さよなら、イヴィツァ・オシム
2009年1月5日、イヴィツァ・オシムさんがオーストリアに帰った。
帰途、空港内でアクシデントがあったらしい。
オシムさんがすわりこんでしまったという。
貧血によるという。
ほんとうは、
感きわまったのではなかろうか。
感情がその最高点に達したのではあるまいか。
わたくしはおもう。
かれをヨーロッパから遠くはなれた極東の、ここニッポンにとどめた理由はなんだろう。
クロアチアの新聞でオシムさんのインタヴュー記事を読んだ。
かれはそこで、
結果にかかわらず、多くのファンが成田空港で出迎え、そして見送ることに驚いていた。
ニッポンにはかれがやってくるのを待ちわびるファンがいた。
手をふって見送るファンがいた。
かれらはみかえりを求めない。
ただ、
「おかえりなさい。」
「いってらっしゃい。」
をいうためだけにあつまった。
熱心をとおりこしたところの、それいじょうのぬくもりをもつ。
その応援者たちがいればこそ、イヴィツァ・オシムさんはニッポンに帰ってきたのではあるまいか。
ほかの国の飛行場では決して見られない光景でもあるのだろう。
西郷南洲遺訓のいう、
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。此の仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。」
この文言に、イヴィツァ・オシムさんも、
「大袈裟すぎます。」
笑みをうかべ首肯なさるのではあるまいか。
わたくしはそんな無名の同胞を誇りにおもう。
すばらしき応援者を尊敬する。