長編連載ファンタジー
 イルファーラン物語

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 <第二章 シルドーリンの宝玉> 

(第一章<エレオドラの虹>のあらすじはこちら

 (――引用――)


《みどり》なるものよ
永遠
《えいえん》に 清らなるものよ
そは 地底に眠る古きシルドーリンの宝玉
失われし 神代
《かみよ》の夢の ひと雫《しずく》

眠りよ ぬばたまの夜の黒き娘よ
その小さき御手で我らを癒し給え
忘却よ やさしき死のいとし子よ
鮮かな夢と慰めに彩られし闇に
しばし我らを導き給え

遠き神代の金色
《こんじき》の 残映を纏いし忘却の闇
その闇の 底深く
翠の癒し 永遠
《とわ》に煌

  我ら その汚れなき輝きを守り
  来るべき復活の日を ここに待たん
        復活の日を ここに待たん

――タナティエル教団の祈祷歌集より




 里菜は、小さな背負い袋を前に床に座り込み、回りに並べたわずかばかりの荷物を袋に詰め込み始めた。
 本当に、たいした荷物でもない。
 着替えのワンピース一枚と下着一組、小さな櫛、タオルが二枚と羊毛のショール、お椀がひとつと木のスプーン。これが、今の里菜の、ほぼ全財産なのだ。

 あの、あまりにも唐突なアルファードの提案から、今日で六日目――。
 明日の朝、ふたりは村を出て、イルベッザの都に向けて旅立つ。
 本当のところ、自分たちがどうしても村を出る必要があるとは、里菜には思えなかった。
 たしかに、アルファードが言ったようにタナティエル教団はこれからも里菜に付きまとうだろうし、そうすれば一部の村人の間で里菜に対する反感が募るだろう。里菜がここにいることで、村の人に迷惑がかかる可能性も、全くないとは言えない。
 けれど、それだけが理由ではないらしい。
 アルファードは、村を出たがっている。
 いつになく饒舌だったあの夜のアルファードの、あまりの饒舌さゆえにどこか言い訳の匂いのする言葉が、里菜の脳裏によみがえる。
『どのみち俺は、雪が積もると、ここでは仕事がなくなるんだ……。この辺の若い者はたいてい、冬場はルフィメルにある羊毛加工場に働きに行くんだが、そこでの仕事は、魔法が使えなければどうにもならないものだから。……この辺は、この加工場があるおかげて冬でも働き口があるし、もともと畑が豊かだから冬場の食料の蓄えも充分できるが、気候が厳しく土地の痩せた北部では、昔から、冬だけイルベッザやその周辺へ賃仕事に出る者も多いらしい。だから俺たちも、そうしてみてもいいんじゃないか。――いや、春に帰るかどうかは、その時になってから考えよう』
『――羊か。それは大丈夫だ。もともと、俺が羊飼いになる前は、この村じゃ、羊を、夏の間中、よその羊飼いにまとめて預けて、秋に返してもらっていた。――ああ、夏になると低地から大規模な羊飼いが上がって来て、夏の間中、もっと山奥の牧場の小屋に住み込んで羊を放牧し、秋になると山を降りていくんだが、その行き帰りにうちの村によって、羊を預かっていってくれるんだ。だから、夏中預けっぱなしだったんだ。これからは、また、そのようにすればいいだけだ』
『――いや、ミュシカは村に置いていく。あっちじゃ犬は飼えないし、それに、俺は別にここにいなくてもいい人間だが、ミュシカは違う。ミュシカは、ここで、必要とされている。あんな有能な牧羊犬は、ほかにいない。……これまで、学校が休みの時に時々羊の番をかわってくれていたシャーノという少年がいるんだが、この子が将来大規模に羊を飼いたいと言っていて、この春から、見習いのためにしばらく俺と一緒に仕事をすることになっていた。俺が村を出るなら、あの子は、よその村の羊飼いについて修業することになるだろうから、あの子に、ミュシカをつけてやろうと思う。あの子なら、ミュシカをちゃんと扱えるし、ミュシカも、あの子によくなついていた。息の合った優秀な牧羊犬は羊飼いの宝だ。シャーノはミュシカを大切にしてくれるだろう』
『――ああ、それはもちろん、寂しいさ。でも、いいんだ。どこにいても、ミュシカは俺の犬だし、俺はミュシカの人間だ。ミュシカはここで、これからも、シャーノや他の羊飼いたちを助けて良く働き、感謝され、かわいがられるだろう。……あれは、実に賢い犬だ。この辺の羊飼いは、みな、ミュシカを欲しがっている。俺は以前、よその村の羊飼いたちに乞われて、ミュシカに産ませた子犬たちを牧羊犬として訓練して譲ったことがあるが、父親もこの辺じゃ優秀な牧羊犬として名の知れた犬だったし、訓練にもミュシカと同じように力を入れたのに、どの仔もミュシカには及ばなかった。ミュシカほど頭のいい犬はいない。俺は、ミュシカを育てたことを誇りに思っている』
『――ドラゴン? ああ、それも大丈夫だ。うちの自警団には、俺がいなくてもドラゴンを倒せるだけの実力は、十分ある。今は俺がいるからみんな俺を頼っているが、いるから頼るだけで、本当はもう、うちは俺一人の働きでもっているというわけじゃなく、俺が抜けてもちゃんと持ちこたえられるようになっているんだ。俺は、ちゃんと、みんなをそのように鍛えてきた』
『……このあいだの闘いで見極めたことだが、ミナトには、仕留め役が出来る。まだ経験は浅いが、俺が初めての時には他の団員たちが今ほど頼りにならなかったのにくらべて、今は、他の団員たちの援護が、当時とは比べ物にならないほど、あてにできる。団としての全体の技量が高いから、たとえ仕留め手が多少不慣れでも、他のものが十分支えてやれるだろう。そうするうちに、ミナトはどんどん強くなると、俺は思う。腕力は多少劣るが、身のこなしが良く、判断が的確だ。彼女をもっと早く実戦に出して経験を積ませなかったのは、俺の判断ミスだった。秘蔵の愛弟子だったんだが、秘蔵し過ぎたな。彼女は実戦に強いタイプだ。非常に勇敢な心の持ち主だ』
『……なんだ、リーナ、俺がミナトをほめたからといって、なにも、君がいじけることはないじゃないか。君とミナトは全然ちがうんだから、比較したって意味がないだろう。それに、君だって勇敢といえば勇敢だ。いくらまだドラゴンの本当の恐ろしさを現実には知らなかったにしろ、猛り狂うドラゴンの目の前に、何の力も策も持たないまま、いきなり飛び出してくるとは、浅慮、無謀ながらも、常識では考えられないほど勇敢には違いない。……リーナ、もしかして君は、やきもちを妬いてるのか? ――いや、笑ってない。笑わなかった。笑ったりなどするものか』
 それからアルファードは、一連の長広舌が全部終わった後で、思い出したように、ついでのように、ぽつりと言った。
『リーナ。ここは古い村だ。そしてここの人たちはみな、多分村がここに出来た時から、先祖代々ここに住んでいるものたちばかりだ。みな、俺たちには親切にしてくれるが、ここでは俺たちは、十年住もうが一生住もうが、永遠によそものなんだ。もし俺が――そんなことができるとして――ここで結婚し、子孫を残し、平穏な一生を終えたとしても、俺は最後まで、よそからきた<マレビト>でありつづけるし、俺の子孫も、何代たっても、<マレビト>の末裔と呼ばれ続けるだろう。……俺は、君に出会うまで、自分の中に村を出たいという気持があることにさえ、気づいていなかった。だが、君を見つけた時、たぶん俺は心のどこかで知ったんだ。俺はいつか、この子を連れて村を出ることになるだろうと……』
 たぶん、これがアルファードの本音だったのだろう。
 彼は、村を出たがっていたのだ。
 里菜が、自分のせいでアルファードが村にいられなくなったのだなどと済まなく思う必要は、どうやら、なかったらしい。里菜のことはただ、彼が村を出るためのきっかけ――もっと悪く言えばダシにしかすぎないのであって、要するにアルファードは、おおらかな気風とはいえやはり閉鎖的なこの狭い村で、<マレビト>でありつづけ、<女神のおさな子>であり続けることから、きっと、逃げ出したかったのだ。あんなにかわいがっているミュシカと別れることになってさえ。
 それなら里菜は、アルファードと一緒に、どこへでも逃げようと思った。
 けれど、いくらなんでも、いきなり軍隊とは、めんくらった。
 里菜はそれまで、この国に軍隊があるという話さえ聞いていなかったのだ。いや、そういえば聞いたことはあったかも知れないが、自分に関係があるとは思わなかったので忘れてしまったのかもしれない。
 里菜は、あの夜、初めて、軍隊について詳しく説明してもらった。
 それは、こんな話だった。
 軍隊には、正規軍と『特殊部隊』があり、アルファードが入ろうと思っているのは、その特殊部隊のほうだ。
 正規軍は、市中の治安維持を主な仕事にしていて、この国が統一されてから出来たものだから、軍という名はついていても、内乱の鎮圧はともかく本当の戦争をしたことは未だかつてなく、里菜の感覚で言えば、つまりは、警察プラス自衛隊プラス消防署に当たるようなものらしい。泥棒も捕まえれば催し物の警備もするし、災害救助もするし、必要があれば地方にドラゴン退治にも行くし、災害後の復旧作業に派遣されたりもするそうだ。
 これに対して、特殊部隊は、魔物退治を専門に行なう部隊だ。もともとは、昔から正規軍の中に目的別に存在してきた、文字どおり特殊な任務を帯びた少数精鋭の集団だったらしいが、そのうちの対魔物部門が、ここ数年でにわかにふくれあがって、今では正規軍より数が多いとさえ言われている。ここ数年の魔物の横行に、これまでの人数では対抗しきれなくなった軍が民間人を大量に臨時採用した結果である。
 したがって今の特殊部隊は、名前は同じでも、かつてのそれとはまったく性質の違うものになっている。今の特殊部隊は、ようするに、組織化された賞金稼ぎの集団だ。
 <賢人の塔>では、昔から、魔物のマントを持参したものに報奨金を出していたし、賞金稼ぎをなりわいとする人間は、いつの時代にもいた。といっても、昔は魔物の出現自体が少なかったので魔物退治で食っていくなどということはできなかったし、ほかのどんな種類の賞金を稼ぐにしろ、賞金稼ぎなどという商売は、まともな市民の仕事とは思われていなかった。
 しかし、この、特殊部隊の増員政策によって、魔物退治は、危険ではあるが、それだけで食べていける堅実でまっとうな仕事のひとつとして市民権を得た。
 正規軍の兵士が、厳しい試験ときちんとした審査の手続きを経て採用された正式の公務員で、安定した身分を持ち、多くは定年まで務めあげるのに対し、今の特殊部隊は、本当に臨時雇いの集団で、まず誰でも簡単な登録だけで入隊でき、いつでもやめられる。出稼ぎ者が冬だけ務めて帰ることもあるらしい。つても元手も住むあてもなくイルベッザで働こうとする地方出身者には、一番簡単にありつけて、一番都合のいい勤め口なのだ。
 もちろん危険できつい仕事ではあるが、正規軍のような厳しい訓練はないし、軍律も緩く、そのうえ、雇主は『国』だ。なんといっても、無料の宿舎とただ同然の食堂があって、正規軍のように制服の支給はないが、希望者には武器、防具が貸与されるのがありがたい点で、どんな食いつめ者でも、多少経歴に後ろ暗いところのある者でも、それこそ体ひとつで軍に入ればとりあえずは食いつなげるし、業績によっては、それなりの蓄えも築けるのである。
 そこでは、入隊者は、それぞれ個人、またはグループごとに登録をし、それぞれ勝手に好きな時に働く。グループで動く場合、基本給は各自が貰えるが報奨金は山分けになる。人数が多ければ多いほど一人当たりの取り分は減るわけだが、危険も減るし、倒せる魔物の数は増えるので、一匹狼は、ごく少ない。個人で入隊した場合も、本人が希望すれば、使う武器や得意とする魔法のバランスなどを考えて適当と思われるパートナーを軍のほうで紹介してくれるのだ。仕事も訓練もすべてこのグループ単位で好きなようにして、それを申請するだけでよく、軍としての集団行動は一切ない。日常生活もかなり自由だ。
『――そういうわけだから、俺と組んで登録すれば、君はそんなふうに、自分に体力がないとか、武器が扱えないとか、そんなことを心配しなくてもいいんだ。実際に剣を振るって魔物を倒すのは俺で、君は、俺の後ろで魔物の使う魔法を消しているだけでいいんだから。……だから、リーナ、俺と一緒に、軍に入ってみないか。やってみていやだったら、いつでもやめられるんだから』 
 そう言ったアルファードの口調は、日頃は何に対しても熱くなるところなどあまり見せない彼にしては妙に熱がこもっていて、里菜は、その熱心な勧誘を拒めなくなってしまった。
 ほんとうは里菜は、同じイルベッザに行くにしても、軍隊などではなく何かほかの仕事をみつければいいのに、と思う。たとえ危険がなくても、アルファードが魔物を『消す』――魔物のことは『殺す』とは言わないのだという――ところなど、里菜は、やっぱり見たくない。いくら魔物は人間ではなく、一体二体と数えられるようなものであるとはいえ、やはり、一応は人間の形をしたものが『消される』のを見るのは、あまり気分の良いこととは思えない。
 それでも里菜が軍隊入りを承知したのは、アルファードはなぜだか知らないが軍隊に入りたいのだと感じたからだった。それは別に愛国心だの『世のため人のため』などという正義感からでも、かといって功名心とか出世欲からでもないようで、里菜にはさっぱり彼の心境が理解できない。が、ただ、彼は里菜と一緒にでなければ軍に入れないらしいということはわかっていた。いくら強くても、魔法が使えないアルファードは、魔法を消すことのできる里菜と組まなくては、その力を魔物相手に役立てられないのだから。
 アルファードに必要とされ、彼の役に立てる――。そして、仕事の時も家で留守番ではなく、アルファードのそばで一緒に働ける――。
 それは里菜にとって、多少の不安や怖さは忘れさせるほど魅力的なことだった。
 けれど今、新たな旅立ちを前にした高揚感と、新しい生活への不安と緊張や村を出る寂しさが里菜の心を交互に捕え、簡単なはずの荷造りは、なかなか進まない。
 背負い袋の底に衣類を詰め込んだ里菜は、続いて、アルファードが用意してくれた携帯食料を半分に分けて油紙に包み始めた。
 いざという時のための薬草や、水入れ、火を起こす道具、これまでにたくわえたわずかな現金などは、アルファードが持ってくれることになっている。
 油紙に包んだ山のような堅焼きパンは、村のパン屋からの餞別がわりの差し入れだ。
 あの翌朝、アルファードは一人で、世話役であるヴィーレの父のところに、旅立ちの意志を伝えに出掛けた。その時にはすでにアルファードは、旅立ちの日を、一週間後と決めていた。
『いろいろと買い整えなければならないものもあるし、俺がいなくなった後のことで、いろいろと相談して決めておかなければならないこともある。そういった準備に、そのくらいはかかるだろう。それさえ済めば、なるべく早く出掛けたほうがいい。そうすれば、冬至前にはイルベッザにつける。イルベッザまで――そうだな、君の足に合せると、十日はかかるだろう。――そう、もちろん歩いていくんだ。だって君は、馬に乗れないだろう? それに、どっちにしても、武術大会の時のようにすぐ帰ってくるわけじゃないから、村の共有の馬車や馬を借りていくわけにもいかないし。――いや、山を降りれば、まず雪が積もることはないから大丈夫だ。とにかく雪が深く積もる前に、この山さえ降りてしまえばいいんだ。そのために、準備を急ぐ』と、アルファードは里菜に言い渡した。
 また、冬至になると役所が冬至休みに入るために入隊受付も休止されてしまうというのも、自分たちが出発を急がねばならない理由だという。
 ふたりが村を出ることは、その日の午後、ヴィーレの父を通じて村中に知らされた。
 村はずれのアルファードの家まで、パン屋のおかみさんがわざわざ訪ねてきたのは、その数日後のことだ。
 両手いっぱいにパンの入った袋を抱えたパン屋は、ドアを開けた里菜を見るなり、まくしたてた。
『リーナ、あんた、行っちまうんだって? 寂しくなるよ。いえね、なにもあんたたちがお得意さんだからってだけじゃないのよ。あたしはあんたにお菓子のおまけをよろこんでもらうのが、ほんとうに楽しみだったのよ。それでね、これ……。堅焼きパンだよ。持っていっておくれ。もちろん、お代はいいよ。あたしからの餞別だ。堅く焼いたし、うんと念入りに保存の魔法をかけておいたから、いつまでだってカビないからね。……あたしはね、リーナ……。ほら、以前あんたがローイとうちに来て騒ぎになった時……あん時すぐにあんたをかばってやれなかったのを、ずっと後悔していたのよ。なんだか自分が恥ずかしくてねえ。許しておくれよ。必ず帰ってきておくれ。いつでも、あんたが帰ってきてうちにパンを買いにきてくれたら、あたしは山ほどお菓子をつけてあげるからね……』
 そう言うと、小太りのおかみさんは、手渡したパンの袋ごと、里菜をふわりと抱き締めてくれたのだった。
 そのことを思い出すと、里菜の心がぽっと暖まる。けれど同時に、寂しくなる。
(あたしは、村を出るんだ……。明日、本当に……)

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