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  ジャズについて

 2015年8月16日、すみだジャズフェスティバルへいった。
 つれがいこう、とさそった。正直、わたくしはのっていなかった。
 会場が広すぎる。
 つれは地理にうとい。わたくしが先導する役目をおう。

 錦糸町だ。
 改札をでたら、かすかに音楽がきこえた。
 アルカイースト地下鉄出口。
 Holiday Jazz。
 ボッサノヴァだ。
 音を聴いた瞬間、たんなるアマチュアの音楽祭ではない、とさとる。
 勝負だ。
 わたくしのテンションはあがる。勝負というのは、無名の、まだ表舞台に出ていない芸術家を、わたくしなりに、いいか、つたないか判断する。その行為をいうにすぎない。
 手はぬかない。
 それがまだ世に出ぬ人々への礼儀とこころえるゆえ。

 で、アルカイーストJR北口前へわけもなくいそいでしまった。
 ウクレレデュオ。
 最後から2曲目のかれらのオリジナルは印象的であった。
 たとえば、TVドラマで主題曲になってもいいほどの抒情的な作品であった。
 次の演奏まで20分。
 てもちぶさたで、さきを急いだ。

 トリフォニーホールは土曜日のみで、日曜日はつうじょうのコンサート形式になっていた。無念。
 階下へいくと、パワフルな演奏だ。
 みんすいデキシーバンド。
 演奏は終盤。
 終演後、プレーヤーがオウディエンスに、ありがとうございました、と握手してまわる。
 音楽は、演じる側と聴く側、それぞれが一体化してこその力なのだ。
 その、すばらしい瞬間に、わたくしのこころはむせびなく。

 さぁ、つぎだ。
 2階へもどる。
 アルカセントラル2F「RONDO」広場(赤いオブジェ)へだ。 
 すると、きいたことのあるフレーズが聴こえた。
 リハーサルであった。

 つれが、
「まえ見たことがある。」といった。
 山崎千裕(ちひろ)+ROUTE14band。
 丸の内ビルジングで、東京芸術大学のコンボと共演していたのを、たまたまみていた。
 窮屈そうなヒールをはいて、山崎千裕さんはトランペットをならしていた。
 ジャズにヒールは必要ない?
 それはまちがいだ。
 山崎千裕さんには、そもヒールの有無は関係ない。

 アルカセントラル2F「RONDO」広場(赤いオブジェ)での演奏は5年目といった。
 ここが好き、という。
 2曲目であったろうか、
 にんじん。
を演奏すると、最前列のおとうさんといっしょの女の子が、ちいさく踊りだした。
 テンポなぞどうでもいい。
 たのしいから、踊る。だから、たのしい。
 わたくしは、その子を、ずうっと見ていた。ほほえましかった。

 その後、メイン会場へいって、くつろいでいた。
 Dream Session for Sumida 2015
 ウェイン・ショーターの Speak No Evil をスカ風にアレンジ。
 かっこよかった。
 このフェスティバルの最高潮ではなかったろうか。

 いよいよおわりとなったとき、ハイレゾ4の登場であった。
 が、演奏がはじまって、わたくしは、
つまらない、
 とその場から去った。
 フリージャズなのだろう。それは音楽ではない、とわたくしはおもっている。ちがうステージをさがした。
 ハイレゾ4。
 鈴木さん、峰さんも、名前はしっている。
 でもあの場で、フリージャズはないだろう。
 むしろ、アニマルマーケットという名曲で、聴いたことのない観客をのせるべきであった。
 のせたあとにフリージャズという退屈はしのげるかもしれない。
 わたくしは耐えられないけれど。

 往年の名のある人たちが、ピンぼけであるのにたいして、若い人たちが、挑戦していた。そんな印象である。
 ジャズとはいえ、ブルーノートが先駆であったのはまちがいない。
 そのブルーノートでは、若いミュジシャンにはオリジナルをつくらせた。
 楽器を弾かぬおとなたちは、20代そこそこの若者たちに、とにかくオリジナルな楽曲をこさえさせた。
 それがジャズをつくったのではあるまいか。
 それこそが、おとなの分際なのではあるまいか。
 
 すみだジャズフェスティバル。
 ヴェテランをただヴェテランゆえに重用するのは考えなおすべきである。
 あたらしい楽曲に新鮮はあるか。なければ、へたでも新鮮をこそえらぶべきである。

 ちなみに、昨今ジャズのつまらないところは、
 ソロの演奏が冗長であること、につきる。
 
 山崎千裕+ROUTE14bandの演奏は、新曲を果敢にチャレンジする。
 冗長にならず、さまざまな様式をとりいれ、そこにかれらなりの味をくわえている。
 ニッポンだけがマーケットにあらず。
 タフなテクニックを駆使。
 今後どんなミュジシャンと出会い、どんな化学変化をみせてくれるのか、たのしみです。
 
♪海の野菜、♪海の野菜、♪こんぶをおいしくめしあがれ、♪ふじっ子煮。
このCMがながれると言葉をげさないはずのちびっこたちがTVにクギづけになるという。音符の配列がかれらの脳髄を刺激する。それはおとなにだってあてはまるはず。マーラー「さすらう若者の歌」を髣髴とさせる。
どうしたんだろう。
好きな音楽を聴くと涙もろくなる。

それでもビリー・ホリデーはきっとしあわせだったのだろうなぁ。
悲しいけれど、どこか懐かしく、それでいてあたたかい。
そうとうな苦労をへてきたのだろうけれど。
ああ、おれも苦労したのだ、と。
いいや、ほんとうは、みんな苦労するためにのみこの世に生を受けたのだ。

苦労はしたか。
するさ、するだろう。
生きていくかぎり。
へこたれるからビリー・ホリデーを聴く。
こころに音楽があれば、まだましか。
嗚呼、But Beautiful のなんとせつないことか。
トランペットのソロの、やるせなさよ。
Billie Holiday
But Beautiful
 
 屈託すると音楽すら聴きたくなくなる。
 そうならないために、たとえばNHKのラジオ2をつけっぱなしにしておいたりする。
 雨の日。
 鬱陶しいなどとはいわず、むせぶのもおつなものと考えてみる。
 ソロ・モンクをかけながら。
 ダイナからきくのもいい。けれど、いきなりルビー・マイ・ディアからはいる。
 ああ、これ、コルトレーンとの演奏もいいんだよなぁ。なんておもったりしながら。
 次の曲。
 なんていうんだろう。
 こころにリズムがよみがえる。
 アイム・コンフェッシン。
 そうなれば、もうだいじょうぶ。
 きょうもなんとかやっていけそうだ。
 エヴリシング・ハプンズ・トゥ・ミーがかかるころにはもう別のことを考えていたりする。
 屈託しそうになるまえにセロニアス・モンク、ソロ・モンク。
 演奏がおわる。
 こんどは最初から。
Ruby, My Dear
Solo Monk
Thelonious Monk
 
 チェット・ベーカーのトランペットにさわったことがある。つかいふるされたそのトランペットには小さなキズがたくさんあった。
 チェット・ベーカー・シングズ。
 ずうっとむかし、ところは仙台の、歯科医の学校にかよっていた友人がおしえてくれた。
 ぼくはすっかり魅せられ、手書きで歌詞を写したっけ。
 I get along without you very well, of cours, I do.
 この of course, I do のところがいい。
 The Last Great Concert を聴いたとき、涙はとまらなかった。
I get along without you very well
Chet Baker
The Last Great Concert Vol.1
 
 NHKでね、盆栽の番組があった。
 たまたま見ていたんだ。
 するとBGMにビル・エヴァンスのマイ・フーリッシュ・ハートが流れた。
 いい演奏だなぁ。
 で、CDだして聴いていると、なけてきちゃう。
 どうしてか訳はきかないでおくれ。
 ばかみたいだろ。
My Foolish Heart
Bill Evans Trio
Waltz for Debby
Riverside
 
 ジャズベスト30を、とたのまれた。
 ジャズすべてが好きじゃないのでお断りしたんだけれど。
 一時期の、それもハードバップと呼ばれるころのものしか興味がないから。
 それでもいいからっていうことなので。
 で、いま聴いているのはホレス・シルバーの Yeah! 。ホレス・スコープから。
 はじめはタビー・ヘイズのだったんだけれども、オリジナルはホレス・シルバーだったんだなぁ。
 これ聴くと、なんか、元気がでている。
 もやもやしていても、結局、足か指でリズムをとっている。
 悩むもよし、悩まぬもよし。
 生きてりゃいいさ。
 そんな感じ。
 すっげぇ好き。 
The Horace Silver Quintet
Horace-Scope
Yeah!
Blue Note
      
 寒い夜がつづく。みんな元気だろうか。
「夜の停車駅」がなつかしい。
 蒸気機関車がうごきだす。そこにラフマニノフのヴォカリーズがフェードイン。
 女性の声だ。
 夜の停車駅。
 江守徹さんのあたたかな声ではじまった。
 嗚、なんて寒く、静かな夜なのだろう。
NHK・FM 夜の停車駅
ナレーター
江守徹
Rachmaninoff Vocalise, Op. 34, No. 14
Stokowski
Anna Moffo
 
 ブローウェルを聴く。
 かれをしったのは「カタルーニャ人の肖像」を、NHK・FMで。
 もう20年もまえか。
 ブローウェルの作品集はNAXOS、第1集から第3集みつけた。けれど、そこには収録はない。けれど、子守歌、11月のある日、など、愛らしい作品がある。
NAXOS
Brouwer
 
 たとえばジョン・コルトレーンのバラードが素敵っていうじゃない。
 たしかなんだけれど、それだって数曲しかないんだよな。
 何百何千とあるんじゃない。あってせいぜい20曲くらいなものだろう。それだって録音で残っているものにかぎられる。
 結局、3曲のバラードがコルトレーンの印象を形作っているんだろうな。
 Say it, I want to talk about you, Naima.
 もちろんほかにもいいのはある。
 ひとの印象ってのは、1曲あれば覚えてくれる。
 3曲あればかれはもはや天才の域に達している。
 だってビートルズの代表曲だってすくなくとも3曲は選びたいもんな。
John Coltrane
Ballad
 ジャズ好きでね、ハードバップが好きでさ。
 じぶんでも曲作ったり。でだしのタイトルのところだけだったりするんだけれど、150曲くらいある。携帯録音機に収めてる。
 で、Nino Ferrer ニノ・フェレ-ル、フランス人なんだけれど、かれの曲を偶々NHKで聴いたんだ。驚いた。まったく。
 ファンキーそのもの。ブルージーで、のりのりだ。
 まだ録音は買ってないんだけれど、マイブームになりそうな予感がする。
 薦めるよ。
Nino Ferrer
Jazz and Blue

s
 モーニンをたまたまMXテレビのヒーリングタイムできいた。
 ベニー・ゴルソン、アート・ブレーキーが20代後半か30代。リー・モーガンもボビー・ティモンズも20代の前半の演奏である。とくにボビー・ティモンズのなんともいえないフレーズはその後のかれの、まさにエッセンスをあますところなく聴かせてくれる。
 それが名曲の雰囲気なのだろう。
 けっして色褪せない。
 まったく素晴しいのひとことに尽きる。
Moanin'
Art Blakey and The Jazz Messengers
Blue Note
 ハンク・モブレーがすきなのは、たとえば、ブラックホークでのマイルス・デイヴィス・クインテットのラウンド・ミッドナイト、サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カムでの同クインテットのオールド・フォークス、ドラッド・ドッグ、アイ・ソウト・アバウト・ユウの演奏が心地よくって、何度も何度も聴いていて、もうフレーズを諳んじられるほど聴いていて、そこには強い自己主張は感じないのだけれど、その歌心はなんとも魅力的で、こころの芯まで伝わってくるような、そんな気がする。
 もちろん、かれの全作品ぜんぶがいいとはおもわない。
 いい小説だって、こころに残る言葉がなけりゃそれはいい小説にはなりえない。
 こころに残るたった一句があるかないか。
 けれど、ハンク・モブレーにはすくなくとも4曲もある。
 いい出会いに感謝っていうところなんだろうな。
 で、マイルス・デイヴィスの一枚を選ぶとすれば、ぜひ、このタイトルがいい。
 何度も何度も聴きたくなるよ、きっと。
 ほんとうさ。
I thought about you
Miles Davis
Someday My Prince Will Come
CBS
 ビートルズのホワイトアルバムを聴いて、ブラックバードなんかをコピーする。
 たとえビートルズマニアではなくても、
「ああ、あれね。」
 といって、さわりを弾いてみせてくれる人の多いのも、このブラックバードだ。
 作者自身も自信作なのだろう、ステージでもよく弾いて歌う。
 ホワイトアルバムをビートルズの意欲作というが、これはいってみれば、支離滅裂。
 それでも魅力は失せない。
 最後の曲、グッドナイトを聴くたびに、どんちゃん騒ぎの、パーティーの終幕のような、どこか寂しい気持ちになる。
 リンゴ・スターの歌が絶妙なのだ。
 へたくそだけど、あたたかい。
 そう、それは子守唄。
 この印象ははじめて聴いたころとちっとも変らない。
 不思議な気持ちになる歌。
 そうざらにはない。
Good Night
The Beatles White Album
Apple

 街を歩いていると、突然マイルス・デイヴィスのミューテッドトランペットの音楽が聴こえてくる。
 ドラッド・ドッグ。

 サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カムにはいっている。
 オールド・フォークスもいい。
 アイ・ソウト・アバウト・ユウも。

 どことなく物憂げで、静かなそれらの曲。

 モダンジャズには古典派、ロマン派、後期ロマン派なんてきかないけれど、マイルス・デイヴィスはマーラーに匹敵する現代の音楽家だ。
 変幻自在で、指揮、プロデュース、なんでもこなした。
 おおくの若手がかれらを慕い、影響をうけている。
 チャイコフスキーに劣らぬメロディーメーカーでもある。
Drad-Dog
Miles Davis
Someday My Prince Will Come
CBS
 はたらいているお父さんが好きですか。
 遊んでいるお父さんが好きですか。

 このシリーズで Dear Liz のヴァージョンも忘れられない。
 CDにはストリングスヴァージョンしかはいっていなかったけれど、覚えているのは、これのアコースティックギターでのもの。
 映像はほとんど記憶にはないけれど、これもとどめておきたいグレートな作品だ。
坂本龍一
CM・TV音楽ベスト「CM/TV」
サントリーオールド Dear Liz
 はたらいているお父さんが好きですか。
 遊んでいるお父さんが好きですか。

 このサントリーオールドのCFが好きで、カセットテープに録ってなんどもなんどもくりかえして聴いていた。
 ピアノは坂本龍一さん。
 のちに坂本龍一さんの Works というCDが発売になるというので、石丸電気に急いで買いにいった記憶がある。
 いまそれを聴いている。

 音楽とともに映像が浮かんでくる。
 ロケーションはどこなのだろう。
 イタリアか。
 たぶんヨーロッパではなかろうか。
 オーバーオールを着たおじさんが立っている。
 機関車の走る音がきこえる。

 はたらいているお父さんが好きですか。
 遊んでいるお父さんが好きですか。
 サントリーオールド。
 ナレーションはたしか、高岡健二さん。

 いいCFだ。
 いまも心に残る。
坂本龍一
WORKS 1 CM
サントリーOLD-2
 ジョアン・ジルベルトのコンサートがあった。
 その日、有楽町で、ちょうど会場近くを歩いていたら、鹿島アントラーズのチームマネージャー、トニィニョ・セレゾとすれちがった。
 なるほどね。
 ボッサノッバの開祖だもんね。
 ご高齢だし。
 たしかに観客は落ち着いた感じの人が多かったね。

 ジョアン・ジルベルトといえば「ビン・ボン」。
 ボッサノッバといえば、「おいしい水」が浮かんでくるなぁ。
 ただし、こちらはアントニオ・カルロス・ジョビン。
 おまちがえなく。
Joao Gilberto
Bin bom
 エリック・ドルフィーの Fire Waltz 。
 エリック・ドルフィーのというよりも、マル・ウォルドロンの、というのが正確なのだろうが、これがいいね。

 なんやかやと不調な毎日だけれども、そのたるんだ脳髄に、ザクッ、とタイトルのフレーズがはいる。
 ブッカー・リトルの沈着がおとなしく聴こえるけれど、なんのなんの。
 がっしりと骨太である。

 正常なときにこそ異常は生まれる。
 いや、異常のときにこそ正常がうまれるのではないだろうか。
Eric Dolphy
At The Five Spot
Volume 1
 東京MXテレビには、ヒーリングタイムというのがあって、ニュースの文字放送で、B.G.M.がながれるだけの番組っぽくない番組がある。

 とある深夜、聞き覚えのある、へたくそなベースが聴こえた。
 アート・ブレーキー&ジャズ・メッセンジャーズのモーニンであった。

 南洋の海の映像を背景に、たとえば渡辺貞夫のモーニングアイランドがディスク順どおりにかかっていると、ブラウン管のまえにこしをおろしてしまう。
 味わいのある実に心地よいひと時にかわる。
 だいたいがモーニンをテレビでかけるところがあったとは!
 東京MXテレビのプロデューサー、ディレクターの遊び上手に心から拍手を送りたいネ。できれば、曲目を教えてくれるともっといい。
東京MXテレビ
 入梅。
 こんなときは、ハワイアンがいい。
 ボサノバがいい。
 お香を焚くのもいい。
 うけうりだけどね。
 そうね、ペレス・プラード楽団のケ・リコ・エル・マンボなんかいい。
Mambo No 5
Que Rico El Mambo
Perez Prado
 追悼 エルビン、エルビン・ジョーンズ
 ジョン・コルトレーンといっしょに演っていたからフリーのドラマーだと、すっかり早合点していた。
 わかいころだけど早計だったね。
 失敗した。

 エルビンさんのブラッシング。
 最高だよ、やっぱり。
 コルトレーンさんのセイイット。
 あれの最後。
 エルビンさんのバチが大きくって、びっくりしてしまうんだけれど、気に入らないのはそれくらいかな。

 やさしい人だったんだろうな。
 威張らないんだよ、きっと。
 クリフォード・ブラウンもそんな人だったんだろうね。
 アフリカン・アメリカンの持つ、むろん、みんながもっているってもんじゃないが、そういう雰囲気。
 すごく感じるね。
 大きな河。
 おだやかに流れる河とでもいおうか。

 きっと、納豆もすきだったんじゃないかなぁ。
 愛する奥様の国の食べ物だもの。

 大きな人だったんだろうな、きっと。南無。
Ballads
John Coltrane
Impulse
 NHKラジオ第二放送はマイブームでね、いつもおなじ時間におなじ番組が流れる。
 外国語の講座が多い。
 たまに、朗読で、矢田津世子の作品を読むなんてのがある。
 青年座の長谷川稀世さんが読むんだがこれが素晴しかった。
 どうすばらしいかっていうと、まるで本人みたいな錯角、たしかに会ったことないんだけれど、色っぽいっていうんじゃもったいないから艶っぽいとでもいおうか、もう矢田津世子と長谷川稀世のファンになっちまった。

 青年座ってのも調べたんだぜ。
 CDかテープでも売り出せば絶対買うんだけどなぁ。
 エアーチェックするべきだった。
 無念。

 で、NHKラジオ第二放送のたとえば高校講座現代社会の時間のおしまいに流れるフルートとハープ曲、これもいい。
 無調っぽいんだが、背骨がまっすぐになる感じがいい。

 渋いぜNHK。
 さすがだ国営放送。
 ほめてあげるよ、ほんと。   
劇団青年座
 渡辺貞夫さんのモーニングアイランドは、いわばBGMで、しょっちゅう聴いていた。
 ひょっとすると、諳んじられるんじゃないかな。
 20代で聴く音楽がその人の音楽性に影響をあたえるって。
 たしかにそうかもしれないね。
 モーニングアイランド聴くたびに、フルート借りて練習したのをおもいだす。
 大學の構内でひとりで吹いてた。
 なつかしいね。
渡辺貞夫
モーニングアイランド
 NHKラジオ第二放送に、浪曲十八番という番組がある。
 短編小説をたのしむおもいがする。
 いつも聞き入ってしまう。
 たのしい。

 お年寄りのものだと勘違いしていた。
 実際に寄席へ聴きに行ってみよう。   
浅草木馬亭  NHK
 ジミースミスのキャッツを聴くと、グルーブ感とはなにかをおもいだす。
 同様にビッグジョンパットンのラトーナを聴くたびに、グルーブってこういうものなんだぜっていうサジェッションをうけるね。
Jimmy Smith
The Cat
Big John Patton
Latona
 マイワンアンドオンリーラブという極上のバラード。
 それを日本語で、石川さゆりにうたってもらいたいナ。

          恋の歌ならもういいの。
          揺れるだけ。
          このおもい。
          恋の歌ならもういいの。
          My One And Only Love。
My One And Only Love
Jonny Hartman & John Coltrane
 おれのアメリカ。
 ジャズとアイビーとポルノグラフィだね。
Blue Minor
Sonny Clark
 もし北朝鮮でロックが聞けるようになれば韓国と接近するだろうな。
 中国だってもうあともどりできない。
 ロックをしってしまったからね。

 ドイツの統合だって、ありゃ、ロックのおかげだぜ。
 お互いのアンチフィーリングを共有することによってしだいに同じ価値観をもつようになった。
 はじめておなじ言葉をもったのさ。
 おなじドイツ語でもフィルターをとおしたドイツ語だったからね。
 それで全体のイメージがうまれた。
 きっと。

 キュビズムもフォービズムも世界をかえられなかった。
 絵や文学、クラシックじゃないんだな。
 なんのこたぁない。
 ロックさ。

 みんなから、いちばん安直で、くそったれ、にみられがちなロックが後押ししたのさ。

 ロックに乾杯だぜ。
 まったく。
Let It Be
The Beatles
 資生堂のCFが他の競合他社よりもインパクトがあるのはなぜだろう。
 椿会をもっているから。
 世界を視野にいれているから。
 デザイナーがいいから。
 カメラマンがいいから。

 いろいろとあるんだろうけど。
 デザインはね、デザイナーで変るもの。
 そのデザイナーにどのようなヒント、暗示、示唆をあたえられるか。
 コピーライターの手腕でもある。

 広告を変えたいのならば広告代理店を代えてみることさ。
 それができないのならばデザイナーをまず代えてみる。
 代えられないから変らないんで、代えようとしないから変らないだけなんだ。

 デザインっていったって、しょせん人が編み出すものだもの。
 大それたもんじゃぁない。
時間よ止まれ
矢沢永吉
 ハロルドメイバーンの掌は大きくて、厚くって、柔らかい。

 ハンクモブレーのリッカードボサノバ Recado Bossa Nova のあの印象的な導入部のピアノこそ、かれのものだ。
Dippin'
Hank Mobley
 Lee Morgan、Hank Mobley、Duke Pearson のコンビネーションで、たとえば真室川ブギを録音していたら、きっとヒットしただろうナ。
 服部良一さんたちのアイディアでできた日本のブルースがU.S.A. のミュージシャンに影響を与えなかったはずはない。

 Lee Morgan の Hey Chico を聴くたびに、
「まちがいない。」
 と確信するね。
真室川ブギ
林伊佐緒
 Horace Silver の Peace は素敵なバラード。
 ホレスのクインテットでの演奏もいい。
 Steve Khan はもっといい。

 Wayne Shorter の Infant Eyes はショーターが娘をおもって書いた曲。
 素敵。
 Steve Khan の演奏は、もっといい。

 Lee Morgan の Melancholee を聴いていると、メランコリックになってしまいそう。
 でもそれがいい。
 スティーブカーンのギターならもっといい。
Steve Khan
Evidence
 いちばん好きな曲はなんだろう。

「ソニークラーク? マイルスデイヴィス?になるのかな。」

「でもやっぱり、デュークジョーダン。」

「だいじょうぶ?」

「だいじょうぶさ。ノープロブレム。そう No Problem がいちばんさ。」
No Problem
Duke Jordan
 アンドリューシスターズをNHKで聴く、それがいい。
 Bei Mir Bist Du Schon この歌は聴いたことがあった。

 日本でも、たとえば、スリーグレイセズなんて素敵なおねえさまが歌っている(邦題 素敵なあなた)。
 これもいい。

 でも、WEBで調べても、これがないんだなぁ。
 すっごくいいから、ぜひ入手して聴いてみるといい。
 それにしてもNHKのライブラリーは映像だけではなくて、音楽も相当のストックがある。
 驚きです。
 まったく。
Bei Mir Bist Du Schon
素敵なあなた
Andrews Sisters
スリーグレイセズ
 いま、足りないもの。
 静寂、涙、そして、夢。

 言葉が多すぎます。

 マザーテレサの言葉が刺す。
Alfonsina y el mar
アルフォンシーナと海
波多野睦美
つのだたかし
Warner Music
 マグニテュード7なら耐えられます、なんていってっけど、マグニチュード8以上の地震
なら、どうするんだろうね。
 人間の歴史が語られるようになってから、でっけぇ地震は、M7がせいぜいだもんな。
 だから人類としての記憶がない。
 語りようがないんだな。
 そんなもんなんだよ、人の創造力ってのは。
 いままでに見たり聞いたりしたもののなかでしか考えられない。

 あと何年後かにおとずれる、という、でっけぇ隕石が地球と衝突する、といわれれば、
シュンとなっちまう。
 それにここまで地球に悪さをしてきたんだ。
 シッペ返しをくらっても文句はいえねぇさな。
 変わんなくちゃ、いけないんだ。
 まず、考えかたを変えるんだ。

 で、MilesDavis。
 かれが、どんな意味で”So What”っていったかはわからない。
 けれど、すべてのことがらは、So What?。
 ・・・で、どうなんだい、ってことになる。
 そのとおり。
 で、どうなの?
Kind of Blue
Miles Davis
CBS
 音楽にジャンルなんか必要ないんだよ、マイルス・デイヴィスはいった。
 わかるけどね。
 その気持ち。
 でも、ついついやっちまうんだよね。
 ジャンルわけって。
 東京はすごいまちさ。
 あたりを見りゃわかるだろ。
 なんだってある。
 でも、ほかのまち、たとえばニューヨークや、そうさ、ロンドンだって、バンコクもシャンハイ
もそうさ。
 やつらにあって、東京にないものがあるんだな。
 はっきりしてることさ。
 コンフィデンスだよ。コンフィデンス。
 東京がすごいまちだってことにみんな気づいてないんじゃねえのか。
 ニューヨークにラプソディー・イン・ブルーが似合うように、東京にも東京のラプソディー
があってもいい。
 もちろんホレス・シルバーのザ・トウキョウ・ブルースって最高のブルースがあるけどね。
The Tokyo Blues
Horace Silver Quintet
Blue Note 4110
 最初はクライスラーって車メーカーのCFのBGMだったと思う。
 どんな使われかただったかはしらない。

 そういえば、ザ・サイドワインダーってなんのことか知ってるかい?
 毒ヘビさ。
 USの砂漠に棲んでいる猛毒を持ったヘビなんだ。
 しってるかな、F15イーグル戦闘機やF14ファイティングファルコン戦闘機の両翼に装着
したミサイルの愛称も、このサイドワインダーだ。

 テーマのところを聞きゃ、なるほどなって。
 ワインディングしながらまえにすすむ感じがよくでてる。
 傑作だ。
 この曲でジャズが好きになった人はけっこういるだろうよ。
 そう、このおれがそうなんだ。

 でも、ビリーのドラム、へたくそだって思わないかい。
The Sidewinder
Lee Morgan
Blue Note 4157
 マイルスはもういないし、リーだっていない。
 けど、マイルスやリーがいたように、いまだって、かれたちのようなジニアスはいるんだぜ、ぜったい。
 そういうジニアスと会いたいね。
 おれだけのアイドル。
 そういうのって最高にヒップだ。
 ジョン・コルトレーンやボス・ザ・テナーサキソフォン・ジン・アモンズやデックス・ゴードン
がヘビーウェイトで、ハンク・モブレーがミドルウェイトだっていわれるがね、ハンクのメロディ
ーメイクはどのウェイトにも属さない、ハンクだけのオリジンさ。どのチャンプでもかなわ
ないね。 
Roll Call
Hank Mobley
Blue Note 4058
 ちょっとまえに、ブルーノートんときの3枚ぶんが2枚組になってリイッシュウされてた。
 おれのモストフェイバリットアイドルがジョージ・ブレイス。
 なんかやけにヘンチクリンな扱いを受けているみたいだけど、ミュージッシャンは、そうさ、
ミュージックを聴けばいいんで、よけいなこと耳からいれる奴が多くって、しかも、ひとが
いったことを、うのみしちまうんだな。
 こういうのって、そんだぜ。ミュージックを先入観のフィルターで聴く。
 こりゃあ、損さ。まずは聴くこと、そうして感じるか、感じないか、グルーブがあるか、ないか。
 それでいいわけさ。考えすぎるとしみったれちゃうよ。
Laughing Soul
George Braith
Prestige 7474
 Mac が Miles Davis の Flamenco Sketches をCFで使ったときは、やられた、と思ったね。
 ラジオの番組で、タイトルとして使おうかな、なんて考えてた。
 なんていうんだろう、これって、たとえば、2001年宇宙の旅って映画があるじゃない。
 これなんか、タイトルチューンに向いてると思うんだがね。

 なにかと、Kind of Blue ばっかり注目されてっけど、これも文句なしの名曲だ。
Kind of Blue
Miles Davis
CBS
 ラジオで聴いた曲で、むかし「夜の停車駅」って、江守徹のナレーションで、土曜日の夜更けにやってた。
 いい番組だったな。
 毎回テーマがあって、それにまつわる曲がかかった。
 そのセンスがいい。

 後半に詩の朗読があって、たとえば日夏耿之介(ひなつ こうのすけ)って人の「黒衣聖母」なんて詩をよむわけ。
 当時、たまたまテープをとっておいたからいまでも聴けるけど、これがいいんだなぁ。
 かっこいいんだよ。
 イメジがすっきりしていて、詩は文学の最高形態だっていうでしょう。
 それが納得できる。
 なるほど、これが詩か、って。

 作中、「こころしていけ、みちいくものよ」、ってある。
 ずっしーんと響いてくるね。
 こういうの。
 でも、すぐ忘れちゃうんだけどね。
 で、タイトルで使われていた曲が、ラフマニノフのヴォカリーズ。
 フルート吹きのゴールウェイの編曲したものだ。
 オリジナルはヴォカリーズっていうくらいで、ヴォーカルがつづく。
 でも、やっぱり俺にとってのオリジナルはゴールウェイのほうだ。
Vocalise
Sergei Rachmaninoff
James Galway
 資生堂の男性化粧品のCFでBGMはグスタフ・マーラーのタイタン。
 タレントは名球会のおっさんたち。
 かれらそれぞれのエピソードがつづられる。
 みんな苦労したんだなぁって感じ。
 そして、
「男に生まれてよかったか。」

 おっさんたちがかっこよく見えたからね。
 印象的ないいCFだ。
Titan - A Symphonic Poem
Gustav Mahler
 Funky とか、Hip とかいうじゃない。
 ビ・バップも、ハードバップにしたってそうだけど、ほんとのとこ、どんな意味なのか知ってんのかなって思う。
 おれだって知らないもん。

 たしかな意味はあるんでしょう、たぶん。
 でも大概は、たとえばいつからいつまでは Funky がはやった時代だ、とか、ビ・バップの曲ばっかしかかってた時代だった、なんていうときに使ってるんじゃないかな。
 しったかしやすいからね。

 ただ、おかしなことするから、やつは Funky だ、とかいういいかたはよくない。
 おかしいやつは、おかしいやつ、というべきなんでね。

 ジュリアン・アダレイだね、やっぱり。
 で、コルトレーンとのクインテット、Wabash なんていいね。
Cannonball Adderley Quintet in Chicago
Mercury
 口笛を吹いて歩いているおっちゃんがいる。ぴーぴーいって、当人はご機嫌だ。
 でも、となりで歩いている人はざんねんなことに迷惑らしい。

「だって、恥ずかしいじゃない。」
 迷惑はかけていないはずだ。

「まわりをみてごらんよ。そんなひといやしない。」
 そういわれればそんなひとはいないか。

 思うにこれはクセみたいなもの。
 当人はいつもご機嫌だ。

「あっ、その曲しってる。」
 いつものように口笛を吹いていた。
「いっつもふいてるでしょう。おぼえちゃった。」

 These are soulful days 。
 リー・モーガンであった。
Lee Morgan
Leeway
Bluenote 4034

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