シンガーソングライター ASKA 飛鳥涼さん
わたくしは ASKA 飛鳥涼さんを憎めない。
ASKA 飛鳥涼さんが逮捕されてもかれの音楽はいぜんとしてわたくしのこころのなかに根をおろしているからだろう。
むかし最愛が、ASKA 飛鳥涼さんの「はじまりは、いつも雨」が大好きで、つられてこちらも愛唱するようになった。
聴くたびおもいだす。
哀しくて、さみしくて。
たしかにこころのなかには雨がふっていた。
店頭のCDを回収したり、いっさいの楽曲をメディアは控える。
それは、つたないやりかただ。
罪がある、とするならば、ASKA 飛鳥涼さんの得意とすることで罪ほろぼしをしてもらうがよろしい。
たとえば、苦痛に顔をゆがめる、こどもたちのためにコンサートをひらく。
つくった楽曲でこしらえた資力を、顔をゆがめることすらしないほどの苦痛をへてしまった、こどもたちのための基金にする。
たしかにASKA飛鳥涼さんの負担はふえる。
が、ASKA 飛鳥涼さんほどの才能は、楽曲でこそいきるのではあるまいか。
楽曲をつくることが苦痛であったのならば、
むしろ、
孤立し、それでもたちなおろうとするときにこそ、
あたらしい楽曲がうまれなければ、
それは嘘である。
さぁ、苦しそうな顔をあげて、
さぁ、ちいさくほほえんで、
うたうことの楽しさを、うたうことの楽しさをまだ知らぬこどもたちに伝えてほしい。