細野不巡 スタジアムで会いましょう
2007年
敬称略
2007年12月28日
  オシム流とはなにか

 イヴィツァ・オシムさんの快復を願っている。
 
 イヴィツァ・オシムさんにはいろいろと教わる。
 人生の先輩として。
 私淑。
 
 オシム流の継承。
 オシム流の断絶。
 メディアは踊る。
 
 オシム流とはなにか。
 
 イヴィツァ・オシムさんはラーメンが嫌いだ(としよう)。
 にもかかわらず。
 みんなはいう。
「オシムさんならラーメンを3杯たいらげるぜ。」
「オシムさんなら汁まで飲み干すにちがいない。」
「フォンドボゥのラーメンが好物らしい。」
「煮干ラーメンは苦手だそうだ。」
「豚骨ラーメンを食べに、わざわざ博多までいくそうだ。」
 際限ない。
 
 オシム流とは。
 イヴィツァ・オシムさんご本人の意思とはまったく別のものである。
 むしろかれへの無理解から、かれの信条とは相反する場合がでること、おびただしい。
 オシムさんはラーメンがきらいである(だとして)。
 それを、まず確認すること、こそ肝要なのではあるまいか。
 
 オシム流なぞない。
 こんなとき、オシムさんはこうした。
 また、あんなとき、オシムさんはこういう指示を出した。
 オシムさんの方法は過去完了で語るべきものである。
 ただそれだけのことにすぎない。
 
 オシムさんなら、こうするだろう。
 これはオシム流ではなく、オシムさんを土台にした、あなた自身の考えなのである。
 オシムさんはそれが正しいか、間違っているかは問はない。
 自分の考えを堂々と述べる。
 その姿を見て微笑むだけだ。
 なぜか。
 全知全能なぞ、ありえない。
 イヴィツァ・オシムはそれを知るからである。
 ここにこそイヴィツァ・オシム、そのひとの神髄がある。
 
 かれは不用意な質問には眉をしかめた。
 質問者が質問の意図を整理していないからである。
 それは質問されるひとを侮辱するに等しい。
 そのことをメディアはわかっていない。
 
 オシムさんはいまもなおわたくしに問いつづける。
 それでいいのか、と。





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