ヒデ、中田英寿選手のこと
ヒデ中田英寿選手の名刺代わりといえば、
ワールドカップフランス大会クロアチア戦でのゴン中山雅史選手へのピンポイントクロス。
それとペルージャへ移籍後のユベントス戦であげた2ゴール。
それはちょうどかれのピークでもあった。
かれはマスコミに、とっつきにくい面のみをなによりも強調された。
それはかれのほんの一面しか語っていなかったのだろう。
かれは憤慨し、やがて辟易し、ついにマスコミ関係者をシャットアウト。
先入観をもたぬものだけが入場を許された。
だがそのかれも、ピッチのうえではちがった。
かれのまわりの、特にかれよりも年長の選手、コーチには比較的スムーズに受容れられたのではあるまいか。
さんざマスコミに、かれのそのとっつきにくさを喧伝され、先入観を仕込まれたほとんどの選手、コーチたちは、実際のかれと会ってはなしをしてみると、いわれるほどのものはない。
逆にはっきり物事を言うけれど、そこには衒いのない好青年として、ヒデへの印象は劇的な変化をとげたのではあるまいか。
ヒデは愛されたのである。
とくに年長者からは歓迎されたのである。
が、
かれとて年をへる。
いつのまにか先輩は第一線からしりぞく。
そして引退。
そうして皆、ピッチをあとにする。
と、まわりはかれよりも年の若い連中だらけになっている。
年長者に愛されたそんなヒデ中田英寿選手も、年少者へのふるまいにぎこちなさが出てしまったのではあるまいか。
年下ばかりか、おないとしの選手からも好かれなくなったのではなかろうか。
尊敬はされても愛されなくなったのである。
ひとまえで文句をいうよりも、一対一で、こっそりとはなしあう。
かれはそうしなかった。
「自分はリーダーじゃない。はなしあったり、声を出したりして、チームをひっぱるタイプじゃない。」
リーダーになるべきひとがリーダーのなんたるかを知りえなかった。
それはかれだけにとどまらない。
だからヒデは浮いていたのである。
それはまわりから総すかんをくったというよりも、年少者とのつきあいかたにアイディアが欠けていた。
うえばかり見てきたのだもんなぁ。
なんてったって、この国には参考になる先輩がいないんだもの。
しょうがないか。
ヒデのまえにヒデはいなかった。
ヒデのあとにもヒデはいない。
かれは極東で、パッと出てパッときえゆく花火なのだろう、たぶん。(07.09.06)
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