それは著者にはわからなかった。
チームには運動機能障害をもつ中学生がいる。
涼ちゃん。
涼ちゃんの自宅は練習場からは目と鼻の先。
そこから涼ちゃんのおばあさんが孫を見守っていたという。
涼ちゃんよりも体格が小さな子が涼ちゃんを幾度もこずく。
しつこくその子は涼ちゃんを叩き、はなれ、また叩く。
なすすべなく涼ちゃんはおろおろするばかり。
おばあさんにはいたたまれなかったのだろう。
そのはなしを伝え聞いたコーチが著者におしえてくれた。
「気をつけて見ていましょう。」
練習後、どうでしたか。
ときくと、
ほとんど見ていませんでした。
涼ちゃんはぶたれることもあろう。
それでもそとへでていくならば、
われわれは、
気をつけて見ていましょう、とはいうけれど、実際は見ることはできないのだ。
涼ちゃんはこれからも理不尽に遭遇するだろう。
それでもそとへ出て、大勢のひとたちのなかへはいっていくのならば、
気をつけてみていましょう。
約束するよ。
でも、実際は見られないのだけれど。
おばあさん、あなたにはお孫さんが不憫でならないのだろうが、
涼ちゃんがなにもいわないのならば余計なお世話はしないほうがいい。
たとえ小さな子が涼ちゃんをぶったとして、
それが涼ちゃんと小さな子の遊びの可能性だってある。
おばあさんには痛くても、涼ちゃんには痛くないことだってある。
著者はむしろおばあさんの誤解だとおもいたい。
だって、3年もいっしょにあそんできたんだぜ、おれたちは。(05.11.06)