私は横浜市民なのですが,横浜市の市立図書館の書庫には,かなり古いスケートの教則本があります。以前に一度,お願いして閲覧させていただいたことがありました。

その本とは,

  1. 「フィギュア スケーティング」 ガスターブ・ルッシィ著,河久保子朗訳 講談社・1953年

  2. 「最新スケーティング」  木末弘 改造社・1936年

です。


「フィギュア スケーティング」 ガスターブ・ルッシィ著,河久保子朗訳 講談社・1953年

1の「フィギュア スケーティング」の特徴は,コンパルソリーを非常に詳しく書いている点です。

昔は,コンパルソリーが今よりもずっと重要視されていたことの証拠といえましょう。

ジャンプの説明のページを見ると,その時代のジャンプがどのようなものであったかが,しのばれます。

サルコウ・ジャンプの説明として,「現今では,この跳躍の一回転のものは殆ど行われないが,高級の跳躍の場合に,二回転のサルチョウとして(行われる)」とあります。

つまり,当時の世界選手権級の選手は,ダブル・サルコウを跳んでいたということのようです。

フリップ・ジャンプの説明では,トゥの歯並びが,従来のブレードのカーブに沿った丸いものより,直線状の歯並びのブレード(ルッシーの歯並びとあります)が,フリップを飛ぶにはよいと,書いています。
現在では,スケートをするときどの道具がいいのかということを,うるさく言うのは,ブレードメーカーと初心者くらいなものですが,当時は道具と技術の関係について,今よりも多くの関心があったのかもしれません。


「最新スケーティング」  木末弘 改造社・1936年

2の「最新スケーティング」  は,戦前の本ですから,かなり内容も古く,読んで興味深いものです。

本の緒言を見ると,1936年における定義では,スケートとは,フィギュア・スケーティングとスピード・スケーティングの二つであり,アイス・ホッケーは最近流行し始めているものである,とあります。
現在でも,スケート連盟はフィギュアとスピードを担当し,ホッケーはホッケー連盟と,別組織になっていますが,それは始まりからそうだったようです。

狭義のスケートを,フィギュアとスピードに限定している一方で,この本では,ボブスレーとカーリングを「欧羅巴に於いて目下台頭」だとして,これらを大きな意味でのスケートの一種とも,とらえているようです。


フィギュアの説明としては,1936年当時のジャンプには,

  • スリー・ジャンプ

  • ロッカー・ジャンプ

  • スプレッド・イーグル・ジャンプ

  • 一回転ジャンプ(右アウトバック踏み切り,左バックイン降り)

  • よく分からない変なジャンプ(右フォアアウト踏み切り,ゼロ回転で左フォアアウト降り,すぐにスリーターンして,右バックアウト)

  • アクセル・パウゼン・ジャンプ

の6種類のジャンプが載っています。

今わかるのは,アクセルとスリージャンプぐらいですが,逆にいうと,アクセルとスリーはその発生がかなり古いようです。

当時は「着地はバックアウト」と決まっていたわけでもなく,今では絶滅してしまったいろいろな変形ジャンプが,跳ばれていたようです。


スピンの説明では,シット・スピンをジャクソン・へインズ・スピンという名前で呼んでいます。


興味を引く記載として,「スペシャル・フィギュア」という,現在はない種目が存在していたことが書かれています。

「このフィギュアは,姿勢や動作は問題でなくて,ただ氷上に描かれる圖型のみを尊重するフィギュアであって,(略)ピークと称するフィギュアを用ひて,綺麗な,然も難しい圖型を描くのである」とあります。

フィギュアスケートという言葉の由来は,氷の上に残るトレース跡の図(フィギュア)から来ていることは,皆様もご存知と思いますが,かつて,その氷上の図形そのものに注目して,その図形の巧拙,出来不出来を競い合った種目が有ったということは,驚きです。

スペシャル・フィギュアの例を示す図をみると,一筆書きのような感じの賞状の枠のような複雑な線画を描くものです。途中で蹴りなおしをしたのかどうかわかりませんが,かなり難しそうです。

個人が滑るフィギュアスケートは,スクール・フィギュア(コンパルのこと),フリー・フィギュア,スペシャル・フィギュアの,三つであると定義しています。



「個人が滑る」としたのは,二人で滑る「ペア」競技があったからです。

しかし,そのペアもかなり変わっていて,リンクの別々のところに位置して,同時に対称的に図形を描くというのです。

これは,二人が完全に対称的位置にいて,一致して同じ図形を描くものだそうです。こんなのがあったのですね。



現在,我々が購入できるスケートの教則本でも,その導入はスケートの歴史から始まっています。

1936年の本も今と同じく,スケートの歴史から始まるのですが,違うのは,スケートを発明したのは神である,と断定的に記載されていることです。

・・・・と言われる,とか,・・・とされている,なんて曖昧な表記ではありません。

その頃の感覚では,人間の前には,神代が歴然と存在していたし,スケートは,神によって創り出される以外はありえない,神秘的なものだったのですね。

神様たちはどんなスケーティングをしていたのかというと,氷の上に恋人の名前を,トレースで書いたのだそうです。

やはり,「氷上に何かを書くこと」こそが,「フィギュアスケーティングの神髄」そのものだったのですね。



スケートのジャッジが,どうして6点満点なのか,についての説明が書いてありました。

スケートの演技の評価は,もともと優,良,可の3つだったが,さらに細かく評価するため,その半分の値を設定し,満点が6になった,その後,さらに細かく評価する必要が出てきたため,その6点満点をさらに10等分して,6.0満点の評価になったとしています。

この説明が正しいのかどうかは不明です(サークルが3回行って,左右両足だから6点満点なのだ,という説も聞きます)。

この筆者は,「フリー・フィギュア」の訳語を「論文図形」としていたり,全体的にフィギュア・スケートを学問の一種であるかのように取り扱っており,また学術用語を流用した用語の日本語訳や,説明が多いので,「評価は優良可の3つが由来である」という説明も,それらしい理由付けかなと思われます。

評価に関する説明としては,試合のとき一人の演技が終わるごとに採点をする方式は,その頃から始まったみたいで,その以前は,全員の演技が終了してから,まとめて全員の点を出していたようです。

以前の判定方式は明瞭さに欠ける方式であった,と書いてあります。

 

今でも,バッジテストの時は,全員の課題が終わったあとでまとめて結果発表が行われますが,これなどは初期のジャッジの形式を残しているといえるのかもしれません。




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