動きすぎ、巻誠一郎選手
ジェフ千葉0対3ガンバ大阪
2009年3月7日。
Jリーグ開幕戦、於フクダ電子アリーナ。
巻誠一郎選手はがんばりやさんである。
そのがんばりが、ゴールへつながらない。
なぜ、だれもおしえてあげないのか。
なぜ、そのことに疑問が浮かばないのか。
なぜ、だれも気づかってやらないのか。
チームは、巻誠一郎選手のいったいどこを評価するのか。
フィニッシュ、というとき、かれの息はすでに切れているじゃないか。
フィニッシュにいたるまでにその能力のほとんどをつかいきっているじゃないか。
だから、よれよれになる。
あたりまえじゃないか。
巻誠一郎選手も巻誠一郎選手である。
あれもこれもしなくてはならないとばかり、仕事場が広すぎるじゃないか。
広すぎれば、当然、力は分散する。
巻誠一郎選手は誠実である。
認めよう。
一所懸命である。
それも認めよう。
ゆえに、巻誠一郎選手からゴールはうまれない。
巻きかえす。
巻選手が得点すれば、ジェフ千葉は巻きかえせる可能性は高い。
巻きかえせない。
字のごとく、巻誠一郎選手がゴールをあげられないときはジェフ千葉は低迷する。
巻誠一郎選手は、むしろ、ゴールまえ、ペナルティエリアでこそがんばるべきである。
ディフェンスはほかの選手にまかせればいい。
不器用を運動量でかくすことなどないのではあるまいか。
きみはペナルティエリアでのみハイエナになるべきだ。
泥臭く、冷厳とした、ハンターに徹するべきではなかろうか。
再度いう。
チェイシングなどしないことだ。
仕事はそこじゃない。
がんばりすぎの弊害である。
本人も、まわりもがんばればいい、とおもっている。
どうがんばるか、が検討されぬまま。
ただがんばる。
ナイーブ。
もったいない。
横浜FC、三浦(カズ)知良選手はゴールゲッターとして傑出する。
けれど、ここ数年、あきらかにカズは動きすぎである。
ピッポ、フィリポ・インザーギという絶好の手本を、もっとみならうべきではあるまいか。