スタジアムで会いましょう

  ぼくもたのしむ、みんなもたのしめ、新庄剛志選手
 
 プロ野球では日本ハムが優勝した。
 なんと44年ぶりとのこと。
 
 真に強いチームに飢えていた、札幌を中心とする北海道のひとたち。
 それと、熱い熱い応援に飢えていた日本ハム球団の選手諸君。
 
 たとえていえば、子のない母と、母のない子なのだろう。
 独特の雰囲気はそうして生まれた。
 阪神甲子園に負けず劣らずだと聞く。
 
 新庄剛志選手が圧倒的な存在感をしめした。
 その守備は非凡である。
 けれど、3割を打つわけじゃない。
 なのに。
 
「強運をもっている。」
 たしかに劇的だ。
 できすぎのハッピーエンドである。
 そういう星のしたに生まれたのだろう。
 そうとしかいえない。
 
 だがそれらはすべてかれの努力の結果でしかない。
 
 日本シリーズがはじまるまえ、新庄剛志選手は、
「日本ハムファイターズ、中日ドラゴンズ、どっちが勝ってもいいじゃない。大切なのは楽しむこと。」
といってのけた。
 熱血ファンには肩透かしかもしれない。
 
 山頂をまえに、
 さぁ、あともう一歩。
 登ってきた道をふりかえる。
「おもえばよくここまできたもんだ。」
 かれの実感が先の言葉となってあらわれたのだろう。  
 
 新庄剛志が新庄劇場としてふるまってきたことを批判するひとは多い。
 が、そのかれのふるまいを見て、
「おもしろい。」
「またみたい。」
 というファンの数は、批判するひとの数を圧倒する。
 
 だっておかねを払って、観にいくんだぜ。
 たのしそうだ、と、ひとは集まる。
 
 新庄剛志流ファンへの応えかた。
 それが覆面をかぶることであった。
 観衆は手をたたいて、おおよろこび。
 
 新庄剛志の手法。
 単純といえば単純だ。
 が、ほとんどのひとがその単純に気づかない。
 
 ぼくもたのしむ。
 みんなもたのしめ。
 
 たのしさに気がついた。
 だからたのしい。
 
 それがすべての根本じゃないか。(2006年11月7日)





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