僕の好きな先生
わたしは、落ち着きのない児童であった。
学期末の通信簿には必ずといってよいほど、授業中の態度に落ち着きがなく、それを解消すれば成績も伸びるであろうと記されていた。
兄なども、わたしがへまをするたびに、
「ノッチ(わたしのアダナ)は落ち着きがないんだよ。」といってからかう始末であった。
わたしはことあるごとに、落ち着きのなさをいわれ辟易であった。
たしかに、顧みて、わたしには落ち着きがあったとはいえない。が、好奇心の強い児童であったこともたしかである。
冗談をとばして学友を笑わせていたことも事実であった。
そういうところではまったく評価されなかった。
当然といえば当然なのかもしれぬ。
落ち着きがないのはもちろんのこと、生意気な性分であったのも原因したのだろう。
教諭に諭されても反省のあとも見せず、ケロッとした顔で冗談をとばしていた。
憎らしいガキであったのだろう。
小学5年生のころ、わたしは内心では社会科が得意であったのだが、
「社会が好きです得意です、か。」と同級生のまえで担任に揶揄された。
社会科はできるが、ほかの科目はそれほどではなく、いわゆる社会科オタク的な評価をくだされてしまったわけである。
わたしにはショックであった。
なんといっても唯一無二の「得意」を嘲笑われたのである。
放課後に同級生と口論し、挙句のはて次回のテストの得点で勝負しようじゃないかともちだされ、別れぎわに、
「どうせ社会が好きです得意ですってか。」といって蔑み帰られては返す言葉もみつからなかった。
社会科ならばその子とはどっこいどっこいの成績ではある。が、ほかの科目では歯がたたないのをわたしとて知っていた。
初めから勝負は決まっていた。
それでもわたしの得意科目は、やはり社会科でしかなかった。
わたしはいまでも鮮明に思い出す。
そのときの光景を。
なにもいえず、涙をこらえ、ただその場に立ち尽くしていたことを。
三浦茂俊先生は、わたしが中学2年のときの担任であった。
学期末の通信簿には、
「細野君のユ−モアの精神は学級内に与える影響は大なるものがあります。」と、癖のある右上がりの字で書いてあった。
わたしに初めての評価を与えてくれた。
わたしはどこか、救われる思いで、その箇所を何遍も何遍も読み返していた。