真理に媚びず 虚偽を蔑まず 知識に諂わず 無知を侮らず


  ニッポン人の検定好き、認定好き、試験好き

 ニッポン人の検定好き、認定好き、試験好き、が目にあまる。
 そりゃぁ、そうだろう。
 おさないときから試験、試験、試験の連続だ。
 ためされることには慣れている。
 だから、いざ、ためす側になっても、やっぱり、同じ方法をくりかえす。
 ほかにしらない。
 ほかの方法は、と考えたこともない。
 
 テレビでも人をためしている。
 テスト、テスト、テストである。
 で、成績のかんばしくない人を
「おバカ。」とのたまう。
 けれど、おバカなのはむしろ制作者をふくめた多くの視聴者なのではあるまいか。
 
 日本漢字能力検定協会の不正だって、ここに端を発している。
 1級だから、えらいのだろうか。
 7級だから、えらくないのだろうか。
「1級です。」
「そうですか。で、それがどうしましたか。」
 そうあるべきで、試験をなんらかの目安、たのしみととらえる。
 ならば、すこしは健康といえるかもしれない。
 
 白人が難しい漢字を覚えていると、
「日本語が上手ですねぇ。」
「すごいですねぇ。」
といっておどろくという。
 ゆえにかれは難関漢字をマスターすべく日々研鑽するという。
 ニッポン人の心のスキをつく。
 
 試験さえ通ればノーマーク。
 成績がよければ、もうそれは英雄のごとく。
 試験の必要性は問わず、試験自体を云々するひとはいない。
 これは悪い癖、の最たるものである。
 
 資格があっても技能がなければ、それはすでにえせでしかない。
 けれど、その判断はくだせない。
 官製の不正が跋扈するゆえんである。





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