細野不巡 スタジアムで会いましょう
2007年
敬称略
2007年8月7日
  ワールドカップドイツ大会がおわり、
  アジアンカップ2007もおえた。
  で、どうするのか


 ワールドカップドイツ大会がおわり、アジアンカップ2007もおわった。
 で、どうするのか。
 どうすべきなのか。
 刷新すればいい。
 正々堂々。
 
 ガンバ大阪、西野朗さんを代表監督にむかえること。
 作戦参謀として川崎フロンターレ、関塚隆さん、ヴァンフォーレ甲府、大木武さん。
 スカウティングに柏レイソル、石崎信弘さん。
 
 ワントップ、3シャドウ型で挑むべきである。
 
 ワールドカップフランス大会の予選をたたかっていたころ、加茂周さんが解任。
 後任は岡田武史さんになった。
 そのとき著者は、
 なぜ西野朗さんではないのか、とひとり憤慨したのをおもいだす。
 
 ひきつぎに時間がないこと、
 西野朗さんが、すでにガンバ大阪で指揮を執っていたこと。
 理由はあろう。
 
 が、28年ぶりのアトランタオリンピック本大会出場を果たした事実。
 それよりも重きを置くべき要件は、ほかにあったのだろうか。
 筋からいっても、加茂周さんの後継は西野朗さんしかいなかったはずじゃないか。
 
 岡田武史さんで出場権を得たのだから、そのご褒美に継続して全日本の指揮を執ってもらう。
 そんな程度の認識であったにちがいない。
 で、フランス大会。
 あのざまであった。
 
 岡田武史さんはワールドカップフランス本大会の予想を聞かれ、
「1勝1敗1引分け。」
といった。
 たたかうまえから、すでに負けている。
 
 西野朗さんならば、と考えてみる。
「もちろんすべて勝ちにいきます。」
 かれならばそういうであろう。
 
 アトランタオリンピック本大会、のちの金メダルチーム、銅メダルチームが同居した、まさに死の予選グループDで、2勝1敗という予想以上の好成績をあげながら、得失点差で決勝トーナメント進出を逃す。
 不運とはいえ、その運につきはなされた敗軍の将であればこそ。
 
 ここがいっさいを画すかもしれないのである。





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