細野不巡 スタジアムで会いましょう
2007年
敬称略
2007年1月4日
  高校サッカーがつまらない理由
 
ひとのいとなみ。
変化こそあれ、そこには進化はない。
たとえれば不規則な振り子。
むこうに揺れる。
かとおもえばこちら。
横から見れば振り子の動きは不可測に見える。
けれども上から見れば、振り子は所詮、ひもの届く範囲内で動くにすぎない。
 
全国高等学校選手権サッカーが退屈なのは、
それでしょうがないと考える、関係者がそのほとんどだからであろう。

全試合テレビ中継があり、注目度が高い大会はほかにない。
失点したくない。
この考えが支配する。
勝ちたいというよりも、むしろ負けたくないのである。
そこにあるのは点をとって勝つサッカーではない。
ということはそもそもサッカーではないのかもしれない。

日程を選手本位で考えない。
地区大会を勝ちあがる。
で、やっと全国大会だ。
でも初戦で敗退すれば1試合しかできない。
なんたる無駄。
40分ハーフというのも滑稽このうえないのに、改めようとしない。
世界ではこの世代は45分ハーフであるにもかかわらず。
ラグビーフットボールと勘違いしたままなのだろうか。
サッカーでは、この5分こそが勝敗をわけるのではないのか。
この5分のために、練習し、技を磨いているのではないのか。
引分けで、即PKとは!
なんたる不備。

世界ユース、ジュニアユース選手権をその頂点とするのであれば、
グループリーグ、決勝トーナメント制にするべきである。
それができないのならば、できない理由を挙げるのではなく、
どうしたらできるか。
そこに知恵をしぼるべきである。
 
県単位で競うことに意味はあるのか。
その発想のみなもとたる国民体育大会。
国民体育大会の目的はすでに達成したはずじゃないか。
開催地がかならず優勝する!
そんなこと、正々堂々やるならば、ありえるはずがない。
その継続の是非をふくめて再考する時機はとっくにきている。
にもかかわらず、だれも、なにもいわない。
かえりみない。
 
大会が多すぎるのではなかろうか。
オリンピックなぞは4年に1回しか催さぬではないか。
サッカーのワールドカップとておなじこと。
 
イギリスには3大会制覇で3冠達成、なぞという。
が、ヨーロッパでは3冠が主流というだけであって、
それはかの地の理由でしかない。
 
優勝はひとつ。
そうならないのは、関係者の思惑が絡んでいるからにほかならない。





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