長編異世界ファンタジー『イルファーラン物語』番外編

大宴会!

☆これは、天城麗様主催企画『大宴会』のために書き下ろした『イルファーラン物語』のお遊び番外編です。(『大宴会』は『食事をおいしそうに描写するだけ』が趣旨のオンライン小説競作企画です)
☆本編でいえば第一章半ばごろの設定ですが、ネタバレはありません。本編未読でもOKです。
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その1 ヴィーレのクッキー

「ヴィーレ、お待たせ!」
 美しい彩色を施した小箱を胸に抱えた里菜は、先に待ち合わせ場所に来ていたヴィーレに駆け寄った。
 今日は楽しい大宴会。
 某所で誰でも参加できる大宴会が開かれると聞いた里菜は、ローイとヴィーレとアルファードを誘い、それぞれ手土産を持って参加することにしたのだ。
 つつましいながらもこぎれいなよそ行きに身を包んだヴィーレは、いつもよりさらに愛らしくて、里菜はなんだかふわっと幸せになった。子供の頃、お出かけのときにいつもよりきれいにしているお母さんを見るのが無性に嬉しかった、そんな気持ちを思い出す。
 が、里菜の目はすぐに、ヴィーレが腕に抱えた大きな籠に移り、そこに釘付けになった。
「ヴィーレ、それ、クッキーよね、ね?」
 里菜は物欲しそうに、籠の上にかけた清潔な布の端をめくって中を覗き込み、ふんわりと立ち上る甘く香ばしい香りを深く吸い込んだ。
「う〜ん、いい匂い! ヴィーレのクッキーは最高よね」
「うふふ、ありがとう。今日は普通のと木の実入りのと香草入りのと3種類焼いてきたのよ」
「わあ! ねえ、ねえ、一つ味見してもいい?」
「ひとつだけね。何がいい?」
「えっと、じゃあ、普通の」
「はい、あ〜ん」
 ヴィーレは、こんがり焼けた一口サイズのクッキーをひとつ、籠からつまみ出し、雛鳥のように開けた里菜の口に優しく押し込んだ。
 程よく焼き色のついたクッキーが、さくっと砕けて、ふんわりした甘さとバターの香りがたちまち口いっぱいに広がる。
 さくっ、さくっ、もぐ、もぐ、もぐ……。何度か噛むと、里菜は口の動きを止めて、しばらく、舌の上でほろほろと崩れていく生地の感触を楽しんだ。
 それから、目を閉じてゆっくりと飲み下し、しばし甘い余韻に浸ってうっとりと呟く。
「ああ、幸せ……。ヴィーレのクッキーって、幸せの味がする……」
「うふふ、そう? 幸せの味だなんて、リーナってば、面白いこと言うのね」
「うん、初めてヴィーレのクッキー食べたときね、幸せってこういう味がするんだなあって、思ったの。あたし、それまでクッキーなんて好きじゃなかったんだけど」
「あら、どうして?」
「だって、なんか、モソモソして……。それにね、あたし、なんだか、食べることが好きじゃなかったのよ。めんどくさかったの。何で人間は食べ物食べなきゃいけないんだろう、食事なんかしなくて良ければもっと時間が有効に使えるのにとか思ってた。飲むとおなかがすかなくて栄養が取れるお薬とかで食事が済ませられちゃえば楽なのにって。あ、でも、今は違うのよ。アルファードが作ってくれたハチミツ入りのおかゆとか、ヴィーレのクッキーとか食べたらね、なんか、ああ、『食べる』って幸せなことなんだな、優しいことなんだなって思って……。うまく言えないんだけど、食べ物に入ってる、栄養で無い何かが、あたしの栄養になってくれるような気がしたの」
 里菜はしみじみと呟いた。そうしながらも、目は、物欲しそうに籠に注がれたままだ。


2 お姫様の砂糖菓子

 そこに、素っ頓狂な大声が響いた。
「おーい、リーナちゃん、お待たせ!」
 いつもよりさらに盛大にめかしこんだローイが、キテレツな前衛ファッションには思い切り不似合いな、とってもカントリーな手押し車を押してやってくる。
 手押し車に乗っているのは、なにやらでっかい酒樽のようなものだ。
「やだ、ローイ、何持ってきたの?」
「何って、見りゃ分かるだろ、酒だよ、酒。上イルドのギアム農園の最高級の葡萄酒だ。都じゃ幻中の幻の酒って言われてる銘酒だぜ。作る量が少ないから、このへんでだって、なかなか手に入らないんだ。それを一樽丸々。どうだ、豪儀だろう!」
「うん、す、すごいね……。まさか樽ごと持ってくるなんて思わなかった……。それ、どうしたの? まさか盗んだんじゃ……」
「バカヤロー! 違うよ、違う! 貰ったんだよ! こないだギアム農場の近くにドラゴンが出たんだ。それを退治したお礼だよ」
「じゃあ、自警団のじゃない」
「違うよ、これは俺個人あてなの。自警団とは別に、俺にも一樽、くれたんだ。特別に活躍したからさ!」
 ローイは胸を張った。それから、ヴィーレの籠に目を留め、
「お、ヴィーレはやっぱりクッキーか。一個食わせろ」と言ったかと思うと、ローイはもう籠からクッキーを一枚つまみ出して、無造作に口に放り込んでいた。
「うん、まあまあだな。不味くは無いぜ」と、口をもぐもぐさせながら言い、
「もう一個食わせろよ」と籠に伸ばしかけた手は、ヴィーレにぴしゃんと叩き落とされた。
「だめよ、一個だけ! これは宴会に持ってくお土産なんだから」
「ちぇ。けち。おっ、リーナちゃんは何持ってきたの?」
「イルベッザの砂糖菓子。特別に取り寄せてもらったの。どうやってかは聞かないでね」
「おお、すげえじゃん、高級品じゃん。あの、花びらの形の、薄荷味のだろ? 俺、食ったことない。一個食わせろ」
「実はあたしも食べたこと無くて、食べてみたかったんだ。でも、お使い物だから箱開けちゃまずいかなと思って我慢してたんだけど……」
「構うもんか、わかりゃしないって!」
「そう、そうよね! この蓋、テープで巻いてあるとかじゃないから、いったん開けても分からないよね。じゃあ、みんなで一枚づつ味見してみよっか!」
 砂糖菓子は、高級贈答品だけあって、中身を食べ終わった後は小物入れとして使える洒落た小箱に入っている。
 オルゴール箱のような蓋付きの平たい木箱は、熟練の職人の手で一つづつ手彩色されている。
 箱全体は、鮮やかだが落ち着いた深い青。蓋には、白と薄紅の薔薇に囲まれた女神エレオドリーナが素朴な宗教画タッチで描かれ、側面にも同色の薔薇の小花がいくつか散りばめられた、クラシカルで優美なデザインである。
 かすかに首をかしげて微笑む清楚な女神の、白い肌と、ほんのり紅の差した頬、夢見るような青い瞳と青い衣は、周囲を飾る薔薇と箱の青色と調和し、波打つ麦穂のような黄金の髪が色彩上のアクセントとなっているのに合わせてか、蓋についている華奢な留め金も、つや消しの金色だ。
 こんな、見ているだけでため息が出るほど綺麗な箱に入った高価なお菓子は、どんなに美しく繊細で、どんなに上品で洗練された味がすることだろう――。
 箱が届いてから、里菜はずっと、蓋を開けて中身を見てみたくて、できれば味見もしたくて仕方なかったのだが、お使い物だからと我慢していたのだ。
 ローイの無責任な一言は、その自制を投げ捨てるための、かっこうの言い訳になった。
 綺麗な箱に入ったお菓子を開ける瞬間は、ただでさえ心ときめくものなのに、お使い物の箱をこっそり開けるとなれば、罪悪感とスリルがスパイスとなって、いやがうえにもわくわく感が高まる。
 いつもなら、お使い物に手をつけるようなはしたないことを見逃してくれるとは思えないヴィーレも、そのスリルと、噂に名高い高級砂糖菓子の誘惑に屈して、今度ばかりは共犯となる決心をしたようだ。勿忘草色の瞳が、期待に輝いている。
 里菜が捧げ持った箱を、寄り集まった三つの頭が覗き込む。
 息を詰めたような注視の中、里菜は、厳かに、金の留め金を外し、蝶番のついた蓋をそっと持ち上げた。
 箱の内側には、青地に金粉を散らしたような豪華でやわらかそうな布が貼られていて、その上に、愛らしい砂糖細工の白と淡ピンクの花びらが、びっしりと敷き詰められている。まるで花盛りの蔓薔薇の根元に花びらが舞い落ちて散り敷しているよう。これだけ枚数があれば、三枚くらい減っても分からないに違いない。
 砂糖で出来た花びらは、信じられないほど薄く、まるで本物の薔薇の花びらのように微妙なカーブを描いてかすかに反り返った形は、信じられないほどリアルで繊細だ。
 見たところ、材質は、里菜の世界で言えば『薄荷糖』のようなものではないだろうか。
 白く不透明だが微妙に透明感があり、普通のキャンディより柔らかそうな質感で、方解石を思わせる。
 そんな、見るからに脆そうな砂糖の塊が、ありえないほど薄く成形されているのだ。
 どれも全く同じ形で、どうやら型押しで作ったと思われるが、普通なら、砂糖細工がこんなに薄ければ、一つ一つ大切に緩衝材に載せてでもおかなければすぐに粉々に割れてしまうだろうから、きっと、製造の工程で何らかの魔法が使われているのだろう。
 里菜は、透き通るように淡いピンクの花びらを一枚、指先で、そっとそっとつまみあげた。あまりにも脆く儚げで、うっかり雑に掴んだら割れてしまいそうな気がしたのだ。
 ローイとヴィーレも、それぞれ一枚づつ、注意深い手つきで花びらをつまみ上げた。
 こんなふうにばらばらに箱に入れてあって、それを持ち運んでも平気なのだから、実際にはそんなに簡単には割れないのだろうが、見るからに繊細で上品なので、扱う手つきも自然と丁寧になる。
 つまみ上げた花びらを目の前にかざして鑑賞した後、そっと口に入れる。
 細い指先に挟まれた花びらがくちびるに触れた瞬間、はなびらは、ひんやりと甘く香って、本当に、薔薇園で薔薇の花びらを食べているような気分だ。
 味は、やはり薄荷糖と同じだった。砂糖そのままの淡い甘さにうっすらと薄荷の風味がついているだけの、素朴な味わいである。
 が、同じ味でも、薄さが違うと、食感は全く違う。
 薄い花びらは、口の中でぱりっと砕けて、噛んだり舐めたりするまでもなく、ほのかな薄荷の香りを漂わせながら、すぅっと溶け、後には、薄荷の匂いの風が吹き抜けたような涼やかな余韻だけが残る。
 見た目のままの、淡く儚い食感である。
「……もう無くなっちゃった」
 里菜は名残惜しそうに呟いた。本当は、次々につまんで口に入れたい。これを一箱全部一人で食べられたらどんなに幸せだろう。きっと、昔々のイルベッザ城の姫君たちは、この花びらを上品なボンボン皿に盛って、次々つまんで食べたのだろう。これは、イルベッザ城にまだ王様やお姫様が住んでいた時代に王宮の菓子職人たちが作ってきた、王室御用達の伝統ある銘菓なのだ。
 ああ、私も昔々のお姫様になりたい……。お姫様になって、毎日、このお菓子を、好きなときに好きなだけつまむの……。
 里菜は、レースやフリルに埋もれたお姫様ドレスをまとって銀細工の籠から砂糖菓子をつまむ自分――もちろん、多分に美化されている――を想像し、うっとりとため息をついた。
 今まで、お姫様になりたいなどと本気で思ったことは一度も無かったが――華麗なドレスは実際に着たら窮屈そうだし、王族なんて、きっといろいろ面倒なことがあって、見かけによらず大変な稼業なのに違いない――、今は、しばし、砂糖菓子のような甘い夢に浸ってみたい。
 そう、ここは、いにしえのイルベッザ城の薔薇園のあずま屋、私は高貴なお姫様……。このお菓子は、そんな優雅な夢を見せてくれる、魔法のお菓子なのね……。

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