真理に媚びず 虚偽を蔑まず 知識に諂わず 無知を侮らず


  オジイ、奮戦ス その1 なぜシュートしないのか
  ライセンスをもたぬフットボールコーチ、かれの名はオジイ

 シュート練習をくりかえしてもシュートはうまれない。
 なぜ、だれも気がつかないのだろう。

 シュート練習をくりかえしてもシュートはふえない。
 なぜこのような愚を、われわれはくりかえすのだろう。
 
 シュートがうてない。
 その理由は単純である。
 シュートする、
 その意思を欠いているからである。
 
 最近、愕然とした。
 小学校低学年のちびっこサッカー仲間がこういった。
「サッカーは点を入れさせなければいいんだよ。」
と。
 あきらかな間違いを平気で口にする。
 
 それはちびっこサッカー仲間の考えなのだろうか。
 そうではあるまい。
 かれのまわりのおとなたちが無反省に口にしているにすぎない。
 
 シュートをふやすには、ちびっこたちが、
「サッカーはシュートを多くきめたほうが勝つ競技。」
と口々にするようにならなければいけない。
 得点こそがサッカーの核心である、と。
 
 くりかえす。
 
 シュートはシュートをうつ。
 この意思がなければ打てやしない。
 
 サッカーはシュートを枠に決めてこそ勝てる競技なのだ、という確信をもつ。
 ゆえに、かれらはシュートを放つ。
 ブラジルからの助っ人選手に学ぶべきはここしかない。
 
 くりかえしていおう。 
 シュートがたりないのは、シュートを打つ、その意思がたりないからである。
 ただそれだけのことである。
 その単純なことを、ニッポンでは、だれも気づいていない。
 
 もういちどいう。
 フットボールは単純なスポーツである。
 難しくしているのは、われわれだ。





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