長編連載ファンタジー
イルファーラン物語
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十四(後)
打ちひしがれた里菜は、あたりが暗くなったころ、アルファードと共に治療院を出た。部屋に戻っても眠れはしないだろうと思ったが、たいした怪我はないものの疲れ果てていて、もう雑用係の手伝いもできなさそうなので、ここにいても邪魔になるだけだと思ったのだ。 人々は当然まだ魔物を警戒していて、夜の路上には人影もなかった。 と、前ぶれもなく、行く手の闇が集って、おぼろげな人の形になった。 アルファードが手にしていた角灯も、その闇を照らし出すことはなかった。光は、そこに届いたとたん、切り取られたように消え失せた。 アルファードは角灯を下に置くと、剣を抜いて身構えた。 『エレオドリーナ。どうだったかな、私の、国民《くにたみ》への盛大な施しは……』 笑いを含んだ魔王の言葉に、里菜は逆上した。 「魔王! 許さない! 絶対に許さない!」 アルファードが止める間もなく、里菜は短剣を振り上げて闇の中に飛び込んでいた。 が、闇はもう、そこになかった。最初からもっと遠くにあったかのように、里菜の少し前に黒々とわだかまっていた。 「魔王、出てきなさいよ! ここへ出てきて!」 | |
『エレオドリーナ。そんなに私と会いたいか。ならば、そなたが北へ来い。私はそこで待っている。……エレオドリーナよ。私の花嫁になるのは、嫌か?』 「嫌よ! あたりまえでしょ! ものすご〜く嫌に決まってるじゃない! それでもさっきは、あたし一人が犠牲になって、それでこの国の人たちが魔物や刻印に脅かされなくなるならあなたの妻になろうと思ったから、それであたしを連れていってって言ったのに、あなたはそれを無視して、あんなことをした。許せない。なんで、あんなことをしたの!」 『言ったであろう。婚約披露の振る舞いだと。そなたへの結納代わりだ。人間の娘に求婚するには、しきたりを守ってきちんとした手順を踏まねばならぬ。そなたが人間の娘として婚礼を挙げたいと望んだのだぞ』 「何をふざけているの! 冗談じゃないわ。誰があなたとなんか……」 『そうか、もう、私の妻になるとは言ってくれないか。それならばエレオドリーナよ、私と戦いに来い。戦いにな! 待っているぞ、エレオドリーナ……』 からかうような笑いを残して、闇は消え失せた。 里菜はしばらく魔王が去っていった後の闇を睨みつけていたが、やがてアルファ−ドに向き直って、決然と顔を上げた。 「アルファード。あたし、北へ行く。魔王と戦いに行くわ。荒野の結界は、あたしを阻まないと思う。魔王があたしに来いって言うんだもの」 「リーナ。それでは魔王とやらの思うつぼだぞ。あいつは、こういうことを何もかも、君を挑発して自分のもとにおびき寄せるためにやったんだ」 「わかってる。だけど行かなくちゃならないと思うの。あたし、なんとなく何か思い出したような気がするの。遠い昔、たぶん生れる前のことを。はっきりと、どんな出来事があったか思い出したわけじゃないんだけど、魔王はあたしが始末しなければならないってことはわかった。そして、たとえ罠でもなんでも、とにかく魔王の城に行かないことには、それはできないから」 「……そうか。リーナ、それなら、俺も一緒に行こう」 アルファ−ドの目の中に、静かな決意があった。 「ありがとう、アルファード。でも、あたし、ひとりで行く。これは、あたしの戦いだから」 「いや、俺も行く」 「駄目よ。言ったでしょ。これはあたしの戦いなの。それに、魔王はあなたを憎んでいるのよ。たぶん、あたしが、そのう……、あなたを、愛したから。あなたが行けば、魔王はきっとあなたを殺すか、もっとひどいことをしようとするわ」 「ああ、わかっている。だからこそ行かなくてはならないんだと思う。たぶん魔王は、俺のことも結界で阻みはせず、君と一緒に通してくれるだろう。いくら君が俺を庇おうとしても、魔王は俺を無関係な人間だとは思っていないし、実際、俺は本当に、決して関係なくなんかないからだ」 たぶんその通りなのだろうと、里菜は思った。ふたりの中に、遠い記憶が、未だ形にならずにおぼろげに甦り始めていて、その記憶がそれぞれに同じことを囁いているのだ。 「リ−ナ。さっき君は、自分はもう子供じゃないから俺に頼るのはやめるとか、なにかそんなようなことを言っていたね」 アルファ−ドの穏やかな言葉に、里菜はちょっと赤くなった。魔王と向かい合い、アルファ−ドと背中合わせで戦った後の今となっては、さっきの自分の気負った決意表明が、なんだかひどく幼稚なものに思えたのだ。 「ああ、あれ……。なんか、生意気なこと言って、ごめんね。何もあんな言い方しなくてもよかったのにね」 里菜は小さく笑ったが、アルファ−ドは真面目な顔で言った。 「いや、謝ることはないが……。ただ、大人になるというのは、別に、誰にも頼らず何もかも一人で抱え込んで苦しむことじゃないんじゃないだろうか。……ああ、このことについては、俺には、君に偉そうに説教する資格はない。俺自身が、ずっとそういう愚かな生き方をしてきたような気がするからこそ言うんだ。リ−ナ。愚か者は俺一人で十分だ。君まで俺と同じ愚かな過ちを犯すことはない。だから、俺に、話してくれないか。俺の知らないところでずっと続いていたらしい、君の戦いについて。村を出る前に、一度だけ、君は、魔王の夢のことを話してくれたね。あれ以来、俺は、君から、そのことについて何も聞いていない。あれから、何があったんだ? 昨夜のロ−イの件も、これに関係していたのだろう? 昨夜も、ちゃんと尋ねておこうと思ったが、機会がないうちに、こういうことになってしまった」 言われてみれば自分がまだアルファ−ドに何も話していなかったのだと思い当たった里菜は、後悔とともに、アルファ−ドにすべてを打ち明けた。 黙って里菜の説明を聞き終えたアルファ−ドは、最後に頷くと、静かに言った。 「事情は分かった。それは君が一人で抱え込むべき問題ではないだろう。もっと早く俺に話してもらいたかったと思う」 「うん……ごめんね」 「いや、君を責めているわけじゃない。俺が君からそういうことを打ち明けてもらえるような自分で在れなかったことを悔いているだけだ。そのせいで、君を一人で苦しませてしまったから。……リーナ、君は、さっき、泣いていたね?」 「えっ、さっきって?」 「魔王に、妻になると言ったとき」 里菜は赤くなった。ローイに釘を刺されたばかりだったのに、つい、悲劇のヒロイン思考に陥ってしまっていたような気がする。自分で考えた悲しい筋書きに自分で酔っていたようで恥ずかしい。 「見えたの? 暗かったのに……」 「いや。見えなかったが、分かった」 「だって……あたしのあの計画通りになっていたら、たぶんあたしはここへはもう戻って来られなくて、あなたとも、他のみんなとも、きっと二度と会えないし、あたしには他に好きなひとがいるのにみんなのためには我慢してあんなやつのお嫁さんにならなきゃいけないんだって思ったら、自分で自分が可哀想になってきちゃって、自分で言ってることを聞いてるうちに自分でだんだん悲しくなっちゃって……。一人で勝手にぐるぐる考えて、勝手に泣いて、バカみたいでしょ」 里菜はうつむきながら笑って見せたが、アルファードは真顔で言った。 「いや。俺も、聞いていて辛かった。もう二度と、あんなことは言わないで欲しい。君があんなやつの花嫁になるなど――それも、自ら望んでではなく、犠牲を買って出て嫌々その身を差し出すなど、耐えられない。そんなことはさせない」 里菜は思わず顔を上げてアルファードを見た。アルファードはわずかに目をそらしたが、それが拒絶の仕草ではないのは、里菜にも分かった。アルファードは今、とても言いにくいことを、とても苦労して言おうとしているらしい。 「……リ−ナ、今まで俺は、君を拾った時に自分でそうありたいと思ったほどには、また、おそらく君が俺に望んでくれたほどには、君に十分にやさしくすることが出来なかったと思う。自分の内心の問題にかまけて、君の気持ちを思いやる余裕が無く、君に、辛い思いをさせていたかもしれない。すまないと思う。許してほしい」 里菜は少し驚いてアルファードを見た。こんな謝罪を聞くとは思わなかったのだ。 自分よりずっと大人だと思っていた、万能だと思っていたアルファ−ドが、ずっと何か悩んでいたらしいことに、うすうす気づいてはいた。彼には彼の苦悩があったのだ。自分には窺い知れない、彼だけの苦悩が。 でも、それは、謝ってもらうようなことだろうか。謝るべきは、アルファードの心を思い遣ることも出来ずにこちらの要求ばかりぶつけようとしていた幼く身勝手な自分の方ではないだろうか。アルファードが自分に悩みを語ってくれないことを不満に思ったりもしたけれど、それも、アルファードのためではなく自分のための不満だったような気がする。自分は本当にアルファードのことを理解しようとしたことがあっただろうか――。 けれど、里菜が言うべき言葉を思いつけずにいるあいだに、アルファードは、淡々と言葉を続けていた。 「でも、それでも俺は、<女神の淵>から君を抱き上げた時に女神に誓った、命に代えても君を護ろうをいう誓いだけは、ずっと変わらずに守ってきたつもりだ。俺は、君を自分の家に連れてくる時に、この少女が俺に護られることを必要としなくなるまで――十分に成長して、誰にも護られる必要がなくなるか、あるいは俺以外の護り手を自分で選び取るかするまでは、俺が責任もって護り通そうと、そういう覚悟を持って、君を家族として迎える決心をした。そういう覚悟があったからこそ、君を自分の家に迎え入れた。 これは、俺が、君の気持ちとは関係なく、勝手に、一方的に決めたことだ。自分のために誓ったことだ。俺の問題だ。だから、もちろん、それが君の迷惑になるのなら、俺は引き下がる。が、俺が思うに、君はまだ、護られる必要がある。君は、もしかすると、ある意味では俺より強いのかもしれないが、それでもやはり、この世界に生まれ出て一年もたたない幼子に過ぎないんだから。 だから、君が俺以外のものを護衛に望むのでないのなら、俺に、誓いを全うさせてくれ。俺から、自分で立てた誓いを守るチャンスを奪わないでくれ」 アルファードは里菜にまっすぐに向き直って、真摯な音色で告げた。 「リーナ。俺を置いて一人で行ってしまったりしないでくれ。一緒に行こう」 アルファードの目には、もう、あの、憑かれたような昏い輝きは宿っていなかった。アルファードの瞳はふたたび穏やかな大地の色を取り戻し、その底に静かな力を湛えて里菜を見つめていた。 「うん」と頷いたとたん、ふっと心が軽くなって、里菜は、ちょっと甘えて白状した。 「ありがとう。ほんというとね、アルファ−ド、あたしさっき、ひとりで行くなんて偉そうなこと言ったけど、実は、実際にどうしていいか、全然わからなかったんだ。だって、結界まで行けば、その後は、魔王があたしに来いって言っているからにはなんとかなると思ったんだけど、そこまでどうやって行けばいいか、見当もつかないんだもん。ほら、そこまでの旅の手配なんか、しなきゃならないでしょ? 乗り物とか食料とか……。あたし、情けないけど、そういうこと、全然わかんないの。『あっち』でだって一人旅なんかしたことないし、どっちみち、ここでの旅って、『あっち』の旅と全然違うし。だいたい、途中、宿屋に泊まったり野宿したりも、一人じゃ心細いし。北の荒野にたどり着く前に、路銀を全部すられたり毒キノコ食べたりして野たれ死んだり、人買いに捕まって売り飛ばされたりしたら、すっごいバカみたいじゃない?」 「それはたしかにバカらしいな」と、アルファードは苦笑した。 「たしかに、君が一人で北の荒野まで行こうとしたら、まず間違いなく途中でその手の下らない災難にあって、そこまでたどり着けなかっただろう。なにしろ君ときたら、見るからに無力で世間知らずそうで、まるで狼の群れの前の仔羊かアリ塚の上の砂糖菓子かという風情で、悪い奴等から見たら、こんなに柔らかそうな獲物はめったにいないというふうにしか見えないんだから、君が一人で街道を歩いたりしたら、たちまちどこかの下らない小悪党に貪り食われて敢え無く終わるのがおちだ」 そこまで言われて、里菜は思わずちょっとむくれたが、本当のことだと思ったので、何も言い返せず、黙っていた。 アルファードは続けた。 「だから、俺を連れて行くといい。俺とて、別に、どんな野盗の群れもひとりで蹴散らせるなどと豪語する気は毛頭ないが、とりあえず俺が剣を下げて睨みをきかせているだけでも日和見な小悪党どもは近寄りにくいだろうから、無用な災難の多くは、剣を抜くまでもなく未然に回避できるはずだ。まあ、軒に飾る魔よけの怪物像のようなものだと思ってくれ」 そう言って、アルファ−ドは、ちょっと笑った。里菜も、軒に飾られたアルファードの怖い顔を想像して、ちょっと笑った。 アルファードと笑いあうのは、とても久しぶりのような気がした。そして、アルファードの声をこんなにたくさん聞くのも。 「ありがとう、アルファ−ド。……あたしたち、きっと、帰ってこられるよね?」 「ああ」 アルファードは静かに頷くと、里菜の両肩にそっと手を置いた。大きな、暖かい手だった。 ただそれだけで、抱き寄せてくれるわけでもなかったけれど、肩に置かれた手から自分の中に何か静かな力が流れ込んでくるようで、里菜はいつまでもそうしていたいような気がした。揺るぎない大地のようなアルファードのまなざしと、その大きな手の温もり――それさえあれば、どこへでも、どこまででも行けそうな気がした。 (── 第三章完結・第四章に続く ──)
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掲載サイト:カノープス通信
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