なぜシュートをはずすのか
フットボールサッカーはミスの多い競技である。
そのミスについて。
だれもいわない。
いわない、ではなくて、ほんとうはわかっていないのではあるまいか。
そうおもえてしかたがない。
2008年1月26日、対チリ戦。
後半17分、高原直泰選手にかわって大久保嘉人選手が出場した。
シュートを打つ。
この明快な意思を満タンにしていたのは大久保嘉人選手のみ、といっていいだろう。
かれはシュートを打つ。
打つ。
また、打つ。
そして、打つ。
しかし、はずした。
翌日曜の夜、テレビ朝日の深夜番組「やべっちFC」で、欧州のゴール集を、たまたまみた。
そこで感じたことがある。
欧州サッカーのほうが基本に忠実だという事実である。
ここでいう基本とは、インサイドキックの多用であり、その質、精度のことである。
イングランド・プレミアリーグ、マンチェスター・ユナイテッドのカルロス・アルベルト・テベスにしても、クリスティアーノ・ロナウド・ドス・サントス・アヴェイロにしても。
ここ一番のときは、みなインサイドキックで、
「ゴールへパス。」
している。
ゴールキーパーと1対1の場面では、特に顕著である。
ひるがえって、チリ戦での大久保嘉人選手のシュートの中で、2本目のループシュートのみ、インサイドキックで、精確をきしたものとして評価しうる。
けれども、残り3本の
「おもいっきり、いったれや。」
シュートについては検証すべきと考える。
そこにニッポンのフットボールサッカー風土、精神性が如実に顕れているからである。
大久保嘉人選手のみならず、ここ一番の場面で、おもいっきり蹴ることを、よし、と判断させる日々の練習とはなにか。
力むことが精度を狂わせる要因であることをアドヴァイスすれば、ことたりるはずなのに。
それができない空気とはなにか。
ニッポンはフットボールサッカーの基本について、いまだに考え違いをしている、といわざるをえない。
インサイドキックでコースに狙い打つ。
そうすべきなのである。