■バスで移動

もともとダマスカス旧市街とパルミラ遺跡が見たいという目的でシリアにやってきたとは言え、入国した当初は、パルミラ遺跡へ行くことを躊躇していた。ガイドブックを読む限りでは、個人で移動するのが面倒なように思えたからだ。

シリアの主な移動手段はバスだ。ガイドブックによると、バスの座席は全席指定で、前日までに予約しなきゃいけないらしい。しかもチケットセンターは遠くて、歩いていける距離ではない。わざわざバスに乗るために、前日にタクシーに乗ってあちこち移動しなきゃいけないなんてアホらしい。だったらパルミラなんて行かなくていいや、と思うようになっていたのだ。

ところが、そういう話を現地の人にしてみたら、「そんな必要はない、座席が空いていれば当日にチケットが買える」とのこと。「……ふーん、それなら、どこか別の場所に移動してみようかなぁ」ということで、パルミラに向かうことを決断したわけである。(逆に、前日に予約する人なんかあまりいないようだ)

出発当日、まずはタクシーで、ガラージュ・ハラスターというバスターミナルへ向かう。このターミナルは、パルミラ行きを含む各地方行きのバスが発着する。ターミナルには、バスがたくさん停車しており、チケット売り場のオフィスもずらっと並んでいる。早朝とは言えど、乗客がワンサカと集まっていた。

一体どこでチケットを買えばよいのか分からなくなりそうだが、でもそこらへんは心配いらないようだ。というのも、ここを起点にして、各観光地へ移動する外国人は多い。だから、外国人が迷うことなくターミナルを利用できるよう、呼び込みの人間がたくさんいるのだ。私がこのターミナルへやってきたときも、すぐに一人の男が近づき、「どこへ行きたい?」と話しかけてきた。私が「パルミラ」と答えると、そのままパルミラ行きバスのチケットセンターに連れて行ってくれた。そして席がガラガラだそうで、すぐにチケットをゲットできた。おお、なんてスムーズ。

時間になったのでバスに乗車して出発。結局このバスの乗客は10人ほどだった。なるほど、よく考えたらパルミラなんて外国人観光客しか行かないようなところだから、これだけガラガラなのも納得できる。

ちなみにバスの中では、乗客に対してコップ1杯の飲み水がもらえる。バス会社によっては、おしぼりや、キャンディ・チョコレートなどが振る舞われるところもあるようだ。日本ではあまり見られないサービスだったので興味深かった。

3時間後、パルミラに到着。バスを降りてみると、そこに広がる光景は、これまでのダマスカスのそれとはガラリと変わっていた。砂漠の街だ。どこまでも地表むき出しの黄土色の土地が広がっている。

さっそく私は停留所から街中へ向かった。観光地だけあって、安宿、レストラン、ネットカフェなど、観光客向けの施設が充実している。私は適当にホテルを選び、部屋を確保した後はすぐにパルミラの観光へ出かけることにした。
■パルミラ遺跡

パルミラの歴史は古い。この街はアラビア半島、メソポタミア、地中海を結ぶ交易の中継点として、紀元前の時代から栄えていた。現在パルミラに残っている遺跡は、2世紀ごろ、この土地がローマ帝国の属州になった頃に作られたものだそうだ。ヨルダンのペトラ、レバノンのバールベックと並び、ローマ時代の中東3大遺跡の1つとして有名である。この遺跡は1980年、ユネスコの世界遺産に登録された。

パルミラの遺跡は本当に広い。まずどこから観光していいのか分からないくらいの規模だ。とりあえず、ここは適当に、気の向くままに、ぶらぶらと歩いてみた。

まずはベル神殿から。ベルとは、当時パルミラの人々によって信じられていた神様のひとつで、最高の神を表す。レバノンにあるバールベック遺跡のバールと同じ神を指すらしい。最高の神が祀られた神殿だからだろうか、パルミラの中でも最も大きな建造物だ。礼拝場所の本殿、本殿を囲む柱廊、かつて生贄の儀式が行われていたと言われる祭壇などから成り立つ。


柱廊と神殿の外壁

ベル神殿本殿
本殿には2つの祭壇がある。ベル神とともに太陽の神と月の神を祀っていたらしい。祭壇の天井部分の精巧なレリーフは思わず見とれてしまう。ちなみにこの神殿は、発掘作業が本格的に行われた1920年代まで、住居があり、実際に人が住んでいたようだ。祭壇の天井が少し黒くなっているのは、住人達が勝手にここで煮炊きをしていたためだと言われている。
記念門。道路を挟んでベル神殿の対面にある。古代パルミラの街に入るためのゲートだ。この門の曲線美はすばらしく、当時の建築技術の高さに圧倒される。

門の付近にはラクダを連れた客引きがたくさんいた。ラクダに乗りながら遺跡観光…ってなことをやっているようだ。ラクダに乗るのも悪くないが、ボられそうなので早々にあきらめた。

記念門を抜けると、両端に高い柱が立てられた道路、いわゆる列柱道路が姿を表す。この道路、およそ2キロに渡って続いており、まさにパルミラの栄華の象徴を表した建造物だと言える。現在は当時の半分以下の柱しか残っていないが、現存する柱の列だけでも威圧感がある。
列柱道路途中の脇には、ローマ劇場がある。ローマ帝国時代の遺跡では必ず目にする建造物だそうだが、私は初めての経験なので、新鮮な気持ちで見ることができた。ただ、この劇場、かなり大がかりな修復を行っているようで、新しい石を使っている箇所が多く見られた。
四面門。ローマ帝国属州の街では、交差点の四隅に柱を建てるという特徴があるそうだ。このパルミラでも見ることができた。他の中東の遺跡を訪問したことのある旅行者いわく、「四面門は他の遺跡でも見ることができるが、パルミラの四面門は規模が全然違う」のだそうだ。なるほど、となると、最初からこのデカイ四面門を見てしまった私は、今後ほかの中東の遺跡に行ったとしても、そんなに感動しなくなっちゃうのだろうか。でも確かに、これはデカイ。

この門も、1960年代に修復されたものらしい。記念門から続く道と交差する道は、アゴラと呼ばれる市場跡や、バールシャミン神殿へと続く道である。

バールシャミン神殿。四面門の東側に位置する、バールシャミン神(ゼウス)を祀った建造物である。観光ホテルの近くにあるので、夜になるとライトアップされるようだ。他の建造物よりも保存状態がよい。
葬祭殿。記念門から続く列柱道路をずっと歩いていった突き当たりに見える建造物だ。その名のとおり、葬儀を行う場所である。本殿内部には、遺体を安置するためのものと思われる台があった。
ディオクレティアヌス城砦。パルミラ遺跡群の最も端の方に位置する城砦。ローマ軍の軍事基地として使用されていた。さすがにここまで端っこに来ると、観光名所と言えども、ひと気が少なくなる。私はここに夕方ごろ訪れたのだが、かなり静かな場所で、なおかつ雰囲気も暗かったので、ちょっと怖かった。
■オアシス
まだ日も高いときに、パルミラ遺跡を離れて、オアシスに行ってみた。

そこはナツメヤシやオリーブがたくさん生い茂った場所だった。イチジク、ザクロなども栽培しており、取れた実は、パルミラや周辺の街に出荷するそうだ。シーズンオフの時期に出向いたので、まだ全然実が成ってなかったのが残念。

冬の時期に、地中海からの水蒸気がレバノン山脈に雨を降らせる。それが地下水となってパルミラで湧出し、オアシスを形成しているそうだ。砂漠のど真ん中になぜこのような緑ができるのか、不思議に思っていたのだが…なるほど、この緑は地中海から来ているのか。

■アラブ城

パルミラの街の見どころはパルミラ遺跡だけではない。遺跡よりさらに西にある岩山の頂上には、アラブ城と呼ばれるお城がそびえたっている。17世紀ごろ、このパルミラの街一帯を監視するために作られたと言われている。こんな急勾配な場所で、当時の建築作業はさぞ大変だったろう。

ここは城自体を楽しむというよりも、お城からの眺望を楽しむための場所と言えるだろう。遺跡とパルミラの街が一望できる。おお、これは絶景! もしかすると日没の時間帯に来た方がよかったかもしれないな。こうやって眺めてみると、なるほど、パルミラはやはり砂漠の中の街だということが改めて分かる。街の向こうはまた延々と砂漠が広がっている。

アラブ城から見たパルミラの街
ところで、このアラブ城へは、タクシーでやってきた。本当ならば、観光している間は、タクシーを待たせておいて、帰りもまたそのタクシーに乗る…というのが望ましいのだが、しかしそれだと金がかかる。

現地の人から聞いた話によると、アラブ城から歩いてパルミラ遺跡まで下山できる道があるとのこと。じゃあその道を使えばいいやと思ってタクシーを帰すことにした。

ところが、この道ってのが全然道らしくなくて、もうすごく急な勾配で、ゆっくり歩いていかないと危うく転げ落ちそうな山道だった。アラブ城から眺めると、割とパルミラまでは近いように感じたんだけど、実際歩いてみるとやけに遠かった。しかもこのときは昼の1時という、砂漠地帯でいちばん暑い時間帯。水も持ち歩いてなかったので、危うく脱水症状になるところだった。むやみに砂漠地帯をウォーキングするもんじゃあないなと、後でしきりに反省した。

アラブ城からの道中、ポツンと咲いている花を見つけた。土漠しかない場所にも関わらず、がんばって咲く花一輪。何となく気になったので、写真に収めた。

生物というものは、どんな環境でもたくましく生きているものである。

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