寄贈小説『魚屋』 (作 K.S様)


昭和30年代。魚は庶民にとって貴重な蛋白源であった。
肉がまだまだ高価だった時代だったが、魚は今よりも安価だった。もちろん高級魚や刺身は今よりも高値なのだが。
そしてその当時は子供も魚を嫌いな人が今よりも少なかったため夕飯に登場する回数も今よりも多かったという。
したがって町内の魚屋は夕方ごろになると買い物客でにぎわっていたそうである。

この商店街には魚屋が2軒ある。商店街の両端にあるので客もほぼ分散している。けど時々行われる大売り出しの時には客が一軒に集中することもある。けど同じ商店街にありながらも共存共栄しているのである。
人それぞれ十人十色であるのは当然で、2店の店主もそれぞれ特徴があった。旧来から愛用している客はそこも見据えて買い物をしているのである。

駅に近いほうの魚屋【魚辰】のご主人は几帳面でまじめ。一方反対側の魚屋【伊藤魚店】のご主人は楽天家で気さく。これらの特徴をうまくつかんで住民はうまく買い物をしているのである。
したがって鮮度が落ち始めている魚を安く買うには負けてくれる割合が大きい伊藤魚店にして、必要な分量の魚を購入する時には単価ごとに計算している魚辰といった感じであった。
もちろんそれ以外にも癖があるということは付近の住民はよく知っている。
けどこの様な特徴や癖は新たに引っ越してきた客には分からないことが多いのである。

神奈川から東京に引っ越してきた浜田さん一家。この家のご主人の趣味は釣りである。海釣り専門で神奈川にいた時は伊豆の海で釣行を行っていたものであった。
東京に引っ越してきてからは比較的東京から近い千葉の房総に足を運ぶようになった。
今日も浜田さんは朝早くから釣り道具を持って電車で千葉に向かった。
昭和30年代の後半になると人々も余裕が出始めてきて、ちょっとしたレジャーにも関心がでるようになってきた。けど釣りはまだまだ大衆的ではなく、釣り上手でもない限り趣味としてする人はあまりなく、せいぜい釣堀程度が主流であった。
朝7時51分。浜田さんは千葉の大原駅に到着した。そこから徒歩で10分くらい歩くと堤防があり太平洋が広がってくる。
都心方比較的近い釣りスポットであり釣具店もある。
浜田さんは近所の釣具店から情報を聞き、ここを知ったのである。初めて行ったときはたまたまタイがたくさんつれたので浜田さんは味をしめたのか何度もここを訪れている。

けれど今日に限って一向に魚がつれない。その時の天気とか水温とかさまざまな条件があるので釣れ具合も変動があるのは当然である。
けれど浜田さんは出がけざまに「今日もタイをたくさん釣ってくるから」と大それたことを言った以上何もつらないで帰るのは気が引ける。
と思いながら竿を振ってもそういうときに限ってだめなものはだめである。
日も暮れ始めたので仕方なく堤防を後にした。今日は何と無く帰り道の足が重い。
東京に着いたのは午後6時を回っていた。時間的に商店街の混雑が一段楽した頃合だ。
浜田さんは「どうせ分からないだろう」と思い駅に近いほうの魚屋でタイを2尾購入しようとした。
しかし交通費しか持ってこず、そこまでのことは想定してなかった。まごまごしていると店主は、
「付けでいいですよ。」との事。浜田さんはこの言葉にすっかり気をよくなり早速タイを箱に入れて家に帰った。
もちろん家族は大原の海で釣ったのだと思い込んで、早速その日の夕飯にあがったのであった。

それから数日後、新聞の折り込みチラシで魚辰で魚の安売りがあるということなので普段から伊藤魚店を贔屓にしていた浜田さんも久しぶりに魚辰に買いに行った。
買い物を済ましたあと店主が「奥さん、あとこの前の付けの分も今払ってもらっていいですか?」と尋ねた。
「あら、そうでしたか。いつのことでしたでしょうか?」と聞くと数日前のこと。
見に覚えがないと答えると店主はすかさず「その日の夕方旦那さんがタイを購入されましたが・・・」と答えた。
それを聞いて(あのタイは釣ったんじゃないんだ!)ということを初めて知った。浜田さんの妻は代金を払い店を後にした。
帰りながら(あの店のご主人はうちの旦那だとよく分かったな!)と感心してしまった。
魚辰の店主は几帳面なので付けを誰がいつしたかを事細かくノートに記しているという。そして名前とその家の婦人の顔くらいは大方把握しているのであった。
「浜田」の苗字はこのあたりでは一軒しかなく、すぐに分かったとの事。もちろんそのことまでは引っ越してすぐの浜田さん一家には分からないことであった。
その夜の浜田さんはというと、魚が釣れなくて買ってごまかした事に対しては「黙認」という寛大な処理が行われたが、来月分の小遣いからちゃっかり購入したタイの分が引かれていた。
もちろんそれ以来、浜田さんは海釣りに行っても魚が釣れなくてもごまかさずそのまま帰ることにした。また妻も給料前などでは付けが利く魚辰で買い物をするようになった。

現在でも魚屋は一部では残っているがスーパーなどで購入する人が多くなりかつての賑わいは無くなってしまった。
商店街の衰退とともに、かつてのように元気のある声が絶えない店が少なくなったのは寂しい気がする。

【完】



参考資料:交通公社の全国時刻表 昭和38年10月号(日本交通公社)
参考サイト:Yahoo掲示板


☆この作品は、電網町一丁目商店街のK.Sさんからの寄贈作品です。
K.Sさんは『昭和30年代の商店街のいろいろな店を舞台にした小説を相互リンク先に贈る』という企画を実施中です。こちら(寄贈小説商店街)。昭和30年代に興味のある方はぜひ訪れてみてください。
☆この作品の著作権はK.Sさんにあります。転載はご遠慮ください。


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