長編連載ファンタジー
 イルファーラン物語

冬木洋子作


 <第二章 シルドーリンの宝玉> 

「それ、ちょうだい。お菓子」
 少女は、自分に集まった驚愕の視線に臆する様子もなく、もう一度こう言いながら、ローイを見上げて手をつきだした。
 驚きのあまり口を閉じるのも忘れて突っ立っていたローイは、目の前に手を突き出されて、反射的に焼き菓子を少女に手渡した。
「ありがとう」というなり、少女は、その場にちょこんと腰を降ろして、すごい勢いで菓子を食べ始めた。よほどおなかがすいているにちがいない。だが、それにしては、しぐさにどこか品があって、不思議と、がつがつという感じはしない。
 呆然とその様子をながめていたローイは、少女が菓子を食べ終えてしまったのをみて、何も言われないうちに、あわてて二つ目を差し出し、空になっていた自分のお椀に水を入れて、それも渡した。
 やっと気を取り直した里菜は、アルファードに囁いた。
「なに、この子?」
「なにと言っても……」
 アルファードも、途方に暮れて首を振った。
 里菜も驚いたが、アルファードとローイは、もっと驚いていたのだ。里菜には、怖がらせないよう黙っていたが、この辺はもういつ山賊が出てもおかしくない地域で、彼らは、食べたり話したりしながらも、それなりにあたりの気配には気を配っているつもりだったのである。それが、降ってわいたように、いきなり、すぐ隣に子供が立っている。
 二人は、困惑した目を見交わしながら、子供が物も言わずに二つ目の菓子を平らげるのを眺めた。
 おなかをすかしているわりに、よく見ると、子供の着ている簡素な型の薄物のワンピースは、ずいぶんと上等そうなものである。この世界の衣類のことはあまり知らない里菜にさえ、その服が、何だかひどく高級そうな生地でできているのということはすぐわかる。ちらちらと金の光をちりばめたその美しい生地は、不思議な光沢を帯び、角度によって赤にも緑にも見えるという、村では見たことのないような、豪奢で神秘的なものだ。そのくせ、かわいい足は、なぜか裸足である。
 纏っている衣装にまけず劣らず絢爛豪華なのは、その少女の、目を見張るような鮮やかな美貌だった。
 純金を紡いだかのような豊かな巻き毛が、小さな愛らしい顔を後光のように縁どる。滑らかな肌は、決して濃い焦げ茶色などではなく、伝説通りの、本当の漆黒だ。差し出された小さな手の、かわいらしい掌のほうも、ちゃんと黒い。
 顔は優美な卵形で、その顔立ちには、完璧でありながら個性的な独特の美しさがある。 顔立ちそのものは、現代の日本人である里菜の基準でいうところの標準的な典型的な美人顔というわけではないのだ。そして、美人の基準はこの世界でもほぼ同じらしいので、この世界でも、たぶん、これは、普通の典型的な美人顔ではないのだろう。たおやかな卵形の顔は、全体につるりと滑らかで彫りが浅く、小さな鼻は、やわらかな丸みを帯びて、とても低い。
 が、それが不思議と美しいのである。信じられないほど大きな目と、小ぢんまりと整った鼻や口元との、アンバランス寸前の危うげなバランスが絶妙で、その不思議な均衡の中では、鼻の低ささえ、この美しさを実現するためには絶対に必要不可欠な要素なのだと、一目で納得せずにいられないのだ。
 ロ−イが、『妖精の血筋の人は、みんな独特の顔つきをしていて、たいてい、とてもきれいだ』と言っていたが、確かに、その通りらしい。説明されてもよくわからないが見れば誰でも美しいと思う、そういう不思議な美貌である。
 特に印象的なのが、猫を思わせる大きな目だ。少女の瞳は北国の早春の野に萌えいずる若草のような、明るくやわらかい黄緑色――里菜の持っている短剣の、シルドライトと同じ色だった。
 ――そして、少女の形のよい両の耳たぶには、その瞳と同じ色の宝石の耳飾りがきらめいている。里菜の短剣に嵌っているシルドライトと同じ位の大きさだから、もし、それが本当にシルドライトだとしたら、そのふたつで、ロ−イ流に言えばイルゼール村二つ分の人間が一生遊んで暮せる計算だ。
 いったい、これは、どういう子供なのだろう。里菜はしげしげと少女を観察した。
 よく見ると、少女の金の巻き毛には、ところどころ小枝や草が絡まり、黒い絹のようにつややかな肌にも、豪華な衣装にも、あちこちに乾いた泥や埃がついている。だが、それも少女の輝くばかりの美しさを損なうことはない。この子供には、たとえどんなボロを着てもみすぼらしくは見えないだろうと思わせるような、不思議な気品があるのだ。それはたぶん、顔立ちが美しく上品だからというだけではない、もっと本質的な気品のような気がする。
 よほど良い家のお嬢様が、迷子にでもなったのだろうか。
 だとしたらプルメールの子供だろうが、それにしても、ここはプルメールから、既に半日歩いたところだ。
 こんな危険な森の中に、しかも冬のさなかに、親が娘をピクニックになぞ連れてくるはずはないし、プルメールからここまで、この一本道を、間違って歩いてきたなどとは考えられない。
 もしかすると、家出少女だろうか。それにしては、マントも着ていないし、荷物も持っていないし、そのうえ裸足とはどういうことだろう。
(もしかして、人買いにさらわれて街道を運ばれる途中で逃げ出したとか、旅の途中で一家が山賊に襲われて、この子だけ運よく難を逃れたとか……。それとも、もしかして、山賊の娘とか!)
 ここまで考えて、里菜はぎょっとした。ここは山賊の住みかに近い。山賊の首領の娘かなにかだったら、隊商から奪った高価な衣類を着ていても不思議はない。
「ねえ、アルファード、まさか、この子、山賊の子とか……」
 里菜がひそひそと囁くと、アルファードも小声で答えた。
「ああ、この森の奥にはタナティエル教団の村があるはずだ。そこから子供が迷い出ることは考えられるが……。それにしても、着ているものが上等過ぎる」
「何かの罠ってことはないわよね……」
「ないだろう。やつらにそんな回りくどいまねをする理由はない」
 そう答えながら、アルファードは、ひそかに、少女が新手の刺客である可能性について考えを巡らせていた。
 その間に少女は、ローイから渡された三つ目の菓子を食べ終えてしまった。ロ−イは、少女に水をもう一杯渡してやると、次にチーズと堅パンを差し出した。
「お前、そんな、菓子ばっか食ってないで、こういうものも食えよ、な。菓子ばっかじゃ身体に悪いぞ。ほら」
「うん、ありがとう」
 少女は素直にパンをかじり始めた。
 結局、少女はその後、堅パンとチーズと干し肉をひとしきり食べ、最後にもうひとつ焼き菓子を食べた。それでやっと満足したらしく、ローイにお椀を返してにっこりと微笑んだ。
「ありがとう。おいしかった。お兄ちゃん、いい人ね」
「ああ、よく言われる。特に女の子は、みんなそう言うよ。お前、名前は?」
「キャテルニーカ」
「うひゃあ、そりゃまた、えらく古めかしい、由緒ありげな名前だなあ。おい、なんだか聞いたことがあると思ったら、そりゃあ、たしか、伝説の、妖精の女王の名前じゃねえか? なるほどなあ。そういえば、お前のその目、シルドライトの色だしな。髪の毛も金ぴかで、ちょうど古い歌にある通りだ。『麗しき妖精の女王、永遠なるキャテルニーカ。黄金の髪、シルドライトの瞳、闇に煌くみどりの夢よ』ってな。由緒正しい立派な名前をつけてもらってよかったな。うんうん、ニーカちゃんか。まさにぴったりの名前だ。本物の妖精の女王もかくやって感じだよな。で、ニーカちゃん、あんた、どこから来たんだ?」
 アルファードは、少女の相手をローイにまかせて、ただ黙って注意深くふたりの会話を聞いている。彼は、子供――特に女の子――は、どうも苦手なのである。別に嫌いというわけではないのだが、無器用なのでどう接していいかわからないのだ。
 少女は、ローイの問いかけに答えて、森の奥、北の方角を指差して言った。
「あっち」
「うええーっ? あっちって、もしかして、タナティエル教団の村か?」
「ううん、違う、もっと向こう、北のほう」
「北って、お前、その先はどこまで行ってもずっと森だぞ。もしかして、お前、方向音痴か? お前、本当はプルメールの子なんじゃねえの?」
「そうじゃないわ。ずっと北のほうから、この森を何日も歩いて抜けてきたの」
 アルファードと里菜は顔を見合わせた。アルファードは怪訝そうな顔をしている。
 里菜は知らなかったが、この北のほうは、古代からの深い森がはるかに広がっており、普通の人は誰も立ち入ったことのない森の奥にタナティエル教徒の隠れ里があることは知られているが、その先は本当に人跡未踏の樹海なのだ。たしかに方角的には、まっすぐ北に向かって森を抜けていけばいつかは北部の人里に出るはずだが、それはあくまで図面上の最短距離であって、現実には、そんなルートはないはずだ。北部からここへ来るには、いったんイルベッザまで出てエレオドラ街道をまわってこなければならないのだ。
 ローイも不審げに眉を寄せて、少女を問いただした。
「歩いてきたって、そんな薄着で、靴も履かずにか? この森にゃ狼だって出るんだぜ。連れはどうした? はぐれたのか?」
「ううん、最初から、ひとり」
「まさか。本当にお前ひとりで歩いてきたのか? 狼、出なかったか?」
「出た。この近くまで、一緒に来たのよ。夜は一緒に寝たわ。あったかかった」
「一緒に寝たあ? 狼とか? ……お前、迷子になったんだろ、な?」
「ううん、迷ってないわ。ちゃんと、ここに来れたもん」
「ここにって……。どこへ行くつもりだったんだ? プルメ−ルにか?」
「お兄ちゃんたちはどこへ行くの?」
「俺たちはイルベッザに行くんだよ」
「じゃ、あたしもイルベッザ。一緒に行っていいでしょ?」
「ええーっ。そりゃあ困るよ。いや、俺たちは別にいいんだけど、お前の親が困るだろ。お前、家はどこだ?」
「わかんない。忘れた」
「へ? ……じゃあ、親は?」
「死んじゃった」
「そうか、それは気の毒にな……。ここへ来る途中に亡くなったのか?」
「ううん。ずっと前」
「じゃあ、誰か、親じゃなくても、親の代わりにお前を世話してくれてた人とか、いただろ? その人はどうした?」
「わかんない」
「はあ? じゃあ、その人と住んでた村とか町の名前は?」
「忘れた」
「忘れたって、お前……。まあ、いいや……」
 嘘を言っている様子ではない。ローイは追及を諦めて、黙って首を振りながら、荷物から取り出した手布を水で湿らせて里菜に渡した。
「リ−ナちゃん、悪いけど、これでこの子の顔の泥、拭いてやってや」
 少女がおとなしく里菜に顔を拭かれているあいだに、ローイはアルファードのそばに行って小声で話し掛けた。
「おい、こりゃあ、たぶん、北部からの避難民の子供だぜ。家を失くして着のみ着のままイルベッザへでも逃げる途中に親なり養い親なりが死んだか、でなきゃ親と家をいっぺんに失くしたかして、そのショックで一時的にココが」と、ロ−イは自分の頭を指さす仕草をした――「おかしくなっちまったんじゃねえか。それで、その後、道に迷ってこんなところまで迷い出てきたって、そんなとこだろう」
「ああ、どうも、そんなところらしいな」
「それにしても、よくひとりで無事にこんなとこまで来られたもんだな。よっぽどいい家の娘だったんだろうが……。あのシルドライト、見たかよ。あれじゃ、追い剥ぎに、襲ってくれと言わんばかりだ。その上、狼と一緒に寝たんだと。こんな森の中に、どっかの村から逃げ出した犬でもいたのかなあ。
 ……で、あのおヒイ様、どうするよ? イルベッザに連れていくか? 俺は、それがいいと思うぜ。村に連れていけば孤児のひとりくらい引きとってくれる家はあるだろうが、俺、村に帰るのはちょっとヤバイしなあ。引き返す時間も無駄だし。
 プルメールでも、捜せば引き取り手はいるだろうが、まさか道端にほうりだしてくるわけにもいかないから、結局、俺たちが里親を探してやらなきゃならない。となると、かなりの長逗留になっちまうかもしれねえだろ。いくら別に急ぎの旅じゃないっていっても、あんまりぐずぐずして、天候が崩れても嫌だしなあ。
 それに、たとえ引き取り手がみつかっても、これだけきれいな子だと、かえってよけいな心配が出てくるよな。引き取ったのが実は金目当ての悪いやつで、俺たちの姿が消えたとたんに、この子をこっそりいかがわしい店に売り飛ばしちまわないとも限らない、とかさ。ほら、世の中にはそういう趣味の連中もいて、子供は子供でそれなりに需要があるんだって話だぜ。しかも、これだけの、とんでもないほどのべっぴんとくれば、きっと、子供でも相当高く売れるんだろう。
 引き取られた後のことまで俺たちが心配してやる義理もないんだけど、やっぱ、気になるじゃん。ここで会ったのも何かの縁だ。里親を探すにしても、後々の待遇に目の届くところで探してやったほうがいい。な、あんた、どう思う?」
 ひそひそと相談を始めたふたりを横目で見ながら、里菜は少女の顔や手足の泥を拭きとり、服の埃をはたいてやった。こんな上等の衣服には、防水防塵の魔法もよっぽど丁寧にかけてあるものらしく、ちょっとはたいただけで、服は新品同様にきれいになった。その服に犬の毛のようなものがついているのをみつけた里菜は、あとでアルファードに見せようと、それをとっておいた。
 髪に絡まった小枝を外してやっている時、少しもつれた黄金色の巻き毛の間に何か黒く尖ったものの先端が覗いているのを見つけて、里菜は思わず手を止めた。気がついてみると、それは、こめかみの横あたりに左右一対で、髪を掻き分けて突き出しているのだ。
(うそっ。この子、角がある……?)と思って一瞬ぎょっとしたが、良く見ると、それは、尖った耳の先端らしい。異形と言えば異形だが、金色の巻き毛の渦から小さな三角がちょこんと顔を出している様は、小鬼のようで愛らしい。これも妖精の血筋の特徴なのだろうか?
 里菜は自分の荷物から取り出した櫛で少女のふわふわの髪を丁寧に梳いてやった。縮れているといっていいくらい巻きが強くて、ちょっと梳かしにくかったのだが、埃を落とした髪は、ますますつややかに、純金のように光り輝いたので、里菜はそれが自分の手柄のように嬉しくなり、惚れ惚れとその完璧な輝きに見とれた。
 そのあいだ、少女はずっとおとなしくされるままになっていた。おとなしい、というよりは、鷹揚といったほうがいい態度だったかも知れない。まるで、いつも侍女に身支度を整えさせるのに慣れているお姫さまといった風情だ。
「はい、きれいになったわ」と、里菜が微笑むと、少女も、はにかんだように微笑み返して、こう言った。
「ありがとう。……お姉ちゃんが、女神様ね。会えてよかった」
「え? あの、あなたね……、髪の毛梳かして貰ったくらいで、そこまでお世辞言ってくれなくても……」と、当惑した里菜は、はた、と思い当って尋ねた。
「あなたって、やっぱりタナティエル教徒じゃない?」
 余り嬉しくもないことだが、里菜のことを女神だの女王だのと言うのは、タナティエル教団のものに違いない。
 だが、少女は、こう答えた。
「ううん、あたしは違う。でも、あのひとたちのことは、よく知ってるわ。……あたし、お姉ちゃんの力になりにきたの。お姉ちゃんを探して、ここへ来たのよ。お姉ちゃん、妖精の短剣、持ってるわよね? ほら、シルドライトのついたやつ。そのシルドライトは、あたしの耳飾りになってるのと一緒に掘り出されたものなの。だからあたしは、その短剣を持ってる人と一緒に行くの。ね、一緒に、行こ」
 里菜の短剣はマントの下になっていて、外からは見えないはずだ。
 めんくらった里菜は、とりあえずアルファードに今の話を伝えに行った。
 里菜の話をて聞いたアルファードは、ちょうど、ティーティが短剣を持ってきた時のように、妙に納得した顔をして、
「そうか」とだけ答えた。
 里菜がアルファードに見せた動物の毛は、やはり狼のものだろうということになった。どうやらこの子は、嘘をついているわけでも、完全に頭がおかしいわけでもなさそうだ。
 相談の結果、三人は、少女をイルベッザに連れていくことにした。
 こうして、旅の一行に、もうひとり、不思議な美少女が加わった。


 キャテルニーカは、本当に不思議な子供だった。
 彼女は、イルベッザに発つ前にプルメールに戻って靴とマントを買ってやろうというアルファードの申し出を、あっさり断わった。別に、遠慮をしたり、行程の遅れを心配してのことではなく、ただ、いらないというのだ。彼女はどうやら、この薄着姿でちっとも寒くないらしく、こんなことを言って、ケロっとしている。
「裸足がいい。地面の声が聞こえるから。服も、これでいい。このほうが、たくさん風に触れるから」
 そうとなれば、幸い食料は多めに買い込んであるのだから、わざわざ戻って一日を無駄にすることもなかろうと、一行は先を急いだ。子供連れでは遅くなるかと思ったら、とんでもない。この子は、里菜よりよほど足が強い。北部から歩いてきたというのも、本当かもしれない。どんなに歩いても、その足取りはまるで踊るように軽く、全く疲れる気配もなく、逆に里菜の足を気遣ってくれるのだ。
 キャテルニーカは、また、ひとなつっこい少女で、会ったばかりの里菜やローイにすっかりなついてしまい、道々、里菜とローイにかわるがわる纏わりついてくる。
 けれど、キャテルニーカは、アルファードのそばにはあまり寄りつかなかった。
 彼女はきっと、アルファードが子供好きではないことや、自分に心を許していないことを、直感的に見抜いていたのだろう。
 たしかにアルファードは、まだ、この子のことを、それとなく警戒していたのだ。
 アルファードも、この子は、まずまちがいなくローイの想像どおり、親と故郷を失くしたショックで一時的に記憶が混乱した避難民の子供だろうと思っているのだが、彼の性格上、どんな時でも『万一』という言葉が頭から離れないのである。
 アルファードが彼女に心を許していないのには、もうひとつ訳があって、それは本当に感情的なものだった。彼女がアルファードを見て最初に言った言葉が、アルファードにとっては、理由はよく分からないが、もっとも他人から言われたくない言葉だったのだ。
 彼女を一行に加えると決めた時、アルファードは、ごく自然に、リーダーとして、自分と仲間たちを彼女に紹介した。
「俺は、イルゼールのアルファード。こっちは、同じく、ローイとリーナだ」
 その時、キャテルニーカは、その、すべてを見透かすような、猫を思わせる大きな緑の瞳で、小首をかしげながらじっとアルファードを見つめて、ぽつんと、こう言ったのだ。
「……ドラゴン」
 アルファードの表情が強張り、拳が握りしめられた。それは一瞬のことだったが、アルファ−ドの拳に並々ならぬ力が入るのを見た里菜は、アルファードが少女になぐりかかりでもするのではないかと、ぎょっとなり、少女をかばうように進み出ながら、その場を取り繕った。
「そ、そうよ。よく知ってたわね! この人が、あの、<ドラゴン退治のアルファード>なの。アルファ−ドって、ほんとに有名人なのね!」
 実際、ローイの話によると、例の武術大会のおかげでアルファードのこの二つ名は全国的に知れ渡っているそうだし、アルファ−ドという名はあまりよくある名前ではないそうだから、この子も、『イルゼ−ルのアルファ−ド』と聞いて、彼が三年前のチャンピオンその人ではないかと思い当たったのかもしれない。
 が、それ以来、アルファードは、この少女に対して、露骨に邪険な態度をとることはないまでも、ますます距離を置いて接するようになった。里菜はそれに気づいていたが、アルファードは子供が苦手だというのは知っていたから、何も言わないことにして、かわりに自分がせいぜい彼女に話しかけてやるよう心掛けた。
 話しているうちに、彼女の年令は、十一才だということが分かった。里菜は最初、もっと小さいかと思ったのだが、妖精の血筋だから背が低いのだろう。
 だが、年令が分かっても、それ以上のことは、いくら聞いても分からなかった。
 隠し事をしているという感じではないのだが、どうにも要領をえなくて、話が通じないのだ。
 それに、いったいどんな深窓の令嬢だったものか、何だか浮世離れして、年令のわりに妙に幼い感じがする。言うこと、やること、まるで幼児のようだ。天は二物を与えずというが、この、豪華絢爛、とほうもないほどの美少女は、もしかすると少々頭が弱いのではないかと、里菜は思い始めている。
 里菜は、ローイの腕にしがみついて跳びはねるように歩いているキャテルニーカを眺めた。ローイは、キャテルニーカにすっかり気に入られてしまっているのだ。どうも、彼女は、ローイのことを、自分の遊び相手を務める従者かなにかのように思っているらしい。
 アルファードは最初、このふたりが、じゃれあいながら飛んだり跳ねたりして歩くのを、疲れるからと言って注意していたのだが、そのうち、この少女がまるで疲れを知らないことに気がついて、何も言わなくなった。
 ローイは、自分の回りを跳び回っている少女を、つくづくと眺めて言った。
「しっかし、お前、また、すげえべっぴんだよなあ。妖精の血筋は美人が多いが、それにしても、こんな器量よしは見たことないや。そういえばお前、俺の初恋の人に、ちょっと似てるぜ」
 ローイがなんだかうまいことを言い始めたので、キャテルニーカに対してすでにすっかり保護者気分になっていた里菜は、がぜん、彼女を守ってやらねばという気負いが沸き起ってきて、あわててふたりの間に割って入った。
「ちょっと、ローイ! いくらきれいだからって、こんな子供にちょっかい出しちゃだめよ! だいたい、その初恋の人って、さっき言ってた旅芸人の女の子? だったら、あなた、女の子はそれよりまえから追っかけてたっていってたじゃない!」
「ああ? 俺、初恋の人は十人くらいいるの!」
「何よっ、それ! そんないいかげんな……」
「あれっ、リーナちゃん、あんた、もしかして妬いてんの?」
「誰が! あたしはただ、この子の健全な成育環境というものを考えて……」
「何? なにを考えてるんだって? なんだか知らねえけど、心配すんなよ。俺、そういうシュミ、ねえから」
「どうだか!」
「……リーナちゃん。俺、そんなに見境いのない男に見える?」
「見える。すっごく、見える!」
「ああ、情けない。リーナちゃんは俺のこと、そんなふうに思ってたのか。俺、ショックだなあ……。俺は、ただ、この子の将来が楽しみだと思っただけさ。今からこれじゃ、あと、五、六年もしてみろよ、絶世の美女になること間違いなしだ。だから俺は、ただ、今のうちに、ちょっとツバつけとこうかな、なんて……」
「やっぱり、そうじゃない! ね、キャテルニーカ、このお兄ちゃんに近寄っちゃ、ダメよ! ツバつけられるわよ。バッチイんだから!」
「なんだ、なんだ、人のことをバイキンみたいに……。ようし、そんなら、ほんとにツバつけちゃうぞ! そおら!」と、叫ぶなり、ローイは指を舐めるふりをして、その指を突き出してキャテルニーカを追いかけ始めた。
「そら、そら、ツバだぞ、バッチイぞお!」
「キャーッ! やだあ!」
 キャテルニーカが、きゃらきゃら笑いながら跳びはねるごとに、尖った耳の先がぴょこぴょこ動く。
 この、尖った耳は、ローイが言うにはやはり妖精の血筋の特徴の一つなのだが、妖精の血筋なら必ず尖っているわけではなく、尖っていない人も多いらしいということだ。また、尖っている場合も、ここまでしっかり尖っているとは限らないらしい。
 とすると、これもまた、この子の、妖精の血の濃さの現れなのだろう。
 ローイとキャテルニーカは、里菜とアルファードのまわりで、ぐるぐると追いかけっこをはじめた。ローイのほうが、背丈で言えばキャテルニーカの二倍近いというのに、一緒になって追いかけっこに興じる様は、まるで子供がふたりである。
「おい、ふざけてないで、ちゃんと前に進め。同じところをぐるぐる回ってちゃ、いつまでたってもイルベッザにつけないぞ。リーナ、君も、ローイのやつを調子に乗せるんじゃない」
 アルファードはあきれて溜息をついた。


 その夕方、一行は、まだ明るさが残っているうちに手頃な空き地を探して、焚火の用意をした。
 焚火をすることで山賊に居場所を教えてしまう危険はあるが、そうでなくても、どうせ街道は一本道だ。火を焚かないくらいで隠れられるわけもない。それよりも、寒さと獣を遠ざけておくほうが優先だ。
 空き地といっても、そこは、これまで数多くの旅人たちに繰り返し利用されてきた、公共の野営用地のようなところである。宿屋がないこの街道では、旅人はみな野宿をするので、こういう空き地が自然発生的にあちこちに整備されているのだ。旅人たちの中には、野営地に、椅子になるような倒木を持ち込むもの、石積みのかまどを作ってそのまま置いていくもの、馬を繋ぐ杭を打っていくものまでいて、ほとんどキャンプ場のようになっているところもある。
 里菜たちの選んだ空き地も、地面は平に踏み固められて乾いており、前の旅人が置いていったたきぎの残りまで見つかって、絶好の野営地だった。
 とはいえ、この辺は山賊の勢力圏だ。森の奥まで単独で狩りに入るのは危険ということで、お茶だけいれて、携帯食で食事をすませることにした。たきぎも、なるべく空き地の近くで、みんなで一緒に拾った。そうすると、たきぎ拾いも、結構楽しいものだ。キャンプみたいで、わくわくする。
 もっとも、呑気にわくわくしているのは里菜とキャテルニーカだけで、アルファードやローイは、実は相当、気を張り詰めていたのだ。幸い、ヴェズワルの山賊は、もともと本職の山賊ではないし、まとまりのない連中なので、行動が粗雑だ。計画的に場所を選んで待ち伏せしたり、全く気配を殺して周囲を取り囲んだりといった、高度なことはできないはずだ。気をつけていれば、完全な奇襲だけは避けられると、ふたりとも考えている。
 その夜は、まずアルファードが寝ずの番につくことになった。あとの者は、焚火の回りで、乾いた落葉を集めて敷いた上に横になる。
 落葉の上にマントを広げている里菜に、
「リーナちゃーん、そんなとこで寝ないで、もっとこっち来なよ! ここ、ここ。俺と一緒に寝ようぜえ!」と、自分がくるまっているマントを広げて呼んでみせたローイは、里菜に背負い袋でなぐられた。
「痛ってえ! 何もなぐることないじゃん。冗談がわからねえやつだなあ。いいよ、いいよ。ニーカちゃんと一緒に寝るから。な!」と言って、キャテルニーカのほうを見ると、彼女はもう、里菜の隣に横になっていたが、なんと、落葉の上に直接寝て、地面に頬を押しつけている。里菜が彼女に、これにくるまるようにと言って貸してやった大判の羊毛製ショールは、半分にたたんで上に掛けてあった。
「おい、ニーカ、それ、くるまれよ。地面から冷えるぞ」と注意するローイに、キャテルニーカは、もう眠そうな声で答えた。
「いいの。こうすると、地面の声が聞こえるから」
 やはり、変わり者である。
 ローイは最後にもう一回、里菜に向かって、
「リーナちゃんさあ、今度から、こういう時、黙ってなぐらないで、何か気のきいた悪態で切り返してよ。明日の夜までに、何て言うか考えときな。言っとくけど、バカとかボケとか、そういうあたりまえのこと、言っちゃだめだぞ。創意工夫が大切なんだからな」などと、わけのわからないことを言ったと思うと、里菜が返事をする間もなく、あっという間に寝息を立て始めた。あとで不寝番を交代しなければならないのだから、当然とるべき行動である。
 キャテルニーカは、里菜と間近に顔を見あわせるように向かい合って横になると、小動物のように身体を丸め、すぐにうっとりと目を閉じた。
 里菜は、心が暖まる思いで、そのあどけない寝顔を眺めていた。
 長い睫毛が黒いビロードのような頬にあえかな影を落とし、耳元から雫のように下がったシルドライトが、穏やかな呼吸のリズムで微かに揺れている。陽の光の下では明るい浅緑色に澄み渡るシルドライトは、今、焚き火の焔に照らされて、深い緑色の底に揺れ動く真紅の煌きを湛え、昼間とはまた違う妖しい存在感を放っている。
 この耳飾りについては、彼女が一行に加わった時、ローイが一度、こう言って注意をしてあった。
「おい、ニーカ、その耳飾り外しとけよ。目立つぞ、それ。この辺は山賊が出るんだぜ」
 するとキャテルニーカは、さらりと答えたのだ。
「大丈夫。悪い心を持って見る人には、これは他のものにしか見えないの」
 さすがに高価で貴重なものだけあって、随分と高度な魔法がかけてあったものだ。そんな種類の魔法があるとは、ローイもアルファードも知らなかったと言っていた。よほど由緒のある、古い品物なのだろう。
 里菜は、ふと手を伸ばして、揺れる火影を映してちらちらと赫く瞬くシルドライトを、指先でそっとつついて揺らしてみた。
 するとふいに、もう眠っていると思ったキャテルニーカが眠そうに目を開けて里菜を見て、半分夢を見ているような声でひっそりと言った。
「……魔王は、かわいそうね。お姉ちゃん、魔王を救ってあげてね……」
「え?」
 里菜が驚いて聞き直そうとすると、キャテルニーカはもう、目を閉じて寝息をたてていた。寝言だったのだろうか。
 里菜だけが、なんだか眠れない。
 野宿は今日が初めてで、焚火のおかげでそれほど寒くはないが、落葉を敷いても地面は堅いし、なんだか落ち着かないし、アルファードが起きているので申し訳ないような気もするし、なんといっても山賊が出るかもしれないのだ。
 そっと起き上がってアルファードのそばに座ろうとすると、
「リーナ、明日も歩くんだから、寝ておけ。ただでさえ、君は体力がないんだ」と、振り向きもせずに叱られて、しかたなく、また、横になった。
 ローイとキャテルニーカの寝息と、焚火の燃える音だけが聞こえる。
 黙って薄く目を開け、焚火に赤く照らされたアルファードの横顔をこっそり眺めていた里菜は、やがていつのまにか眠りに落ちた。


 どれくらい眠っただろうか。里菜はふいに誰かに身体を揺すぶられて、ぼんやりと目を開けた。
 耳元で、アルファードが、切迫した声音で鋭く囁いた。
「リーナ、起きろ。どうやら、近くに山賊が来ているらしい」
 寝惚けまなこだった里菜は、たちまちはっとして飛び起きるなり、反射的に、目の前のアルファードにしがみついた。
「やだあ! 怖い!」
 一瞬、狼狽したアルファ−ドは、
「バ、バカ! 落ち着け」と、あわてて自分の胸から里菜を引きはがすと、すぐに元通りの、緊迫した中にも落ち着いた態度を取り繕って、諭すように言った。
「いいか、リーナ、怖がっている場合じゃない。なんとかうまく、ローイの魔法を消さないで、あっちの魔法だけを消してくれ。出来るな? 俺達みんなの命は君の働きにかかっているんだ。頼む」
「う、うん。わかった!」
「それから君は、あの子が怯えたり騒いだりしないよう、守ってやっていてくれ。それも君の役目だ」
 その言葉にはっとしてアルファ−ドの視線を追うと、となりに寝ていたキャテルニーカが、ちょうどむっくりと起き上がったところで、目をこすりながら聞いてきた。
「……どうしたの?」
 そのいたいけな姿を目にしたとたん、里菜は急に腹が据わった。
「ニーカ、こっちおいで。山賊がいるんだって。でも、怖くない。アルファ−ドとロ−イはすっごく強いし、あたしは、こう見えても本物の魔法使いなのよ。心配しないで隠れてれば、あたしたちがきっと守ってあげるから!」
 さっきは自分が怯えていたくせに急に強気で宣言した里菜は、右手で短剣を握りしめ、左手でキャテルニーカを抱き寄せて、マントでくるもうとした。アルファードは、そんなふたりを後ろにかばいながら、油断なく剣を構えて仁王立ちになった。
 ローイはすでに起き上がって、アルファードの横で弓に矢をつがえている。
「よおし、リーナちゃん、俺がいっちょ、いいとこ見せてやるからな。心配すんな、俺とアルファードがいりゃあ、山賊の十人や二十人、どうってことねえ」
 ローイは唇をなめて目を細め、周囲の木立の奥の暗がりをすかし見た。
「……いたぜ」
 呟いたローイが弓を引き絞った瞬間、里菜の腕の中から鉄砲玉のような勢いで転がり出たキャテルニーカが、
「だめ! やめて!」と叫びながら、いきなりローイの腕に飛びついた。
「ニ−カ!」
 里菜とアルファードが同時に叫んだ。
 はずみで放たれた矢は狙いを外れ、近くの木に当たって地面に落ちた。
 同時に、木立の中から、ばらばらと十人あまりの黒マントの人影が飛び出してきた。
 ひとりひとりが魔法を使おうとするところをいちいち見極めていては間に合わないと思った里菜は、目を閉じて念じた。
(あいつらは全員、魔法が使えない、使えない!)
 結果を確かめるために目をあけようとした瞬間、何か爆発でも起こったように、あたりが突然、青い光の洪水に満たされた。里菜は慌ててまた目をつぶった。
 一瞬の爆発的な眩しさのあと、光は少し薄れて、そのまま消えずに安定した。
 そろそろと目を開けた里菜が見たのは、中空に浮かぶ、丸い光の球だった。それが、空き地とその周辺の一帯を昼間のように明るく照らし出している光源で、その真下に、小さな手を天に差しのべてすっくと立つキャテルニーカがいた。
 光球は、彼女が差し伸べた腕の先に浮かんでいるのだ。
 はっとする間もなく、凛とした声が響いた。
「みんな、やめて! あたしはシルドーリンのキャテルニーカ。ヴェズワルのものたち、聞きなさい。この人たちを攻撃してはいけない!」

(── 続く ──)



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作者 冬木洋子

HP『カノープス通信』
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/9441/

(この作品の著作権はすべて作者・冬木洋子に帰属しています)