真理に媚びず 虚偽を蔑まず 知識に諂わず 無知を侮らず



   ジャズについて

 2015年8月16日、すみだジャズフェスティバルへいった。
 つれがいこう、とさそった。正直、わたくしはのっていなかった。
 会場が広すぎる。
 つれは地理にうとい。わたくしが先導する役目をおう。

 錦糸町だ。
 改札をでたら、かすかに音楽がきこえた。
 アルカイースト地下鉄出口。
 Holiday Jazz。
 ボッサノヴァだ。
 音を聴いた瞬間、たんなるアマチュアの音楽祭ではない、とさとる。
 勝負だ。
 わたくしのテンションはあがる。勝負というのは、無名の、まだ表舞台に出ていない芸術家を、わたくしなりに、いいか、つたないか判断する。その行為をいうにすぎない。
 手はぬかない。
 それがまだ世に出ぬ人々への礼儀とこころえるゆえ。

 で、アルカイーストJR北口前へわけもなくいそいでしまった。
 ウクレレデュオ。
 最後から2曲目のかれらのオリジナルは印象的であった。
 たとえば、TVドラマで主題曲になってもいいほどの抒情的な作品であった。
 次の演奏まで20分。
 てもちぶさたで、さきを急いだ。

 トリフォニーホールは土曜日のみで、日曜日はつうじょうのコンサート形式になっていた。無念。
 階下へいくと、パワフルな演奏だ。
 みんすいデキシーバンド。
 演奏は終盤。
 終演後、プレーヤーがオウディエンスに、ありがとうございました、と握手してまわる。
 音楽は、演じる側と聴く側、それぞれが一体化してこその力なのだ。
 その、すばらしい瞬間に、わたくしのこころはむせびなく。

 さぁ、つぎだ。
 2階へもどる。
 アルカセントラル2F「RONDO」広場(赤いオブジェ)へだ。 
 すると、きいたことのあるフレーズが聴こえた。
 リハーサルであった。

 つれが、
「まえ見たことがある。」といった。
 山崎千裕(ちひろ)+ROUTE14band。
 丸の内ビルジングで、東京芸術大学のコンボと共演していたのを、たまたまみていた。
 窮屈そうなヒールをはいて、山崎千裕さんはトランペットをならしていた。
 ジャズにヒールは必要ない?
 それはまちがいだ。
 山崎千裕さんには、そもヒールの有無は関係ない。

 アルカセントラル2F「RONDO」広場(赤いオブジェ)での演奏は5年目といった。
 ここが好き、という。
 2曲目であったろうか、
 にんじん。
を演奏すると、最前列のおとうさんといっしょの女の子が、ちいさく踊りだした。
 テンポなぞどうでもいい。
 たのしいから、踊る。だから、たのしい。
 わたくしは、その子を、ずうっと見ていた。ほほえましかった。

 その後、メイン会場へいって、くつろいでいた。
 Dream Session for Sumida 2015
 ウェイン・ショーターの Speak No Evil をスカ風にアレンジ。
 かっこよかった。
 このフェスティバルの最高潮ではなかったろうか。

 いよいよおわりとなったとき、ハイレゾ4の登場であった。
 が、演奏がはじまって、わたくしは、
つまらない、
 とその場から去った。
 フリージャズなのだろう。それは音楽ではない、とわたくしはおもっている。ちがうステージをさがした。
 ハイレゾ4。
 鈴木さん、峰さんも、名前はしっている。
 でもあの場で、フリージャズはないだろう。
 むしろ、アニマルマーケットという名曲で、聴いたことのない観客をのせるべきであった。
 のせたあとにフリージャズという退屈はしのげるかもしれない。
 わたくしは耐えられないけれど。

 往年の名のある人たちが、ピンぼけであるのにたいして、若い人たちが、挑戦していた。そんな印象である。
 ジャズとはいえ、ブルーノートが先駆であったのはまちがいない。
 そのブルーノートでは、若いミュジシャンにはオリジナルをつくらせた。
 楽器を弾かぬおとなたちは、20代そこそこの若者たちに、とにかくオリジナルな楽曲をこさえさせた。
 それがジャズをつくったのではあるまいか。
 それこそが、おとなの分際なのではあるまいか。
 
 すみだジャズフェスティバル。
 ヴェテランをただヴェテランゆえに重用するのは考えなおすべきである。
 あたらしい楽曲に新鮮はあるか。なければ、へたでも新鮮をこそえらぶべきである。

 ちなみに、昨今ジャズのつまらないところは、
 ソロの演奏が冗長であること、につきる。
 
 山崎千裕+ROUTE14bandの演奏は、新曲を果敢にチャレンジする。
 冗長にならず、さまざまな様式をとりいれ、そこにかれらなりの味をくわえている。
 ニッポンだけがマーケットにあらず。
 タフなテクニックを駆使。
 今後ど
んなミュジシャンと出会い、どんな化学変化をみせてくれるのか、たのしみです。






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