マア坊がサッカーをやめる!
「サッカーつづけている?」
マア坊は首をふる。
マア坊とは著者がはじめて荒川土手のグランドでサッカーをやったときの仲間。
電車でちかくの駅まで乗りついでいった。
冗談をとばしあい、大笑いしながらグランドへいった。
「もうやめちゃったんです。」
その声は小さい。
「いまはプールで水泳。」
といったところで、やめた理由をきいた。
「ゴールはずすと、みんなにいわれたり、迷惑かけたりするから。」
声は小さい。
が、はっきりとこたえてくれた。
嗚呼、これで日本代表候補がひとり減った。
著者はおもう。
マア坊がじょうずだから、ではない。
下手であってもいいのだ。
大切なのは、かれがもつ可能性のことなのだ。
なぜ、マア坊はサッカーをやめたのか。
なにが、マア坊をサッカーから遠ざけたのか。
なぜサッカーをしない、つまりゼロの状態という極端をえらぶのか。
そういう選択しか、ほかにはないのか。
フットボールサッカーはたのしいはずではなかったのか。
ニッポン。
ニッポンという空気。
真っ青な空のしたで。
いまもなお。
このよどんだ雰囲気を絶え間なく再生産する風土。
無自覚な、あまりに無自覚な。
すべては、この日本語の仕組み自体に原因があるのだろう。
灯台元はきょうも暗いのか。
なんということか。