細野不巡 スタジアムで会いましょう
2007年
敬称略
2007年2月14日
  イヴィツァ・オシムへの提言

 イヴィツァ・オシム氏はフランス語、ドイツ語を流暢にはなすそうである。

 若くしてフランスのチームへ移籍した。
 現役をしりぞいてからオーストリアのチームでマネージャーをつとめた。
 なるほど現地語をあやつることは成功への近道である。
 かれは経験で知っている。

 だのにここニッポンでのイヴィツァ・オシム氏は日本語ではなすのをはばかるようである。
 日本語を流暢とはいわぬまでも、片言でもいい、はなす努力を、吶吶としてなお堂々たるところを見せるべきではあるまいか。
 まさにチャレンジ。
 吶吶がかれの美学に反するのであれば、別な方法を採ればよい。

 とにかく、
「ニッポンノサポーターノミナサン、コンバンハ。」
 だけではいけない。
 日本の酒のみならず、歴史にも文化にも精通していなくてはならない。
 クリント・イーストウッドのように、
「ほとんどの日本人は第2次世界大戦中に硫黄島でなにがあったのか知らない。」
といわなければならない。
 代表監督を辞した時点で、すでに日本学の大家となっていなくてはならない。

 ジーコにそうなるべき道を示せなかった。
 だからいざというとき、ニッポンチームは機能しなかった、のかもしれぬではないか。
 ジーコならわかってくれるはずであった。
 ジーコならわかってくれているはずであった。
 けれど、ジーコはわかっていなかった。
 勝手に期待した。
 責めを負うのはこちらである。

 代表チームのマネージャーになった時点で、求められるべきは現地語である。
 その習得への汗である。
 ファンに、スタッフに、選手諸君に愛されようと努めるところにある。
 ヒデ中田英寿がイタリアで、イングランドで示したように。

 イヴィツァ・オシムは日本語をしゃべらなくてはならない。
 日本に何年いるのか。
 ファンもメディアもはっきりいうべきなのだ。
 成功に近道はない、が、成績がふるわないのは日本語を理解しないからである、と。

 そういう位置にわれわれは立っているのだ。





戻る