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プリンシプルのないニッポン
立川流家元立川談志さんはおっしゃる。(6月13日版、世相講談)
「サッカーは(ニッポンが)勝ちますじゃなくて、勝つわけないだろ、といえるごく正常なやつがいないのかね。」
このとき、ニッポン戦はまだおこなわれていない。
慧眼に感服するほかはない。
優勝はニッポン。
著者は書いた。
次の大会も、その次の大会も、
優勝はニッポン。
そう書くだろう。
優勝を目指さないのならば、出場はしないほうがいい。
予選突破を最終目標にするから予選で敗退するのである。
Jリーグでも中位を目標にかかげ、それをまっとうだとするとりまき。
それは応援者であるサポーターに失礼じゃないか。
優勝を目指してはじめて残留もなる。
たたかいかたとて、挑戦者をもって任ずれば、開始早々からガンガンとばすだけではないか。
分散ではなく、集中こそ力をもつ。
いっちょうまえの経験もないのに、いっちょうまえのふりを装う。
そんなものはすぐ見破られたし、つけやきばはすぐはがれたではないか。
苦境にたつと、オロオロするばかり。
だれも喝をいれない。
喝の入れかたすら研究されていない。
これを無策という。
プリンシプルのないニッポン。
どうあるべきか。
再興するために。
いまなすべきことはなにか。
監督の首をすげかえることではない。
すみやかにすべきはただひとつ。
なぜ負けたのか。
その理由。
その責任の明示。
そこからはじめるべきである。
いくさに勝つのは兵の強さであり、いくさに負けるのは将の弱さであるという。
その将を選んだひとはだれか。
「日本サッカー協会の仕事は代表チームだけじゃない。」
という。
けれど、代表チームを強くすること。
それが日本サッカー協会の使命じゃないか。
成田で代表チームを迎えるとき、かれらに批判的な行動をするひとたちが排除されたときく。
これはけっして好ましいことではない。
なにかの兆候を意味するのかもしれない。
権力は腐敗した。
川淵キャプテン、退位すべきではありませんか。(06.30.06)
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