どうするべきか、ニッポンのサッカー
ワールドカップ、ブラジル大会惨敗の結果をうけて
ニッポンに必要なのは、ニッポンのサッカーとはなにか、という抽象をさぐることではない。
あるかどうか、わからないことに執心していても、こたえは出まい。
そうではない。
サッカーとはゴールをしたほうが勝つゲームでしかない。
それを肝にめいずること。
すすんでペナルティエリアに入り、これでもか、これでもか、とゴールへパスをくりだす。
そんなこどもを、数おおくそだてあげること。
そして、たとえ、ゴールへのパスがはいらなくても、もっともっと、くりかえせ、と励ませる、おとなになること。
それしかあるまい。
同時に、審判。
世界レベルを意識して、競技をしきらねばならない。
ワールドカップをニッポンのJリーグの基準で審判が笛をふくとしよう。
すると、レッドカードだらけで、試合がなりたたなくなるのではあるまいか。
Jリーグでは、それほど笛がめだつ。
邪魔ですらある。
とくに、球ぎわでの攻防に笛がおおすぎる。
笛をおそれて選手諸君は後手をふむ。
判断の遅れは致命的なのだ。
世界との差はここにこそある。
ちびっこの草サッカーの審判基準が世界につながっていなくてはならないのである。
西村雄一主審、相樂亨・名木利幸副審はその差を身をもって学んできた。
うってつけの宣教師である。
Jリーグとワールドカップでの審判基準のちがい。
この差をこそ、縮めなければならない。