ボスニア・ヘルツェゴビナ戦
ミスの多い試合であった。
ジーコに好印象をあたえようとするアタッカー陣。(無茶なパス、しかもミス。反撃をくらうシーンが多かったけれど。)
メンバーを固定してたたかうディフェンス陣。
その気の張りにちがいがでた。
一方は糸がピンと張っている。
他方は糸の重さの緩みがある。
フットボールサッカーはミスのスポーツである。
が、国家代表チームで、ミスの多いチームがワールドカップファイナルを勝ちぬけるほどあまくない。
バルバレスはニッポンのセンターバックをこどもあつかい。
それは宮本恒靖選手、中澤佑二選手のマークがいともたやすくはずされる弱さ、
致命的なパスミスをくりかえすテクニックの稚拙、を露呈する結果となった。
アジアでは通用したのかもしれない。
が、ヨーロッパには通用しない。
それをかの地ヨーロッパでさらしてしまった。
しまった!
著者はおもう。
宮本恒靖、中澤佑二選手2人をはずしてのディフェンス陣は考えられないからであり、そこの補強を怠ってきたからである。
ニッポンにはいないタイプのフォワードになると、あわててしまう。
こどもあつかいをうける理由はここにある。
高くて強いだけじゃないバルバレスに対し、宮本恒靖、中澤佑二選手がまさにそのとおり扱いをうけた。
いっぱいいっぱいであることが見てわかる。
そんなときはジョークでもいいあう。
冗談でいっているのではない。
硬直した思考を弛緩するにはそれしかないのだ。
宮本も中澤も、いっぱいいっぱい。
それは余裕のない、思考停止のなによりの証拠じゃないか。
フィリップ・トルシエのように大会間近になってからディフェンス陣をふやしてもしょうがない。
肉体で劣るとしても、気のもちかた、考えかたでその欠落を埋めることはできないまでも少しでも補えるかもしれない。
そこに活路を見出す。
守ろうとするから攻められる。
守りが苦手ならば、攻めにもっと時間をかければいい。
ついていこうとするから逃げられる。
胸を借りるから、返される。
先んずれば、相手が後手にまわらざるをえない。
1対1で負けない。
以前、中田英寿選手は新しい言葉をもとめる報道陣の期待をうらぎり、1対1というふるくさい言葉をつかった。
1対1で負けてはいけない。
それは新旧を問う言葉ではない。
つねに求めるべき永遠のテーマなのである。
1対1で勝たなければいけない。
かれはいっていない。
くりかえす。
ただ、
1対1で負けてはならない。(03/01/06)
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