JEF千葉にみるキャプテン、あるいはキャプテンシーの欠如
7月30日。
久しぶりのフクダ電子アリーナ。
JEF千葉2-3名古屋グランパスエイト。
帰途、考えた・・・。
・・・そもそもJEF千葉にはJリーグで優勝する力はない。(オシムさんが再三おっしゃっていた。)
せいぜいがカップ戦。(対戦相手によっては決勝進出は可能。)
その場合でも、ペナルティーゴール合戦までもちこめば勝てるかもしれない。
このシナリオが The Best であって、それ以外のことは、なんでもありえる。(そこにはもちろん降格も含まれる。)
ああ、2005年がそうであった。
ことしもカップ戦に期待するしかないのだろうか。
期待。
期待するものの勝手。
著者は書いた。
期待するのは、ファンだけなのか。
「不甲斐ない。」
佐藤勇人選手はいう。
それは佐藤勇人選手自身が不甲斐ないのか。
佐藤勇人選手は全力でたたかっているにもかかわらず、そのレベルに達しない他の選手が不甲斐ないのか。
それとも、佐藤勇人選手をふくめたチームが不甲斐ないのか。
不甲斐ないというならば、なにが不甲斐ないのか、その主体はだれなのか、明確にするべきじゃないか。
不甲斐なさ、は本来きみたちが使う言葉ではない。
それはきみたちの仕事をみて、評価するものたちが使う言葉である。
不甲斐ないのならば、それをチームメイトに、まず伝えるべきである。
その不甲斐なさを未消化なまま、試合に負ける。
そのとききみたちがファンにいうべきは、
「ゴメンナサイ。」
の一言、それだけであろう。
もしきみたちが全力を出し、それでも結果が出なければ、
「・・・・。」
堂々と顔をあげるべきである。
たとい罵声を浴びようとも、ファンにわびることなどあるはずがないじゃないか。
阿部勇樹選手よ。
負けたとき、阿部勇樹選手はただうなだれるばかり。
阿部勇樹選手の腕に巻かれているものはなに?
あなたはキャプテンだ。
キャプテンなら、ファンへの挨拶のとき、チームメイトを先導し、整列させ、どんな声をかけるのか、はっきりと命じるべきじゃないのかい。
挨拶だって、ときにはしなくたっていい場合もあるだろう。
だらだらとまとまりを欠いていて、見苦しい。
それがチームの現状を如実にあらわしているのならばその責はだれにあるのか。
身振り手振りで、チームメイトを鼓舞、孤軍奮闘せねばならぬのに。
きみはただコイントスのためにだけキャプテンマークを腕に巻く。
面倒ならば、いっそ、キャプテンを返上してはどうだろう。
ならぬことはならぬものです、という。
無理ならば、坂本將貴選手を推輓するのもいいのではなかろうか。
キャプテンを辞す。
それもキャプテンの立派な仕事である。(07.31.06)
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