シルドーリンの鉱山で金や宝石を掘って、それを鍛えたり細工したりして暮していた鍛冶の種族でもあったからな。だから癒しの魔法だけじゃなく、火を扱う魔法も得意な人が多い。もちろん例外もいるし、妖精の血筋だから当然癒しの魔法が得意だろうとか決めつけられるのを嫌う人も多いそうだけどね」
 ローイの話を聞きながら、里菜は、黒い肌に金や赤の髪という、見たこともないような姿の人々を思い浮かべて、わくわくしていた。最初に妖精と聞いた時には、里菜は、背中に羽のある、てのひらにのるような小人を想像してびっくりしたのだが、そうでないと知った今でも、やはり妖精の末裔という存在は、里菜の心を引きつける。
 だいたい、この世界は、別世界とは言っても、魔法の存在に慣れてしまうと、ふだんはあまり変わったところがないように思えるのだ。
 ドラゴンはいるが、しょっちゅう目にするものでもないし、あとはそう変わった生き物を見かけることもない。植物なども、大半は『あちら』にも存在するようなものだ。
 ただ、見かけは『あちら』の動植物のどれかに似かよっていても性質がちょっと違ったりすることはあるし――たとえば、まきばで時々見かけたヒナギクそっくりの可憐な花は毒草だそうで、アルファ−ドは見つける度に、羊がうっかり食べないようにと引っこ抜いていた――、麦だの羊だのといった『あちら』と共通の動植物も、里菜にはまったく同じものに見えるけれど、詳しい人がつぶさに見れば、どこかしら多少違うところがあるのかもしれない。また、中にはこの世界に独特の花や作物もあるようだ。
 だが、そういう独特の動植物も、ただ単に知らない種類だというだけで、それほど変わった様子はしていない。別の世界というより、ちょうど、ちょっとだけ気候の違う外国に来たような感じだ。
 村の人々もまた、そういえば、里菜から見てあまり違和感がない容姿の人が多かった。
 白い肌に空色の目のヴィーレを見たときには一目で外国人だと思ったが、村ではたいていの人は日焼けして小麦色になっているから元の肌の色はよくわからないことが多く、顔立ちもそれほどバタ臭くない。アルファードなどは、日本人だと言われれば納得してしまっただろうと思うような顔立ちだ。
 そして、髪や目の色は、みな、わりと似通っている。
 髪は、ほとんどの人が茶色の濃淡で、人によって多少赤っぽかったり黄色っぽかったり、まれにはヴィ−レのように亜麻色に近いほど色が淡かったりはするが、金髪や黒髪の人はいなかった。目の色も、ほとんどが茶色の濃淡で、たまに空色がいるくらいだ。
 それで里菜は、最初、この世界の人はみな、ああいう容姿なのだと思っていたが、あとで、そういうわけではないことを、ローイに教わった。
 あの村は、何百年も人の出入りがほとんどないので、村人がみな、互いに似通っているのだという。
 ローイの話によれば、この世界でも、昔は地域によって住民の容姿にけっこう特長があったのだが、国の統一以来、人の移動が多くなって、今では、特に都会では、みんな混じりあって住んでいるということだ。
 だから、あの村のように村中の人の髪の色がほとんど同じなどというのは、『ど田舎』の証明なのだとローイは言っていた。
 プルメールでは、里菜はたしかに、いろいろな容姿の人を見かけた。色の白い金髪の人も、彫りの深い異国的な顔立ちの人たちの一団も見たし、中には、日本人かと思うような小柄な黒髪の人もいて、思わず駆けよって声をかけたくなったくらいだった。だが、ローイの話によるとプルメールにもいくらかはいるはずの妖精の末裔は、運悪く見かけることができなかったのだ。
 けれど、里菜は、イルベッザにつくのを待たずに、このあとすぐ、妖精の末裔と遭遇することになる。
 それは、道端の空き地で、水と携行食の簡単な昼食をとっている時だった。
 ローイは、堅いの不味いのパサパサするのと、さんざん文句をいいながら、アルファードの二倍、里菜の三倍は堅パンを食べた。プルメールでパンを買ったのは、まったく正解だった。
「ローイって、ほんとに、痩せの大食いね」と、里菜がからかうと、ローイは口いっぱいほおばったパンをもぐもぐ噛みながら答えた。
「ああ、兄貴の嫁さんにも、よく言われる。ろくに働きもしないで、食べるのだけは十人前、なんてね。でも、十人前ってのは、いくらなんでも大袈裟だよな。せいぜい三人前だよ」
 そうして、ローイが、デザートにヴィーレの焼き菓子を食べようとして口を開けた時だ。
 ふいに、すぐ耳元で、子供の声がしたのだ。
「それ、ちょうだい!」
「うわあっ!」
 いきなり間近から声をかけられたローイは、菓子を手にしたまま、飛び上がった。
 里菜とアルファードもぎょっとして、顔を上げた。
 ローイの横に、いつのまにか、小さな女の子が、当然のような顔をして立っていた。
 背格好からすると、八、九才だろうか。
 その容姿に、里菜は目を見張った。
 ビロードのような漆黒の肌に、光輝く黄金の巻き毛。信じられないほど大きな、明るい緑の瞳。『あちら』の世界ではアニメやマンガの中でしかお目にかかることが出来ない現実離れした色彩の、絢爛豪華を絵に描いたような、唖然とするような美少女である。
 まちがいなく、妖精の血筋だ。
 少女は、冬だというのに、なぜか袖なしの薄衣一枚をまとって、震えるでもなく、かわいらしく小首をかしげて、落ち着いた様子で立っている。
(か、かわいい! お人形さんみたい!)
 里菜はとっさにそう思ったのだが、そんなのんきなことを考えている場合ではない。いくら街道ぞいとはいえ、こんな山奥に、子供がひとりでいるわけがない……。

(── 続く ──)



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作者 冬木洋子

HP『カノープス通信』
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/9441/

(この作品の著作権はすべて作者・冬木洋子に帰属しています)