スタジアムで会いましょう

  混迷するJEF千葉
 
 混迷するJEF千葉。
 なぁに、それは迷走するニッポン代表チームとなんらかわるものではない。
 
 監督の問題というよりもむしろ選手諸君の余裕のなさに端を発するにすぎない。
 
 変えたい、とおもうだけでは物事はなんら変らない。
 具体的にここをこうする。
 だれかがなんらかの行動をおこす。
 それが価値感を共有するひとのなかで伝播。
 やがてその人の数が一定の割合に達する。
 そのときになってはじめて物事のなにかが変る、かもしれない。
 その可能性をはじめてもつ。
 ただ、どこまでの人数になれば変るのか。
 それはわからない。
 変るかもしれないのであって、変らないかもしれないからである。
 
 心が変れば行動が変る。
 行動が変れば習慣が変る。
 習慣が変れば人格が変る。
 人格が変れば運命が変る、
というひともいる。

 が、
 立石智紀選手が変れば水本裕貴選手は変るかもしれない。
 阿部勇樹選手が変れば坂本將貴選手は変るかもしれない。
 羽生直剛選手が変れば水野晃樹選手は変るかもしれない、
というのが実際ではあるまいか。
 
 変ることを奨励するようであるが、本稿では、素のプレー、選手諸君の得意とするプレーはなにか。
 初心をおもいおこす。
 フットボールサッカーがたのしかったころをおもいだしてもらいたい。
 むしろそこにたちかえるべきだといいたいのである。
 
 イヴィツァ・オシム監督が練習でワンタッチパスを重用する。
 考えて走れ、という。
 が、実際は考えて走ることは可能か?
 フットボールサッカーはマラソンではない。
 かれはそこで判断の速度を速めるための訓練をしているにすぎない。
 この能力は訓練すれば改善する可能性が高いからである。
 
 次のアクションをおこすためのシナリオをあらかじめ用意しておくこと。
 それとていくつのシナリオを用意できようか。
 せいぜいが2つ、ディエゴ・マラドーナとて3つもっていただろうか。
 そのシナリオのなかから最適行動をすみやかに判断し的確にしかも正確に実行する。
 ディエゴ・マラドーナはここが長けていた。
 
 ドリブルが得意ならば、ここ一番、ワンタッチパスを選択するのではなく、ドリブルでアタックをするべきなのである。
「・・・監督さんがワンタッチパスを好んでいるようだから。」
 なぞとイヴィツァ・オシム監督の顔色を窺ってばかりではかれのサッカーは未来永劫理解できまい。
 引退し、ひとに教える立場になったときにはじめて後悔することになる。(08.25.06)





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