[長崎県]

眼鏡橋
久しぶりの遠出、序盤はあいにく不安定な天候に見舞われた。まあ梅雨時であったから仕方ない。

以前から興味のあった長崎原爆資料館に出向く。私は広島に行ったことがないので、原爆関連の施設は今回の長崎市が初めてだ。遺品だけではなく、原爆が投下されるまでに至った経緯、世界の核兵器開発の現状なども詳しく説明されていて分かりやすい展示である。高熱で鉄が溶けたために頭蓋骨が付着してしまった鉄兜は、原爆の惨状を象徴する展示の一つと言えよう。おどろおどろしさを感じてしまうが、目を逸らしてはいけない事実である。


原爆資料館の館内(手前は原子爆弾の模型)

頭蓋骨が付着した鉄兜
原爆資料館の隣には、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館がある。追悼空間の正面には原爆死没者名簿が安置されており、その前の祭壇には千羽鶴が手向けられている。まるで時が止まったかのような静寂に包まれたその空間は、祈る者にいい意味での緊張感をもたらしてくれる。平和への思いをより一層を募らせてくれそうである。
平和記念公園からベイエリアへ移るころには雨も止んだので、出島の波止場を歩いてみた。海からの潮風が心地いい。オープンテラス付きのカフェでは、海を眺めながら昼間からお酒を嗜んでいる観光客がいた。私も釣られて昼ビールしたいところであるが……うーん、車で来ていることを後悔した。

出島の近くにある長崎新地中華街は、横浜や神戸に並ぶ日本三大中華街のひとつである。他の地域に比べればかなりこじんまりとしているが、街中の黄色や赤の派手な装飾、食欲をそそる点心のイイ匂いなど、歩けばチャイナタウンならではの雰囲気は十分堪能できる。せっかくなのでここではちゃんぽんを頂いた。いまや全国区レベルの料理であるが、やはり名物は本場で頂きたい。

お天道様が顔を出し始めた頃、近くの広場では、将棋を指している中国人の光景が見られた。聞けば、生まれも育ちも長崎だという。新地中華街の歴史は江戸時代に遡り、出島のオランダ人と同様、中国人についても居留地が設けられたことに発祥するらしい。意外と歴史が古いことに驚いた。

 
今回は限られたスポットしか巡っていないが、異国情緒を味わえたり、戦争と平和について考えさせられたり、いろいろなジャンルの観光ができて満足のいく旅だった。それらが一度に経験できるこの長崎市という場所は、奇特であり、かつ貴重である。

…ってなことを、旅の終盤に、試食のカステラを頬張りながらそう思った。もちろんお土産としても購入。王道の名物は、やはり裏切らない。

【2012年6月記録】

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