真理に媚びず 虚偽を蔑まず 知識に諂わず 無知を侮らず


  代表監督に山本昌邦さんを推す

 ワールドカップ南アフリカ大会がおわって、いくつか感心したことを述べておこう。

 この大会は選手諸君の勝利だ、ということである。
 選手諸君が「これではいけない。」 と感じ、べつの道をえらんだ。
 そしてすみやかに実行にうつした。
 それがはまった。
 すみやかにうつせた、そこに経験の差がでた。
 それだけなのではなかろうか。

 岡田武史さんよりも、選手諸君のほうが経験をつんでいた、ということだ。
 選択肢は、むしろ選手諸君がもっていたのである。
 だからすみやかに実践できたのだ。

 スカパーはイヴィツァ・オシムさんを解説にもってきた。
 グッドアイディア!
 イヴィツァ・オシムさんご本人にとっても、視聴者にとっても、そういう大会はいまだかつてない。
 イヴィツァ・オシムさんという圧倒的な知識量をもつかたに、しかもオンタイムで、感想が聴けた。
 すばらしいアイディアである。

 が、オシムさんのいうことが正しいのか。
 そうじゃないんだ、シュワーボ。
 いや、ちがう。
 批判する、その行為がいかにむずかしいか、再認識せざるをえなかった。
 オシムさんも、ただ見る、だけからしっかりと見る、という立場を強いられたのは1990年のイタリア 大会以来なのではあるまいか。

 あるとき、イヴィツァ・オシムさんは大久保嘉人選手のプレーをわがままだといった。
 そのシーン。
 それはちがう。
 待ってくれ、オシムさん、それはちがう。
 いままであのような局面で強引にシュートを選択する。
 そんなプレーをみせてくれた選手はいないんだよ。
 なんとかしよう、なんとかしなければいけない。
 世界とはなにか、肌で感じた経験があって、しかもそのひとにチャンスが巡ってきたんだ。
 シュートよりほか選択はないはずじゃないか。
 あのときの大久保嘉人選手は、そう感じていたはずである。
 わがままなプレーではないのだ。
 ナイーブかもしれない。
 けれど、筆者はそう見る。

 今大会、筆者があやまらなければならないひとが2人いる。
 野々村芳和さんと山本昌邦さんである。
 野々村芳和さんはジェフ時代、チェ・ヨンス選手への一本の縦パスがわすれられず、かれを トップ゚下でつかうべきなのに、とおもいつづけてきた。
 で、スカパーでのかれの文言を聴いていると、釈然としなかった。
 けれど、この大会でのかれのコメントは的確、と頭をさげる次第。
 見る目がなかったのは筆者。

 山本昌邦さんはNHK。
 かれのほとばしる分析力は相当なものではなかろうか。
 恐れ入った。
 ぜひ次期代表監督になるべきである。
 推したい。
 かれが選ぶスタッフを見てみたい。
 アテネオリンピックでは山本昌邦さんとともに切磋琢磨してきたつもりでいる。
 ずいぶんと批判した。
 いまのかれはむかしのかれとはちがう。
 大いに期待を裏切られた。
 ウルグアイとパラグアイの戦術のちがいなど、鳥肌がたつ解説であった。
 爽快感すら感じる、あっぱれぶりである。





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