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キャプテンと主将、ドゥンガと柱谷哲二さん
ブラジルのドゥンガはカピタン(キャプテン)であった。
ニッポンではキャプテンをときに主将ともいう。
が、それは誤りである。
キャプテンと主将を混同している。
ニッポンならば柱谷哲二さんを主将といった。
そのかれを闘将ともよんだ。
いまでは懐かしく響く。
Jリーグで采配を揮ったエメルソン・レオンがいまもって柱谷哲二さんを毛嫌いするのは、ニッポンの主将体質を嫌悪するからである。
ハシラタニは威張ってばかりで、年下の選手はそんなかれをおそれ、萎縮していたという。
ドゥンガにはありえないことである。
が、ニッポンではそういうことがざらである。
ドゥンガは叱っても、ドゥンガは威張っていたとはいわない。
練習がおわれば普段のドゥンガにもどる。
冗談をいいあったり、ふざけあったり。
ジュビロ磐田に在籍していたころは、そんなドゥンガのかわりよう(!)に同僚や、年下の選手は驚いたという。
他の選手諸君にはキャプテンイコール主将のイメージがあるからにほかならない。
「だめなときはダメだっていわなくちゃいけないんじゃないのかな。」
「でも、ひとりだけ文句をいっていると、みんなからいわれるし、コーチからもいわれるから・・・。」
「文句じゃないぜ、そういうのって。みんなからブーブーいわれたのかい。」
「いったわけじゃないから。」
「なぁんだ、チャレンジもしていないのに、どうしてダメだっておもうの。」
「勇気がいるみたいだし。」
「でもさ、戦況がかんばしくないとき、どう対処するの。チームが負けていて、みんなが意気消沈しているとき、どうするの。そのまま選手ひとりひとりが立直るのを、立直るまで待ってるの。立直らなかったら試合に負けるんだよ。手をうたないと負けるんだよ。それでいいの?」
「よくないけれど・・・。」
「じゃぁ、ほめてあげてる?。ナイスプレーって。それならできるじゃない。」
「うぅむ・・・。」
こどもたちにきいてみると、ニッポンにはキャプテンは生まれるはずがないことがわかる。
キャプテンを生む土壌すらないこともわかる。
ニッポンには主将しか生まれない。
主将しか生めない土壌である。
それが現実である。(9.8.05)
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