スケーターの誕生

スケートは,なぜおもしろいのでしょう?

 この文章は,1997年に作成しました。

「冬のリンクの風物」

冬になると,スケートリンクには,初心者の姿が多く見うけられます。初心者にとってはスケートは難しい遊びです。なにしろ足元が定まらないのですから,すぐに転んでしまいます。

でも,転んだまま起き上がることを,やめてしまう人,はったままリンクサイドまで帰る人は,あまりいません。

「二本の足で滑ってこそ」

そり,が置いてあるリンクもあります。
でもスケートリンクにおける,そり遊びはあくまでオプションであって,スケート場では自分の足でスケートをすることが,主たる目的のようです。

やはり人間ですから(二足歩行をする霊長類ですから),両足で立って滑走することに,重要な意味があるのですね。


「初心者の姿は」

転んでは立ち上がり,転んでは立ち上がりしている,初心者の姿を見ていると,私には赤ちゃんの姿を見ているような連想がわきおこってきます。

「赤ちゃんのようにも見える」

赤ちゃんも,最初は足元が定まりません。四つんばいで移動します。でも時が来ると,必ず立ち始めます。壁を頼りに,ふらふらしながら,何度も何度も転びながら,でもすばらしい根性で挑戦してきます。 

「それが本能」

霊長類ですから,立ち上がろうという本能があるのですね。赤ちゃんは,誰の命令でもなく,両足で歩こうと精一杯の努力をします。本能です。

「初心者と赤ちゃんのつながり」

スケート場の初心者も,精一杯の努力をします。本能です。
とすると,スケートを始めることは一種の誕生である,とは言えないでしょうか?

「発達の開始」

氷上の新生児は,手摺につかまって,そろそろと歩くことから始めます。ちゃんと立てるようになり,少しづつエッジが滑り出します。前かがみの姿勢がだんだん伸びてきます。成長が始まったのです。

「スクールに行ったりする」

氷上の霊長類は,知的好奇心に満ちています。ちゃんと習おう,スケート教室に通おう,と決意した人は,更なる成長,学習を始めるのです。

「氷上の再生」

象徴的な表現をさせていただくとしたら,スケートが好きになりスケートを習うということは「第二の生を生きる」ことである,と言えるのではないでしょうか。

1997年の社会現象・たまごっち」

1997年,最大のヒット商品は,”たまごっち”でした。これは「育てゲーム」と呼ばれています。残念ながら私は,たまごっちを購入することはできなかったのですが,卵から生まれた電子ペットに,餌をあげたり,遊んでやったり,糞の世話,病気のケアなどをして,どんなふうに成長するのかを見て楽しむゲームであると聞いています。同じ商品でも,育て方によって違うペットになるのがおもしろいそうです。

「スケートはたまごっち?」

スケートが大好きで,スケートを習っている方は,もっとおもしろいゲームがあることを知っています。自らの肉体を使って行なう,スケート・レッスンという名前の「自分育てゲーム」です。

「スケート教室のゲーム性」

とりあえず,限られた運動神経,定められた身体条件の「自分」から始めます。

スケジュールをやりくりして,リンクに通います。レッスン代,道具代,衣装代……,お金もそれなりにかかります。どこのリンクに行くか,どの教室で習うかの選択も重要です。


「ゲームのやり方」

おもしろがって,技術が伴わないのに無理やりジャンプをやらせると,けがをしてしまうかも知れません。その結果スケートを続けることができなくなったら,たまごっちなら,お墓が表示される状況でしょう。

うまく育てて,能力を発揮できたら,試合なんてものに出られるようになるかも知れません。最初の出場は演技するだけで,順位は何位でも満足するでしょう。最高のパフォーマンスを発揮できたら,もしかしたら,ものすごいのに育つかも……。

「自分育てゲーム」

私の周りには,大のおとなになってから,スケートに魅せられずっと続けている,という人がたくさんいます。

おとなが始めるスケートの楽しさ,それは案外「第二の人生を生きる」第二の可能性を試してみる「自分育てゲーム」のおもしろさではないでしょうか?

写真・著作・Terry MONMA
写真と内容は関係ありません。


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